第31話
文字数 3,723文字
「…二人とも、なにをグズグズしている!…」
アムンゼンが、私たち二人を怒鳴った…
明らかに、イライラした調子で、怒鳴った…
そこには、いつもの3歳の幼児を演じているアムンゼンの影も形もなかった…
そこにいるのは、権力者…
サウジアラビアの王族であり、サウジアラビアの絶対権力者の姿があった…
だから、オスマンが、慌てた様子で、
「…オジサン…スイマセン…」
と、言いながら、廊下を駆け出した…
そして、その際に、小声で、
「…矢田さん…オジサンは、なぜだか、今日は、機嫌が悪い…矢田さんも、言動に気を付けることです…」
と、私にアドバイスした…
私は、すぐに、
「…わかったさ…」
と、返した…
触らぬ神に祟りなし…
ホントは、こんな機嫌の悪いアムンゼンの元には、一刻もいたくなかったが、仕方がない…
ホントは、逃げ出したかったが、それも、できんかった…
できんかったからだ…
だから、私は、おそるおそる、アムンゼンの元に、行った…
アラブの至宝の元へ、近寄った…
「…すまんかったさ…」
と、言いながら、近寄った…
しかしながら、そんなことでは、アムンゼンの機嫌は、直らんかった…
直らんかったのだ…
私が、下手に出ているのを、無視して、
「…さあ、行きましょう…」
と、言った…
少しも、機嫌が、直っていないのは、誰の目にも、明らかだった…
私は、その後、オスマンの運転するロールス・ロイスに乗りながら、あのラーメン屋に向かった…
正直、ロールス・ロイスに乗りながら、こんなに緊張したのは、初めてだった…
これまでは、ロールス・ロイスに乗ること自体に、緊張した…
この平凡な矢田トモコが、ロールス・ロイスに乗ることなど、滅多にないからだ…
しかし、今は、違った…
隣に、不機嫌な、アラブの至宝がいた…
いつもは、この矢田に愛想が、いいアラブの至宝が、なぜか、今日は、機嫌が、悪かった…
すこぶる、機嫌が、悪かった…
だから、私は、ロールス・ロイスの後部座席にアムンゼンといっしょに、乗りながら、
「…オマエ…なにか、今朝悪いものでも、食べたのか?…」
と、聞いてやった…
ほかに、理由が、思い当たらんかったからだ…
だから、そう聞いてやった…
すると、アムンゼンが、ビックリした表情で、私を見た…
この矢田を直視した…
実に、マジマジと、凝視した…
それから、
「…矢田さん…それは、冗談かなにかですか?…」
と、聞いた…
だから、
「…冗談なんかじゃないさ…」
と、答えてやった…
「…冗談じゃない?…」
アムンゼンが呟くと、それっきり、考え込んだ…
そして、十秒か、二十秒、経ってから、出た言葉は、
「…矢田さんは、どういう思考形態を、持っているんですか?…」
と、いうものだった…
「…思考形態?…」
「…そうです…どこをどう考えれば、今朝、なにか、悪いものを食べたと考えるんですか?…」
「…だって、世間でよく言うゾ…」
「…それは、ギャグです…お笑いです…わざとウケを狙って、言っているだけです…」
「…なんだと? ウケだと?…」
「…そうです…あるいは、場を和ますためとか…」
「…」
「…でも、矢田さんは、そのいずれにも、当てはまらない…どう見ても、本気で言っている…だから、どういう思考形態をしているのか、聞きたくなるのです…」
アムンゼンが、言った…
真顔で、言った…
私は、考え込んだ…
さすがに、この矢田トモコも、35年生きてきて、面と向かって、そのような言葉を投げられたことは、なかったからだ…
だから、悩んだ…
悩み抜いた…
そして、それを、横で、見ていたアムンゼンが、
「…矢田さんは、面白過ぎです…」
と、言った…
「…面白過ぎだと?…」
「…そうです…」
「…どうして、そう思うんだ?…」
「…ボクとのやり取りを見れば、誰でも、そう思いますよ…そうだろ? オスマン?…」
アムンゼンが、ロールス・ロイスを運転する甥のオスマンに聞いた…
オスマンは、
「…それは…」
と、口ごもった…
「…それは、どうした?…」
と、アムンゼン…
ロールス・ロイスの運転席と後部座席の間には、窓ガラスがあり、一見、声は、聞こえないようになっているが、後部座席に座る人間からは、行き先を告げることが、できるように、マイクが、仕込んである…
そして、ロールス・ロイスは、普通は、片側通行、すなわち、後部座席から、運転席にいる人間に、一方的に、告げることが、できるだけだが、このロールス・ロイスは双方向、すなわち、電話のように、双方から、互いのやり取りが、できるようになっていた…
しかしながら、それでは、本来、運転席と後部座席の間の窓ガラスは、不要…
だから、おそらく、後部座席からは、運転席に座るものに、自分たちの会話が、聞こえないようにも、できるのだろう…
一方的に、後部座席から、運転席に指示を与えることも、できるのだろう…
しかし、今は、それをしていないだけに、違いない…
なぜ、そんなことを思うのか?
それは、この矢田が、35歳のシンデレラだからだった(笑)…
平凡な家庭に生まれた私は、ロールス・ロイスに代表される超がつく高級車に、これまで、縁もゆかりもなかったが、夫の葉尊と、結婚して、世界が、変わった…
夫の葉尊は、台湾の大実業家、葉敬の一人息子…
しかも、今は、日本を代表する総合電機メーカー、クールの社長だ…
実父の葉敬が、クールを買収したからだ…
それゆえ、世界が、変わった…
この矢田の住む、世界が、変わった…
これまで、一度も見たこともない高級車に乗ることが、日常茶飯事になった…
だから、わかるのだ…
私は、思った…
思ったのだ…
そして、私が、そんなことを、考えていると、隣のアムンゼンが、
「…どうした? …なぜ、答えない?…」
と、しつこく、オスマンを追及していた…
「…勘弁して下さい…オジサン…」
と、オスマンが、泣きを入れた…
「…勘弁しろ、だと?…」
オスマンが、怒った…
顔色を変えて、怒った…
それを見かねた私は、つい、
「…アムンゼン…」
と、口を出した…
「…なんですか? …矢田さん?…」
「…相手が、答えられない質問を、しちゃ、ダメさ…」
「…」
「…相手を困らせちゃ…ダメさ…」
私は、言ってやった…
「…オマエは。偉いかも、しれんが、相手を困らせちゃ、ダメさ…そんなことをすれば、無用の敵を作るだけさ…」
「…」
「…オマエは、偉いから、そんなことは、ないと思うが、もし、もし、だ…オマエが偉くなくなったら、どうなると、思う?…」
「…ボクが、偉くなくなったら?…」
「…そうさ…誰も、オマエの面倒など、見てくれんさ…」
「…」
「…だから、いつも、オマエの周りにいる、オマエに仕える人間に感謝するのさ…そうしないと、もし、仮に、オマエになにか、あったときに、誰も、オマエの面倒を見ては、くれんさ…今は、オマエが、偉いから、みんな、オマエに仕えているだけさ…」
私が、言うと、アムンゼンが、黙り込んだ…
アラブの至宝が、黙り込んだ…
私は、心配になった…
もしや、言い過ぎた?
そんな思いが、心に浮かんだ…
だから、黙った…
これ以上、なにか、言えば、藪蛇になるかも、しれんと、思ったからだ…
すると、だ…
これまで、黙っていたアムンゼンが、口を開いた…
ゆっくりと、口を開いた…
「…矢田さんと、いうひとは、面白い…実に、面白い…」
と、口を開いた…
「…面白いだと?…」
「…そうです…」
「…どこが、面白い?…」
「…いつもは、わけのわからない話をしているとかと、思えば、突然、まともなことを、言い出す…一体、どっちが、ホントの矢田さんですか?…」
「…どっちが、ホントの矢田だと?…」
「…そうです…普通は、バカを演じていても、実は、頭がいい…それが、大半です…しかし、矢田さんは、普段、バカをしているのも、矢田さんだし、頭が、いいのも、矢田さんです…同じ人間に頭がいい矢田さんと、頭が悪い矢田さんが、いるんです…これは、一体、どういうことですか?…」
アムンゼンが、言った…
思いもかけないことを、言った…
私は、どう答えて、いいか、わからんかった…
わからんかったのだ…
そもそも、そんなことは、考えたことも、ないことだったからだ…
だから、悩んだ…
悩んだのだ…
そして、どう答えて、いいか、悩んでいると、いつのまにか、あのラーメン屋に着いた…
私たち3人が、乗ったロールス・ロイスが、止まって、ハンドルを握るオスマンが、
「…オジサン、着きました…」
と、マイク越しに告げた…
だから、わかった…
わかったのだ…
そして、オスマンの声を聴いたアムンゼンが、
「…そうか…」
と、一言、呟いた…
それから、私を見て、
「…さあ、矢田さん、食べに行きましょう…」
と、私に告げた…
つい、さっき私にした質問は、追及せず、私に言った…
だから、私も、内心、安心して、アムンゼンといっしょに、ロールス・ロイスを降りた…
降りたのだ…
アムンゼンが、私たち二人を怒鳴った…
明らかに、イライラした調子で、怒鳴った…
そこには、いつもの3歳の幼児を演じているアムンゼンの影も形もなかった…
そこにいるのは、権力者…
サウジアラビアの王族であり、サウジアラビアの絶対権力者の姿があった…
だから、オスマンが、慌てた様子で、
「…オジサン…スイマセン…」
と、言いながら、廊下を駆け出した…
そして、その際に、小声で、
「…矢田さん…オジサンは、なぜだか、今日は、機嫌が悪い…矢田さんも、言動に気を付けることです…」
と、私にアドバイスした…
私は、すぐに、
「…わかったさ…」
と、返した…
触らぬ神に祟りなし…
ホントは、こんな機嫌の悪いアムンゼンの元には、一刻もいたくなかったが、仕方がない…
ホントは、逃げ出したかったが、それも、できんかった…
できんかったからだ…
だから、私は、おそるおそる、アムンゼンの元に、行った…
アラブの至宝の元へ、近寄った…
「…すまんかったさ…」
と、言いながら、近寄った…
しかしながら、そんなことでは、アムンゼンの機嫌は、直らんかった…
直らんかったのだ…
私が、下手に出ているのを、無視して、
「…さあ、行きましょう…」
と、言った…
少しも、機嫌が、直っていないのは、誰の目にも、明らかだった…
私は、その後、オスマンの運転するロールス・ロイスに乗りながら、あのラーメン屋に向かった…
正直、ロールス・ロイスに乗りながら、こんなに緊張したのは、初めてだった…
これまでは、ロールス・ロイスに乗ること自体に、緊張した…
この平凡な矢田トモコが、ロールス・ロイスに乗ることなど、滅多にないからだ…
しかし、今は、違った…
隣に、不機嫌な、アラブの至宝がいた…
いつもは、この矢田に愛想が、いいアラブの至宝が、なぜか、今日は、機嫌が、悪かった…
すこぶる、機嫌が、悪かった…
だから、私は、ロールス・ロイスの後部座席にアムンゼンといっしょに、乗りながら、
「…オマエ…なにか、今朝悪いものでも、食べたのか?…」
と、聞いてやった…
ほかに、理由が、思い当たらんかったからだ…
だから、そう聞いてやった…
すると、アムンゼンが、ビックリした表情で、私を見た…
この矢田を直視した…
実に、マジマジと、凝視した…
それから、
「…矢田さん…それは、冗談かなにかですか?…」
と、聞いた…
だから、
「…冗談なんかじゃないさ…」
と、答えてやった…
「…冗談じゃない?…」
アムンゼンが呟くと、それっきり、考え込んだ…
そして、十秒か、二十秒、経ってから、出た言葉は、
「…矢田さんは、どういう思考形態を、持っているんですか?…」
と、いうものだった…
「…思考形態?…」
「…そうです…どこをどう考えれば、今朝、なにか、悪いものを食べたと考えるんですか?…」
「…だって、世間でよく言うゾ…」
「…それは、ギャグです…お笑いです…わざとウケを狙って、言っているだけです…」
「…なんだと? ウケだと?…」
「…そうです…あるいは、場を和ますためとか…」
「…」
「…でも、矢田さんは、そのいずれにも、当てはまらない…どう見ても、本気で言っている…だから、どういう思考形態をしているのか、聞きたくなるのです…」
アムンゼンが、言った…
真顔で、言った…
私は、考え込んだ…
さすがに、この矢田トモコも、35年生きてきて、面と向かって、そのような言葉を投げられたことは、なかったからだ…
だから、悩んだ…
悩み抜いた…
そして、それを、横で、見ていたアムンゼンが、
「…矢田さんは、面白過ぎです…」
と、言った…
「…面白過ぎだと?…」
「…そうです…」
「…どうして、そう思うんだ?…」
「…ボクとのやり取りを見れば、誰でも、そう思いますよ…そうだろ? オスマン?…」
アムンゼンが、ロールス・ロイスを運転する甥のオスマンに聞いた…
オスマンは、
「…それは…」
と、口ごもった…
「…それは、どうした?…」
と、アムンゼン…
ロールス・ロイスの運転席と後部座席の間には、窓ガラスがあり、一見、声は、聞こえないようになっているが、後部座席に座る人間からは、行き先を告げることが、できるように、マイクが、仕込んである…
そして、ロールス・ロイスは、普通は、片側通行、すなわち、後部座席から、運転席にいる人間に、一方的に、告げることが、できるだけだが、このロールス・ロイスは双方向、すなわち、電話のように、双方から、互いのやり取りが、できるようになっていた…
しかしながら、それでは、本来、運転席と後部座席の間の窓ガラスは、不要…
だから、おそらく、後部座席からは、運転席に座るものに、自分たちの会話が、聞こえないようにも、できるのだろう…
一方的に、後部座席から、運転席に指示を与えることも、できるのだろう…
しかし、今は、それをしていないだけに、違いない…
なぜ、そんなことを思うのか?
それは、この矢田が、35歳のシンデレラだからだった(笑)…
平凡な家庭に生まれた私は、ロールス・ロイスに代表される超がつく高級車に、これまで、縁もゆかりもなかったが、夫の葉尊と、結婚して、世界が、変わった…
夫の葉尊は、台湾の大実業家、葉敬の一人息子…
しかも、今は、日本を代表する総合電機メーカー、クールの社長だ…
実父の葉敬が、クールを買収したからだ…
それゆえ、世界が、変わった…
この矢田の住む、世界が、変わった…
これまで、一度も見たこともない高級車に乗ることが、日常茶飯事になった…
だから、わかるのだ…
私は、思った…
思ったのだ…
そして、私が、そんなことを、考えていると、隣のアムンゼンが、
「…どうした? …なぜ、答えない?…」
と、しつこく、オスマンを追及していた…
「…勘弁して下さい…オジサン…」
と、オスマンが、泣きを入れた…
「…勘弁しろ、だと?…」
オスマンが、怒った…
顔色を変えて、怒った…
それを見かねた私は、つい、
「…アムンゼン…」
と、口を出した…
「…なんですか? …矢田さん?…」
「…相手が、答えられない質問を、しちゃ、ダメさ…」
「…」
「…相手を困らせちゃ…ダメさ…」
私は、言ってやった…
「…オマエは。偉いかも、しれんが、相手を困らせちゃ、ダメさ…そんなことをすれば、無用の敵を作るだけさ…」
「…」
「…オマエは、偉いから、そんなことは、ないと思うが、もし、もし、だ…オマエが偉くなくなったら、どうなると、思う?…」
「…ボクが、偉くなくなったら?…」
「…そうさ…誰も、オマエの面倒など、見てくれんさ…」
「…」
「…だから、いつも、オマエの周りにいる、オマエに仕える人間に感謝するのさ…そうしないと、もし、仮に、オマエになにか、あったときに、誰も、オマエの面倒を見ては、くれんさ…今は、オマエが、偉いから、みんな、オマエに仕えているだけさ…」
私が、言うと、アムンゼンが、黙り込んだ…
アラブの至宝が、黙り込んだ…
私は、心配になった…
もしや、言い過ぎた?
そんな思いが、心に浮かんだ…
だから、黙った…
これ以上、なにか、言えば、藪蛇になるかも、しれんと、思ったからだ…
すると、だ…
これまで、黙っていたアムンゼンが、口を開いた…
ゆっくりと、口を開いた…
「…矢田さんと、いうひとは、面白い…実に、面白い…」
と、口を開いた…
「…面白いだと?…」
「…そうです…」
「…どこが、面白い?…」
「…いつもは、わけのわからない話をしているとかと、思えば、突然、まともなことを、言い出す…一体、どっちが、ホントの矢田さんですか?…」
「…どっちが、ホントの矢田だと?…」
「…そうです…普通は、バカを演じていても、実は、頭がいい…それが、大半です…しかし、矢田さんは、普段、バカをしているのも、矢田さんだし、頭が、いいのも、矢田さんです…同じ人間に頭がいい矢田さんと、頭が悪い矢田さんが、いるんです…これは、一体、どういうことですか?…」
アムンゼンが、言った…
思いもかけないことを、言った…
私は、どう答えて、いいか、わからんかった…
わからんかったのだ…
そもそも、そんなことは、考えたことも、ないことだったからだ…
だから、悩んだ…
悩んだのだ…
そして、どう答えて、いいか、悩んでいると、いつのまにか、あのラーメン屋に着いた…
私たち3人が、乗ったロールス・ロイスが、止まって、ハンドルを握るオスマンが、
「…オジサン、着きました…」
と、マイク越しに告げた…
だから、わかった…
わかったのだ…
そして、オスマンの声を聴いたアムンゼンが、
「…そうか…」
と、一言、呟いた…
それから、私を見て、
「…さあ、矢田さん、食べに行きましょう…」
と、私に告げた…
つい、さっき私にした質問は、追及せず、私に言った…
だから、私も、内心、安心して、アムンゼンといっしょに、ロールス・ロイスを降りた…
降りたのだ…