第71話「手段なんて選べないのです」

文字数 6,049文字

 腹を刺され出血も酷い。この状況を逆転するには、斉藤にリセットをかけさせるしか手はない。

「……くそっ、ラプラス起動しろよ」

 呼びかけても願っても、ラプラスは起動しない。なので、その手段を自力で演算する。

 該当するものは100以上、そのうち成功確率が高いのは3つ。

 まず、100%の確率で斉藤がリセットをかけるのは、なんといっても厚木さんが亡くなることだろう。彼女の肉体が残ってなければもう一つの人格を呼び覚ませない。

 ただし、そんな胸くそ悪いことを俺が実行するわけにはいかない。どんなに効率が良かろうが、そんな鬼畜は許されない。たぶん、それはずっと記憶に残る。

 最愛の人を手にかけた『胸くそ悪い記憶』なんぞいらない。それに、厚木さんだってリセットされりゃ記憶が残るんだ。今以上に、彼女との関係を悪化させたくない。

 もう一つの手は斉藤に致命傷を与えることだ。俺の腹に刺さったナイフで斉藤を襲い、頸動脈あたりに一撃を入れれば出血多量で死は免れない。

 とはいえ、奴がリセットをかける前に死んでしまっては元も子もないだろう。危険過ぎる賭けだ。

 だとしたら、さらにもう一つ。致命傷にはならないが、それに準じた状態になってもらうこと。

 これだけ選択肢が狭いなら迷うことはない。最短パターンで身体を動かせる方法を実行する。

 一つの思考パターンが冷徹に俺の身体を動かしていく。最後の力で斉藤を捕まえ、その腕を取り、そして、彼の利き腕である右手親指の根本に思いっきり噛みついた。

 咬合力は最大で100kg、虫歯もない健康的な俺の歯ならイケる!

 火事場のクソ力なめんなよぉおおお!!

 その指を根本から噛みちぎる。

 口の中に鉄の味がさらに広がった。

「ぅぎゃあああああああああ!」

 断末魔のような悲鳴をあげる斉藤。それは、刺されたこっちがあげるような悲鳴だっての。

 ほとんどスプラッターな展開ではあるが、こんなもんリセットされりゃ、綺麗さっぱり元通りになるんだ。

 逆にリセットしなければ、奴は一生不自由な生活を強いられる。指の切断は親指が一番えぐい。なにせ、利き腕で物が掴みにくくなるのだからな。

 おまけに早いところ止血しないと、出血多量で危うくなるだろう。とはいえ、頸動脈の一撃よりは失血量は緩やかなので、奴にも考える時間は与えられるはずだ。

「……っぺ!」

 俺が口の中にあった奴の指先を最後の力で吐き出す。これ以上は目蓋でさえ動かすのがキツい。

 ヤバいな、視界に靄がかかってきた。

「土路くん!」

 厚木さんが近寄ってきて、俺を抱きかかえてくれる。ダメだ。俺なんかに構っていたら、せっかくのチャンスを逃す。奴がリセットを使い、その条件を知るのが最優先だ。

「さい……とうを……かんさつしろ」

 その言葉で厚木さんは視線を彼の方へと向ける。それでいい……。だんだんと視界は暗くなり……意識は遠のいていく。



**


 スマホのアラームで飛び起きた。

 急いで音を解除する。次にお腹の傷口の有無を確認して、なかったことにほっとし、日付を見る。

「8月2日か。っていうか、俺生きてるな。リセット能力最強じゃねえか!!」

 そんな独り言を呟いていると、持っていたスマホに着信が入る。

「はいはい」
「良かったぁ、生きてるんだよね」

 第一声は安心したかのような厚木さんの声。情報を共有できているのはいいことだ。

「あれからどうなった? 斉藤のリセットの条件はわかった?」
「うん、まあ、その話は電話じゃなくて会って話そう。あたしも話したい事があるし」

 ん? その声に少しばかりの違和感を抱く。

「わかった。待ち合わせはどうする?」
「あたしがそっちに行くよ」
「じゃあ待ってるから」

 通話を終えた俺は、なぜかスマホに表示された着信履歴を確認する。そこには『厚木球沙』の文字がある。

 なんだろう? まあ、いいや。

 俺は洗面所に行き、顔を洗って歯を磨くと母親に声をかける。

「母さん、おはよう」
「あら、休みなのに早いわね。わたし、午後から仕事だから茜に晩ご飯作ってあげてよ」「わかってるよ」

 後ろを向いてなかったので、肩に手を触れるタイミングを見逃してしまう。まあ、確かめなくても厚木さんの電話でリセットされているのはわかったからな。ラプラスに確認をとるまでもないか。

 リビングで買い置きしてあった食パンを食べると、部屋に戻る。その途中の廊下で妹の茜とすれ違った。

「……」

 相変わらずそっぽを向いて、こちらを見ようとはしない。まあ、いいんだけどね。

「そうだ、茜。もう少ししたらお客さんが来るから、俺の部屋に来るときは気をつけろよ」
「へ? お客さん? もしかして、黒金さん? それともリオンお姉さま?」
「違うよ」
「まさか、ショーコさんとか?」
「ちげーよ!」

 ちょっと苛ついてくる。もう女装はしねーっての。

「なにキレてるの?」
「悪かったな。今日来るのはクラスメイトの女子だ」
「また別の女を連れ込もうとしてるの。クソアニキってそんなに女ったらしだったっけ?」
「……」

 怒るのもバカらしくなってきた。俺は無視して自分の部屋に行く。後ろで何かギャンギャン騒いでいるようだが、どうでもいいな。

 しばらく部屋でくつろいでいると、チャイムが鳴る。茜にはお客が来ると言っておいたので、妹が対応することはないだろう。俺は立ち上がると玄関まで早足で行く。

 扉を開けて、ドキッとする。いや、ギョッとすると言った方が正しいか。

 視界に映ったのは黒い衣装……いや、このゴスロリ姿は見たことがある。細部のデザインは違うが、斉藤の仲間の女が着ていたものに酷似していた。そして、そこにあるのは厚木さんと似た顔。

 まさか西加和まゆみなのか? いったいなぜ、俺の家に?

 一瞬身構えるが「ごめん、遅くなった」と、厚木さんの声が聞こえてくる。ホクロもないし、見慣れた彼女の顔だ。本物で間違いないだろう。

 ほっと胸をなで下ろして応対する。

「ささ、入って」
「お邪魔しまーす。ひっさしぶりだね」

 え? 厚木さんってうち来たことあったっけ。

 廊下沿いにある茜の部屋の扉が少しだけ開き、中から妹がこちらを見ている。その表情はしかめっつらだ。何か嫌な事でもあったか?

 厚木さんを部屋に案内して座らせると、俺は飲み物を取りに台所へ向かう。その途中で、妹が何か言いたげにこちらを見上げる。

「なんだよ」
「またあの女を連れ込んだの? やめてよねぇ」
「またって何だよ。厚木さんを連れてくるのは初めてだぞ」

 妹が何を言っているのかわからない。ただ、俺にケチ付けたいだけか? 反抗期だからな、アイツ。

 俺は無視して部屋に戻る。

「おまたせ。麦茶しかないけど」
「悪いわね」

 グラスをローテーブルに置いて、厚木さんの正面に座る。さっきから違和感が凄い。もちろん、俺の家に彼女がいるのは緊張するのだが、そんなことさえ些細に思えてくるこの感じはなんだ?

 そんなことより本題だ。

「で、斉藤のことなんだが――」

 俺がリセットのこを聞こうと彼女に話しかけたところで、それを遮るように声を上げる。

「待って、その前に言わなきゃならないことがあるの」
「……ん?」
「あたしは記憶を取り戻した、正確には……そうね、どうしてこうなったのかを思い出したってところかな」
「思い出した?」
「気付かない? じゃあ、あたしの手に触れてみて」

 彼女が右手をこちらに差し出す。少し躊躇うが、それに触れてみる。まあ、未来予知を行うのも、今後の対策を立てるためにも必要なことだ。

「……」

 だが、一分以上経っても何も起こらない。というか、悪魔の起動がない。あいつ、気まぐれなところがあるからな、今は出てこない気か?

 いや、リセットされたという緊急時にあいつが現れないのはおかしい。

「悪魔が起動しない?」

 厚木さんにそう聞かれる。前にその話をしたから、彼女も俺の中にいるラプラスのことは知っているはずだが……あれ? もしかして。

「今から30秒後に、そこの扉から妹さんが覗いてくるわ」
「え?」

 俺は後ろを振り返り、その扉を見つめる。すると、そっとそれが動き、妹の顔がその隙間から見えて目が合う。

「ひゃっ!」

 いきなり覗きがバレたものだから、茜のやつ、素っ頓狂な声をあげてるな。

 俺はすぐに状況を把握し、厚木さんへ視線を戻す。

「まさか、未来予知?」
「そういうこと」

 頭が混乱しそうになるが、状況を整理すれば可能性は限られる。

「まさかと思うけど……おまえ、もしかして」
「そのまさかだよ。あたしもあんたと話している時は記憶の一部を失っていたからね」

 その返答は決定的だった。パズルのピースがカチリとはまる。

「ラプラスなのか?!」
「そうよ。というか、その前に師匠と呼びなさいよ。忘れた?」

 懐かしいこの感覚。昔、そんなやりとりをした記憶が甦る。

「え? え?」

 せっかく落ち着いてきた思考が、再び混乱する。

「3年前、あなたを助けたでしょ。あと、いろいろ教えてあげたじゃん」
「ちょっと待て」

 俺は深呼吸すると、頭の中を整理する。

 つまり、彼女は自らを悪魔と呼ぶ少女、俺の師匠と同一人物だったわけか。

 正直、超展開しすぎて頭がついていかない。情報を整理するなら、ラプラスは未来予知能力だけでなくテレパス能力も持っていたことになるか。

 ただ、そうなると疑問が残る。

「目の前にいるおまえがラプラスであり、俺の師匠というのはわかった。じゃあ、厚木さんは、本来の厚木球沙はどこにいるんだよ?」

 目の前にいる人物が厚木球沙そのものだということはわかっている。でも、それじゃあ、器の数が合わない。

「彼女は眠っている。まんまとサイトーの策略にハマって、あんたが刺される姿を見て相当ショックを受けたみたい。けど、人格が破壊されたわけじゃないから安心して」

 彼女の言葉から、散りばめられたパーツを集める。それは斉藤の言葉を補完するものでもあった。

 彼はこう言っていた「方法は簡単なんだよ。今の厚木球沙の心を壊せばいい。そうすれば昔の人格に戻る」と。

「やっぱり厚木さんは解離性同一障害、つまり多重人格だったってことか?」
「まあね。サイトーはあたしの特殊性を知っていたのよ」

 奴の目的は、もう一つの人格を呼び覚ますことだった。ということは、こいつがそれってことなのか?

「おまえは厚木球沙のもう一つの人格であり、子供の頃、斉藤を連れ回したってわけか?」
「そういうこと」

 ラプラスの人格は、まるで他人ごとのように答える。

「おまえが元凶じゃねえかよ!」

 俺は呆れたようにツッコミをいれた。

「子供心に楽しかったんだよ」
「そのせいで、斉藤はおまえのこと崇拝しちゃってるじゃねえか」

 あいつがおまえにご執心だから、今回の事件が起こったんだろ。

「そうみたいだね」
「ひとごとだな。おまえのせいで大変なことになってるんだぞ!」
「まあ、そのことに関しては対策はあるから」
「対策?」
「リセット発動条件はわかったよ。彼の持っている手帳には過去のカレンダーが記載されていて、日付を口にしながら手帳のカレンダーの数字に触れるとリセットされる。まあ、セーブポイントみたいなもんじゃないの?」

 厚木さんの姿のままラプラスとの会話をするのは、最初は違和感がある。まあ、些末な問題ではあるが。

 彼女は話を続ける。

「あと、今日の日付を確認したでしょ?」
「ああ、8月11日ではなく、2日だった」
「リセット、つまり過去に戻れる日付は彼が任意で選べるのよ」

 ループ物にありがちな特定の日付を繰り返すっていうわけでもないのか。ある意味、過去への一方通行のタイムトラベルができるようなものだ。思わずツッコミを入れてしまう。

「チート過ぎるだろ!」
「過去へのチートがサイトーなら、未来へのチートはあたしの方だよ。まあ、どっちが強いかは使う人次第だよね」
「特定の誰かの未来予知より、世界そのものをリセットする方がスケールはデカい気がするけどな」
「それは個人的な感覚の問題だよ」
「そういえばさ。前回まで斉藤は、8月11日にこだわってリセットしてたよな」
「11日はたぶん、西加和まゆみや多聞花菜と仲間になって、全てを説明した日なんじゃない? リセットしてすぐに行動に移せるようにって」

 なるほど、俺も文芸部のみんなに毎度説明するのは面倒くさいからな。だとすると……。

「2日に変えたってことは、根本的に作戦を見直すってことか?」
「だと思う」
「厄介だな」
「あたしの元舎弟だからね」

 ラプラスが苦笑した。斉藤が俺の兄弟子っていうポジションなのは微妙に嫌な感じである。

「でもまあ、奴の目的はわかっているからな。行動パターンは読めるから対処できる」
「さすがはあたしの教え子」

 なにげない彼女の褒め言葉で、心がじわりと温かくなった。

 厚木さんの姿をしたラプラス。彼女と話しているうちに懐かしい感覚に陥ってくる。

 中学の頃は、こうやって師匠(ラプラス)と話していたっけ。そういや、何回か、俺の家に連れてきたことがあったな。

 ……と、想い出に浸っている場合じゃない。今は斉藤をなんとかすることの方が重要だ。

「奴の手帳を奪えば万事解決ってわけじゃないよな?」
「そうね。手帳がなくなればリセットができなくなるけど、根本的な解決にはならないわね」
「手帳がなくなったところで、別なアプローチをされるだけか」
「そもそもサイトーは、オリジナルの厚木球沙の人格を壊すことが目的だからね」
「下手に奴から手帳を取り上げることの方が危険だな」
「そういうこと。サイトーがリセットに頼っているうちは、まだ心の隙をつけるわ。それを取り上げたら、彼はヤケになって暴走する」

 それだけはマズイ。想定外のことをされないために、こちらも慎重に行動すべきであろう。

「でもさ、そもそもその手帳ってなんなの? 魔法どころか世界すら改変できる飛び抜けた力だ。そんなものをどうやって手に入れたんだ?」

 それは素朴な疑問。

「うーん……たぶん、あたしと同じだと思う」
「おまえと同じ?」
「そうだよ」

 ん? どういうことだ?

 ラプラスが俺の中にいたときに未来予知はできている。俺も斉藤が持っている手帳のようなものを、手に入れていたってことなのか?

 まあいい。本人が目の前にいるんだ。全部話してもらおう。

「いまさらだけど、おまえの未来予知もどうなってるんだよ? 思い出したんだろ?」
「あたしの未来予知はね。この髪留め」

 そう言って彼女は頭に付けていた悪魔のキャラクターの髪留めを外す。

「それがマジックアイテムみたいなものってことか?」
「そう。これがなければ未来予知はできないよ」

 そう言い切るラプラスだが、それには疑問が残る。

「けどさ。それならなぜ、厚木さん自身でなく俺が未来予知をできたんだ?」

 俺はこの髪留めは付けていない。ずっと彼女が付けていたんだ。

◆次回予告

ラプラスが語る過去。

彼女に一体何が起こったのか?

次回、第72話「悪魔の取引なのです」にご期待下さい!!
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