第16話「ライオンは勇気を手に入れたのです」

文字数 5,354文字

「大丈夫か?」

 俺は志士坂を見下ろす。

 これが厚木さんなら、手を差し出そうという気にもなるだろう。だが、こいつには1人で立ち上がってもらわなければ困る。俺はずっとこいつをサポートするわけにはいかないんだから。

 津田と南の脅威がなくなった以降は、こいつには1人で学校生活を送ってもらう。それは当初からの決定事項。

 俺は期待を持たせるような優しさは与えない。それが彼女の為にもなるだろう。

「ええ、大丈夫よ」

 見たところ怪我はないようだ。多少制服や髪の毛が汚れてしまってはいるが。

 視線を志士坂から千種さんへと変える。彼女は複雑そうな表情で志士坂を見ていた。

 自分を助けてくれたとはいえ、去年1年間のイジメられた記憶は消えるものではない。それこそ、心に受けた傷は永遠に治らないだろう。

「千種さん、改めて謝罪するわ。1年生の時、あたしはあなたに酷いことをした。謝って済む問題じゃないこともわかっている。ごめんなさい」

 再び頭を下げる志士坂に、千種さんは津田と南が去ったことで落ち着いたのか、自分の感情を出し始める。その感情とは怒りだ。

「どうして……どうして、今なの? 去年助けてくれたなら、わたしはこんなにビクビクしながら学校に通うこともなかった。あなたのせいで、わたしは学校を辞めることさえ考えたのよ」

 やはりイジメられた怨みは消えない。喧嘩じゃないんだ。仲直りして手を取り合って……なんてうまくはいかない。いくわけがない。

「ごめんなさい」

 志士坂は言い返せない。だから、ひたすら頭を下げて謝るしかなかった。それでも、解決なんかしない。人の心は残酷でだ。

「あなたがいくら謝ったってわたし、あなたを許せないの」

 立場が逆転したであろう千種さんは、積年の恨みということで志士坂に対してマウントを取り始める。ならば、俺は予定通り、志士坂のフォローをするだけ。

 理由は志士坂に独り立ちしてもらうため。今の状態では志士坂と千種さんとのパワーバランスが逆転して新たなイジメが発生するだろう。

 そうしたらまた厚木さんが介入して、面倒なことになる。

 だからこそ、この二人の関係をなんとかしなければいけない。

「そうだよね。俺も話を聞いたけど、こいつらのイジメは酷かったって」

 俺は同情するように、同調するように千種さんへと優しく話しかける。わざとらしくないように……といっても、俺、演劇部じゃないしな。

「へ?」

「俺は3組の土路。きみはたしか1組の千種さんだったよね」

「そうですけど……」

 不審げな目で見つめる千種さん。まあ、当たり前か。

 一緒のクラスになったこともないので初対面。彼女は俺が何者かは知らない。だけど俺は、千種さんの情報を持っている。

「千種さんはこいつを許せないんでしょ?」

「ええ、そうです。志士坂さんへの怨みは絶対消えませんから!」

 少し興奮している。今までイジメていた相手が、自分より下の立場になっているんだ。彼女にとってはこんな喜ばしいことはないだろう。

「はい。これは俺からのプレゼント」

 と、鞄から取り出したハリセン(張り倒すための扇子)を千種さんに見せる。これは漫才・コントなどで用いられる小道具のひとつである。50センチほどの小型で、厚紙で作ったお手製である。これで叩くと良い音がするんだよな。

「なんですか、これ?」

「謝られても許せないなら実力行使に出れば良い。これで叩くと爽快だよ」

 俺は試しにと志士坂の頭をパシーンっと叩く。

「……?!」

 目をまん丸くして驚く千種さん。だが、口元が緩んだのを俺は見逃さなかった。

「千種さんもやってみると気持ちいいよ」

「う、うん」

 恐る恐る叩いていく千種さん。

違う。もっと強くやるのだ。

痺れを切らした俺は、火に油を注いでやった。

「千種さんの怨みはそんなものなの?」

 わざとらしく煽るような俺の口調。次の瞬間、彼女は力を込めて叩き始める。

 とはいえ、これは音の派手さに対してダメージはあまりない。顔そのものを叩かれない限り、怪我をすることもないだろう。

「あははは……」

 千種さんの叩いている表情がだんだんと狂気じみてきた。

 志士坂は相変わらず頭を下げたままで、その攻撃を甘んじて受け入れている。

 数十回叩いて、それが加速しそうな感じを察した俺は、千種さんの手を止めた。

「どうだい? 千種さん。今のが加害者の気持ちだよ。クセになるかい?」

「え?」

 彼女はハッと我に返るように、口を開けたまま硬直する。

「人間同士のパワーバランスは簡単に(くつがえ)るんだよ。イジメられていた者が次の日にはイジメ側に回ることなんて珍しくない。被害者だから正義じゃないよ。被害者だろうが、誰かをイジメれば加害者になる」

「けど……わたしはあなたに言われて」

 言い訳だ。ま、それも予定通り。

「志士坂もそうだったんだよ。あの二人に役割を与えられて千種さんをイジメていた。根っこは同じだよ。あいつもきみも心の弱い人間ってこと」

「……そんなの詭弁です。こんなのはイジメじゃありません」

 千種さんは、手に持ったハリセンを見つめる。きっと誰かを痛みつけることを「楽しい」と感じてしまったのだろう。

「頭を下げて無抵抗な弱い人間を叩くことはイジメじゃないのか? じゃあ、イジメの定義ってなんだろうな」

「そ、それは……」

「本当なら千種さん、キミは俺に言われても拒否すべきだった。自分は悪くないって主張するのであればね。けど、千種さんは止めないばかりか、我を忘れて志士坂を叩き続けようとした」

「わたしは……」

 しかしまあ、傍から見ればイジメっ子を追い詰める俺って、極悪すぎて津田と南と同列の存在なんだろうな。自覚しているからって、許されはしないだろうけど。

 でもさ、俺はそれでも自分の策を貫き通すだけ。厚木さんさえ幸せになればそれでいい。そのための策略なんだから鬼にでも悪魔にでもなるってものだ。

「俺は千種さんを責めたいわけじゃない。理解してほしいんだ。イジメられる苦しみをよく知っている千種さんなんだからさ」

「わたしにどうしろっていうんですか? 志士坂さんを許せと?」

 こちらを睨むように見る千種さん。ひとつ間違えれば、俺は彼女から敵扱いされる。そりゃそうだ。まるで志士坂を庇っているように見えるんだからな。

「許さなくていいよ。ただ、本気で許せないなら、そのことを忘れない方がいいよ。元イジメられっ子だからって、将来的に誰かをイジメないとは言い切れない。いつ加害者になってもおかしくない。それがわかっただろ?」

「わかりましたけど、それがどうしたんですか?」

「被害者の気持ちだけじゃなくてさ、今の体験で加害者の気持ちもわかったでしょ? 誰かに執着するってことが、どれだけくだらないことかって気付かない?」

 まあ、説教するのは目的じゃない。この辺にしておこう。ここでの勝利条件は、志士坂と千種さんの和解じゃない。

「そうかもしれないけど……」

「志士坂に仕返しをしてやりたいなら、イジメ返すより自分が幸せになることだよな。こいつは中途半端に反省なんかしたもんだから、一生惨めに悔やんで生きていくだろう。せっかくイジメから解放された千種さんが、それに付き合う必要はないだろ?」

 彼女たちを無理矢理和解させても上手くいくわけがない。それだけイジメられた心の傷は消えない。

 『償わせればいい』という考え方もあるが、それではパワーバランスが逆転するだけ。元被害者が加減を間違えれば、ただのイジメのスタートだ。

 イジメの被害者を加害者に変えることが果たして良い結果を生むのか?

 個人的には接点を切るのが一番だと思っている。

 お互いにお互いのことを忘れて生きていけばいい。ただし、イジメっ子がイジメたことを忘れるなんて許せないという人もいるだろう。

 けど、そんなのは本当に酷いイジメにあって人生を台無しにされた者の言葉だ。

 まだやり直しのできる人生を、イジメっ子のことだけを考えていくことがどれだけ愚かか。虐められたことをバネにして、その後の人生を生きられるほど強い人間ばかりじゃないんだ。

 ましてや千種さんのような心の弱い人間は、いつまでも負の感情に関わるべきじゃない。

 復讐だけが生きる目的なんて悲しすぎる。そんなのは相当歪んだ人間の末路だ。

「忘れろって言われても忘れられないですよ」

「だから、そういう場合は関わらなければ良い。千種さんが志士坂に直接的な仕返しがどうしてもしたいなら無視するだけでいい。千種さんが自ら手を染めて犯罪的な行為で復讐する必要なんてないんだよ」

「それはそうですけど……」

「俺はちょっとした事情から、津田と南にこれ以上悪事をさせないために動く」

「事情?」

「まあ、いろいろあるんだよ。で、その影響でたぶん、千種さんには二度と関わらせないようにするよ。あと、ちょっとした仕返しもね。あの二人を明日から観察して見るといいよ。面白い事が起きるから」

「面白いことですか? あの二人はそれ相応の報復を受けるんですね。ならいいです」

「あと、そこにいる志士坂にも千種さんには関わらせないよ。彼女はこれからずっと、キミをイジメたことを悔やみながら生きていく。惨めな人生を送るんだ。だから、これからは胸を張って青春を楽しめばいいよ」

「……」

 今さら青春なんか楽しめないと言いたげだ。

「イジメっ子のために、人生を棒にふるなんて馬鹿らしいでしょ?」

「んー……」

「それとも志士坂に付き合ってクソつまんねー人生を送るかい?」

 千草さんは苦笑いをする。

「それはいやかなぁ」

「あと、なんか悩みがあったら放課後に図書室の北志摩先生を訪ねてみ。あの先生、わりと頼りになるぞ」

 千種さんに関しては、あの先生に丸投げしても罰は当たらないだろう。

「相談に乗ってくれますかねぇ……」

「頼りになるぞ、あの先生は。噂じゃヤクザもしょんべん漏らすほどらしい。けど、弱者には優しいから千種さんも受け入れてくれるはずだ。居場所がないなら尚更だ」

「う、うん。相談してみます」

「そうそう。だから、千種さんは加害者になるんじゃないぞ。志士坂みたいな、こんな惨めに生きたくないだろ?」

 千種さんは、まだ頭を下げたままの志士坂を見下ろしながらしばらく考え込む。そして、何か悟ったようにこちらを向く。

「そうですね……その通りだと思います。じゃあ……えっとツチ……ミチくんだっけ? 他のクラスなのにいろいろとありがとう」

「ああ。じゃあな」

 彼女は去って行く。残ったのは俺と志士坂。

「ありがと」

 ようやく顔をあげた志士坂が何か吹っ切れたような顔でそう呟く。

「礼を言われるようなことはしてないぞ。おまえは一生十字架を背負って生きていくんだからな」

「そうだね。あたしのしたことは消せない。あたしはもう幸せになってはいけないのかな?」

「うーん、まあ、千種さんの前で見せびらかすような幸せは、たしかに控えた方がいいけど……でも人並みな幸せを掴む自由はある」

 ま、あくまで自由であって誰かに阻止される場合もあるけどな。

「え?」

「そんなことで驚くなよ。人がどう生きるかは自由。別に誰かをイジメなくても、人を不快にする場合は多いんだぞ」

 そもそも犯罪行為でないなら、それぞれが対処すべきだ。いい人に生きようと思って多数の反感を買う場合もあるし、我が儘に生きて賞賛を浴びることもある。

 どちらにせよ、誰かをイラつかせたり、苦しめたりするのは避けられない。だったら好きに生きればいいじゃないか。

「うん、そうね。誰も傷つけずに生きていくなんて不可能なんだよね」

「だから、同じ過ちを繰り返さないようにな。二度とイジメの加害者にはなるなよ」

「うん」

「後はおまえの人生だ。ただし、幸せは自分の手で掴めよ。俺はもう助けないからな」

「わかってる。それに、もう、ためらわないよ。誰かを助けることを」

 そこには決意の表情があった。気弱で周りに流されていた少女は、ようやく勇気を手に入れたのだ。まあ、そんなものは生きるのに必須ではないんだけどな。

「まあ、そんなに気張んなって」

「あなたには感謝しているの。あたしに勇気をくれたことに」

 そう言って優しく微笑む姿が、厚木さんの表情と重なる。いや……志士坂と厚木さんを比べるなんて、厚木さんに失礼じゃないか!

 とにかく、津田と南から志士坂への執着が消えれば策略は成功、志士坂のフォローは近日中に終了する。

 そうすれば俺も彼女から解放され、そして厚木さんの危険も回避できるわけだ。

 これから始まるであろう津田と南の地獄の日々に乾杯(かんぱい)だ!


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