第64話「これで彼女は助かるのです」

文字数 6,539文字

 少しよろける嗣森だが、すぐに体勢を立て直して「トイレからたった今出てきましたよ」的な演技で高酉に話しかける。

「あっれー、そこにいるの高酉じゃん。懐かしいねぇ」

 その一言で場の空気が変わる。

「……」

 怯えたように嗣森の方を見る高酉。そして、普段からは窺えないような怖い顔で嗣森を睨む厚木さん。

 その顔に背筋がぞくりとする。

「高酉ってシミ高だっけ、相変わらず(いじ)られてるのかなぁ?」

 高圧的にバカにするように、ってのが俺のオーダー。それを忠実に嗣森は演じてくれている。

「……」

 無言で怯える高酉の前に厚木さんが庇うように出る。

「なにか用?」

 学校では聞いたこともないような不機嫌な厚木さんの声。

「厚木もいたんだ。いや、べつにぃ。なんかなついなぁと思ってね」

 嫌みったらしくヘラヘラと笑いながら嗣森は去って行く。彼女の演技はこれで終了。素人にあまり長い台詞を喋らすのは得策ではない。バレてしまったら元も子もないからな。

 嗣森の後ろ姿を厚木さんは目で追いながら、見えなくなるとほっとため息を吐く。そして高酉に優しく声をかけた。

「だいじょうぶ?」
「う、うん。ごめん、また助けてもらった」
「トモダチだから……ううん、違う。わたしはあなたが好きだから、あなたのためならなんでもできるの」
「……」

 再び黙り込んでしまう高酉だが、先ほどの混乱していた状況とは違って、今度は落ち着いていた。だからこそ、不用意な言葉を溢すことはなかった。

「……ごめん」

 厚木さんが頭を下げる。自分でもこの告白が身勝手なものだと理解しているのだろう。高酉をずっと見てきた彼女が、性愛感情の方向を知らないわけがないのだから。

「ううん、謝るのはあたしの方かも。あたしね、まりさに言わなくちゃいけないことがあったの」
「ん? なに」

 厚木さんの方も落ち着いてそれを聞く体勢にある。自分がフラれることが確定なのは自覚しているのだろう。それでも彼女は完全な拒絶を望んではいない。

「あたしね……その、蒼くんと付き合うことにしたの。だから、まりさのこと嫌いじゃないんだけど……ごめん」
「え? あれ? そういえば最近、蒼ってアリスの話ばっかりしてたっけ」

 予想外の答えにポカンとなる厚木さん。拒絶までは行かなくても、純粋にフラれるだけだと思っていたのだろう。ところが、フタを開けてみれば仲の良い自分の弟と最愛の彼女が付き合っていたという結末だ。

「10日前に告白されて、それで付き合うことになったんだけど、蒼くんが恥ずかしいから『まり姉には黙っててほしい』ってお願いされて……その」
「……そうなんだ。なんか変だなって思ってたんだけど、そういうことだったんだね」

 苦笑いを浮かべる厚木さん。

「あなたの最愛の弟くんをとってしまってごめんなさい。けど、あたし、あの子のことが好きなんだと思うの」
「ううん、いいよ。というか、蒼とアリスがケッコンすればアリスはわたしの妹なんだよね」

 緊張して張り詰めていた厚木さんの顔が少し緩んでいく。

「ケ、ケッコンって、気が早いよぉ、まりさぁ」
「でも、なんか嬉しい気もする。わたしはアリスが離れていってしまうような気がしていたから」
「離れるどころか、まりさの家に行く頻度も上がるかもね。今度3人でデートしようよ」

 高酉が笑顔を見せる。その顔にはなんの迷いもない。

「そうだね。アリスと蒼と3人でずっと仲良くいられたらいいね」

 そんな理想を語り出す厚木さん。彼女がそれで幸せでいられるのならいい。

 生きてこの世界を歩んで行けるのなら、どんな幸せだって見つけられるはずだ。

「ねぇ、土路くん」

 隣の志士坂が小声で話しかけてくる。だが、ここで返答するわけにはいかない。

「……」

 俺は厚木さんたちにバレないようにと、そのまま帰路に就く。志士坂も無言で付いてきた。

 今作戦は終了。未来演算通り、告白の件は大事には至らなかった。あとは次の手に移行するだけ。それは優しさのかけらもない残酷な一手。

「土路くんはこれでいいの?」
「なにがだよ?」

 俺の言葉には若干苛つきが混じっている。原因はわかっていた。

「厚木さんの幸せには、あなたは含まれない」

 志士坂のその言葉は、考えたくなかったことを思い出させてしまう。

「志士坂、作戦はまだ終わっていない。この段階で彼女の自殺する確率は大幅に減少しただけで、ゼロではないんだ」
「うん。そうだね。厚木さんの問題は完全に解決されたわけではないもんね。彼女は心に常に爆弾を抱えている」
「そう、だからこそ、ゼロに近づけるためにセーフティーを設けるんだ……」

 最終的な作戦は志士坂には伝えられない。これは、彼女の心を誘導するのだから。

 いや、こんなものは作戦ではない。人の心をもてあそぶだけのゲスの所業。それでも厚木さんが助かる可能性があるのなら、躊躇なんかしていられない。

「なに? そういえば土路くんは、最後の作戦だけはあたしに教えようとしなかったね」

 志士坂のその言葉に俺はぎくりとする。

「……」
「嗣森さんを厚木さんたちにぶつけることで、高酉さんのトラウマを誤魔化すことができるのは理解できた……けど、それだけじゃ厚木さんの自殺を完全に止めることができない。それは、あたしもわかっていたんだ」
「……」

 もしかしたら志士坂は気付いているのかもしれない。

「けど……不思議に思ったの。完璧な作戦を立案しようとする土路くんにしては、詰めが甘いなって。それは単純に、最後の作戦をあたしに伝えてなかっただけなんだね」
「ああ、その通りだ」

 俺のその言葉に、志士坂はため息を一つ吐く。

「ずっとあなたのことを見てきたから、あなたが何をあたしに求めているのかはわかるよ」

 彼女は、俺の導いた答えに自力でたどり着いてしまったのかもしれない。この可能性も演算できている。

「……」
「厚木さんには同じ境遇の理解者が必要。それも同性でなければならない」

 彼女の目はまっすぐに俺を向く。そこには、いつもの自信無さげな少女の姿はなかった。

「さすがは志士坂だな。俺の教え子としては申し分ない」

 俺の言葉に彼女は一瞬、眉を顰め、そして何かを諦めたかような寂しそうな顔を見せる。

「できればあたしは、あなたを師として仰ぐのではなく、一人の女の子として向き合いたかった……」
「はっきり言わないと伝わらないぞ。今の俺は厚木さんしか見えないからな」

 それは半分嘘で半分本当であった。志士坂の気持ちはすでに気付いている。志士坂が、その恋心をずっと言えないで誤魔化しているのは知っていた。それでも彼女の口から直接言わせないとならない。

「……やっぱりあたしの思った通りだ。あたしはあなたに告白しなくてはならないのね」
「……」

 余計な返答はしない。状況に変化があってはならない。このまま定められた未来を進むだけ。優しさなんてものは不要だ。

「直接言うのって、すごい勇気がいるんだよ。しかも、結果はわかりきっているのに……土路くんってやっぱりいじわる……ううん、残酷だよ」
「……」

 沈黙を貫く。自分がずるい人間だというのは自覚していた。酷い事だと分かっていても止められない。

 志士坂は、俺に向き直ると、緊張した面持ちで大きく息を吸う。

 そして、見つめていた目を一瞬反らすが、それではいけないと思ったのか首を振り、覚悟を決めた表情で真っ直ぐと俺を見つめる。

「あたしはあなたが好き……助けられてから、ずっとあなたに憧れていた。あなたのように強くなりたかったの」
「おまえは強くなったよ。もう、昔のおまえじゃない。だから、俺は必要ない」

 俺は決められた未来をなぞるべく即答すると、志士坂の表情がわずかながら歪みを見せる。

「あたしにはあなたが必要なの!」

 志士坂がこれほど自分の感情というものを出してきたのは初めてだろう。いつも周りを気にして、何かを演じていた少女は、もうそこにはいない。

「俺は厚木さんが好きだからな。おまえとは付き合えないし、どうせおまえを利用することしかできない」

 俺は淡々と答えを返していく。が、諦めきれない志士坂が心の内を吐き出すように、こう告げる。

「厚木さんはあなたに振り向くことはないんだよ!」

 そんなこと承知の上だ。とはいえ、誰かの口からその言葉を聞くのは心が痛む。

「それでも俺は……厚木さんが一番なんだよ」
「それじゃあなたは、ずっと厚木さんの呪縛から逃れられないじゃない!」
「そうだな」

 それは認める。だからこそ、全力で彼女を救うのだ。

「あたしを選べば、あなたは厚木さんから解放されるのに……ううん、あたしもズルいね……こんなこと言うなんて」
「悪い……おまえを選ぶことはできないんだ」

 志士坂は涙をぼろぼろとこぼしていた。言いたくない告白をさせられ、そして予想通り俺にフラれるという結末。精神的に追い詰められているのは目に見えてわかる。

「あたしは……ずっとあなたを見てきたから、あなたのその答えもわかっていた。だから……だから、告白なんてするつもりもなかったの。なのに……なのに……ぅぅ、っ」

 しまいには泣き崩れてその場にしゃがみ込んでしまう志士坂。誰かに見られたら、俺はとんでもない悪い男に見えるのだろうな。いや、悪い男だという自覚はある。

 付き合うつもりもない女子に無理矢理自分へ告白させ、それを無慈悲に断るという史上最悪の策略。最低で胸くそ悪い手法だ。

 さて悪は滅ぶべきだろう。俺は最後の一手を決める。

「なあ、志士坂。俺は文芸部を辞める。あとは頼んだぞ。おまえの居場所はお前自身が守れ」

 その言葉に、はっとして何かに気付いた志士坂が俺を見上げる。

「あなたは、あなた自身もその策略に組み込んでしまうのね……」

 察しが良すぎる志士坂は、最後の最後に俺の真意を見抜いていた。とはいえ、そんなことを答えるわけにもいかない。

 俺は無言で彼女の前から去って行く。

 これですべての準備は完了。

 志士坂は俺にフラれたことで、厚木さんと同じく『絶対に振り向いてもらえない相手に告白した』という境遇を得られる。

 厚木さんは志士坂に同情し、親身になって彼女を慰めるだろう。高酉の件ではダメージが軽微であったから、相談に乗る余裕も出てくる。

 昔のように、俺とはベクトルの違う『問題解決能力』を発揮する厚木さんに戻るのだ。

 そして、志士坂は彼女の前で泣きながら想いをぶちまけるはず。さらに俺が文芸部を去ったことを告げ、俺自身も厚木さんと同じ境遇だということに彼女自身が気付いてくれればいい。

 それに文芸部は俺抜きでも、きちんと機能する。

 黒金の奴が先陣を切って俺への悪口大会を始め、厚木さんもそれに乗って、多少なりとも不満を吐き出すはずだ。

 同性のみの集団となるのだから、気を遣う必要もないし、彼女の負担は確実に減っていく。

 ストレスを無くすことは、彼女が自死を選択する可能性を大きく減らしてくれるのだ。

 それに今回の作戦の肝は、彼女に呪いをかけること。

 つまり俺と志士坂という生け贄を捧げることで完成する『忘れられない想い出』という呪い。一歩間違えば自殺の可能性を高めてしまうこの呪いは、こと厚木さんにおいてはうまくいく。

 これは、厚木さんと志士坂の絆をより強固とするものになるのだ。

 心の中まで見えないが、この二人の関係は親友以上のものになるだろう。お互いに信頼できるパートナーとして今後の人生を共に歩んでいくはずだ。

 それは、ラプラスの未来視の二人の様子から窺えた。

 これが彼女の心のセーフティーとなって、死のうとする気持ちにリミッターを設けてくれる。

 実際、彼女の自殺フラグはこれ以降は綺麗に消え去ることを、演算で確認している。

 まあ、厚木さんの性格だからしばらくは俺に文芸部に戻ってほしいと話しかけてくるだろうけど、適当にそれを躱していればいつか諦めるはずだ。

 図書委員の貸出受付当番も厚木さんと一緒にならないように、北志摩先生に頼みに行くか。いや、それよりも当番をさぼって、図書委員自体をクビになったほうがいい。

 多少は内申に響くかもしれないが、まあたいしたことじゃない。

 これにて終了。俺は救われない……けど、確実に厚木さんが救われるべき未来は開かれた。

 俺は、彼女さえ生きていてくれればそれで……。


**


 夏休みというのが幸いして、一週間ほど文芸部の面々と会わずにいられた。スマホにはSNS経由で未読メッセージが溜まっていき、ついには厚木さんや黒金から直接電話がきたりもした。

 もちろん、それに出る事はなかった。

 そんな時に、さらに電話がかかってくる。

 スマホのディスプレイには『美浜有里朱』の名前が表示されていた。これは出ないわけにはいかない。

 有里朱さんか。なんの用だろう?

 俺が電話に出ると、陽気な声がスピーカーから響いてくる。

「ドロシーちゃん、元気かな?」
「……まあまあですかね」

 気力を振り絞ってそう答える。

「例の件はどうなったの?」
「例の件?」
「キミが書いていた小説だよ。終わりまで書けたんじゃないのかな?」

 そういえば『そんな設定』で相談していたんだっけ。

「えーと……まあ、終わったといえば終わりましたかね。ヒロインの自殺は止められましたから」
「口頭でいいから、そこらへんを詳しく教えてくれない?」

 ヒントをくれた恩人でもあるので、邪険には扱えない。なので、事の顛末を彼女に話すことにした。もちろん、物語の中の出来事のようにわずかに脚色はする。

 話を聞き終わった有里朱さんがため息を吐いた。そして、こう呟く。

「はぁー……ドロシーくんならわたしのアドバイスの意図を、正確に汲んでくれると思ったんだけどね。残念だわ。そんな結末、読者は誰も喜ばないよ」
「……そうですか? ヒロインは生存し続けますし、誰も死ぬことはありませんよ?」
「あなたは確実性を求めるあまり、己の能力を過小評価した」

 彼女の言葉にドキッとする。

「……」
「たしかに過大評価は愚かなことよ。けどね、自身の能力を把握できていないのはもっと愚かなこと。あなたならもっとうまくできる……書けると思ってたんだけどね」
「……」

 有里朱さんの言葉が心に突き刺さる。慎重になりすぎて、弱腰になっていたのは認める。でも、確実性を求めて何が悪い?

「あなたは良い子ではないみたい。これ以上、あなたにアドバイスをしても意味がなさそうね」
「え?」

 突然にそんなことを言われて俺は動揺する。

「ちなみにわたしは、もうひとりのアリスちゃんから、あなたのことを聞いているわ。それがどういう意味か理解できるよね?」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「あなたは勝利条件を見誤った。ブレないのがあなたの良いところだったのに、残念だわ」

 そう言って通話は切られる。

 なんだ?

 頭が混乱する。高酉はラプラスのことを知らないし、志士坂がそれを喋っても皆が信じるわけがない。だからこそ、高酉がすべてを知っていて有里朱さんに今回の件を話したとも思えない。

 どういうことだ? ぐるぐると思考が空回りする。が、すぐに歯車がカチリと嵌まっていく。

 そうか……そうだよな。

 あの人は俺の書いている小説――なんていう嘘はとっくに見破っていた。俺のトンデモ話を信じて、俺の思考をトレースして、高酉からの話を聞いて状況を把握し、俺が失敗したことを悟ったのだ。

 そりゃそうか。

 当初の予定では、俺も含めて幸せになるはずだった。けど、実際は俺だけでなく、志士坂まで傷つけてしまっている。

 有里朱さんのアドバイスを受け入れて、余計なノイズを排除しようと必死になった故に、その思考そのものがノイズで歪んでしまったのか。

 失敗した失敗した失敗した……。

「……落ち着け」

 声に出して雑念を払う。失敗の原因、その改善案、そしてぶれないための最終的な目標の修正。

 トライアルアンドエラー。

 ラプラスとの思考の中で俺は、よく間違えていたじゃないか。

 これくらいで落ち込んでいられない!!


◆次回予告

物語は、主人公が想像だにしなかった方向へと転換する。

緊急事態にラプラスと彼が下した決断とは?!

次回第65話「未来予知は完璧ではないのです」にご期待下さい!!


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