第19話「なんと言われようと、これはデートです」

文字数 4,134文字


 これはゴールデンウィークのある一日に起きた日常の欠片だ。

 たかが日常というな。

 俺にとっては『我が生涯に一片の悔い無し』といっていいほどの素晴らしい日であったことはたしかだったと思う。なにしろ天使が舞い降りたのだからな。

 事の起こりは休み前の教室でのこと。

「ねぇねぇ、土路クンってフィギュアとか詳しい?」

「は?」

 マンガやラノベに興味を持っているとはいえ、基本的に厚木さんはオタクではない。そんな彼女からの問いかけに、一瞬思考回路が停止しかける。

 もしかしたら、スケートのフィギアかもしれないからだ。

「ごめん。話しが突飛すぎたね。もともと人形は興味あったし、その延長線上にあるフィギュアにも悪い印象は持ってないから安心して」

 そう言われてほっとする。ならば、自分の性癖をさらけ出しても問題はないと判断したのだ。

「にわかではあるけど、実際に自分で何体か買って持ってるぞ」

 俺のデスクトップPCの上には、ゆるーい百合っ子たちが複数陣取っている。プライズゲームで獲ったのではなく、自分でフィギュアショップに通って買い漁ったものだ。

 それほどマニアでもないので、ガラスケースの中に飾るとか、そういうことはしていないが。

「じゃあ、フィギュアとか売ってるとこ知ってる?」

「欲しいのか? 恥ずかしいなら通販という手もあるが」

 オタク趣味が世間に広まってきたとはいえ、あまり濃すぎるジャンルは一般人には手が出しにくいのかもしれない。

「いや、自分の目で見て決めたいんだけど……」

 厚木さんにしては、歯切れの悪い言葉。そこで事情を察する。

「もしかしてプレゼントとか?」

「そう、よくわかったね」

「まさか、高酉か? あいつフィギュアとか好きなのか?」

 あのジト目の彼女がフィギュアを愛でる姿は……まあ、違和感ないか。

「フィギュアってわけじゃないんだけど、ほら、なんかゲームのキャラにハマってて、それ系のものをあげようかなって考えてたの。あの子、予想の斜め上行くようなものじゃないと喜ばないのよ」

「めんどくせー」

「ま、そこがかわいいんだけどね」

 恋敵のプレゼントとはいえ、厚木さん自身が喜ぶならそれもよしとするか。

「じゃ、今度の休みアキバ行くか?」

「うん、よろしくね」


**


 5月の初めとはいえ、気温はだいぶ上がっていて、空は快晴、少し汗ばむ感じの天気だった。

 秋葉原駅の中央改札口で待ち合わせをする。

 11時待ち合わせなので、それに会わせて10分前に付くように電車を調整した。早すぎてもバカみたいだし、遅れるのも失礼だからな。

 来てるのかな? なんて期待を込めながら改札をくぐると、ちょうど真正面の所に厚木さんがいるのがわかった。

 彼女は濃いピンクの短めのキュロットスカートに、白地にモノクロで女性のイラストが描かれたTシャツを着て、その上にスカートと同じ長さの淡いピンクのブラウスを羽織っていた。

「おはくま! 土路クン」

「よう、厚木さん」

 最初聞いた時は違和感しかなかった「おはくま!」という挨拶も、最近は完全に慣れて日常の一部になっている。この挨拶も謎と言えば謎。

 過去にこんな言葉が流行ったという記憶はオレの中にはない。

「今日はよろしくね」

 厚木さんの笑顔が眩しい。

「そうだ。昨日聞き忘れちゃったんだけどさ。予算はいくらくらいなの?」

「んー、一万円以内かな。フィギュアってそんなに高いの?」

「ま、高いやつは高いよ。ただ、ものによっては安いのもあるし、中古品って手もあるよ」

「中古かぁ……アリスってわりと潔癖症なところあるからねえ」

「中古って言っても、フィギュアの場合は、ほとんど箱から出さないで転売ってのが多いから、わりと綺麗なのも多いよ」

「そうなの? じゃあ、それも考えておこうかな」

「いちおう、何軒か専門店と中古取り扱い店を回るから」

「うん、よろしく」

「行こっか」

 俺たちはアキバのメインストリートに出る。歩行者天国になっているらしく普段は車が通る大通りにも人がたくさん歩いていた。

「うわぁ。あたし、実は秋葉原に来るの初めてに近いんだよね。昔お父さんに連れられて来たような記憶もあるんだけど」

「そりゃ、マニアックな用事がなければ来るような所じゃないし、都内に住んでいるのならわざわざ観光に来る場所でもないからね」

「あ、でも、この景色みたことある。たしか、なんかのアニメで舞台になってたよね」

 中央通りから見る両脇のビル群や、通りを少し裏手にまわったところにある複合施設は、最近のアニメやゲームの舞台となって描かれることが多い。

「この街は、わりとモデルにしている物語が多いからね……あ、とりあえず一件目はあの店だよ」

 そこはプラモデルやフィギュアなどの企画、開発、製造を担う企業が実店舗として営業している場所だ。

 中に入ると海外からのお客さんも多い。そして、博物館のように綺麗にディスプレイされたフィギュアが俺たちを迎える。

「わわ、すごいね」

「で、高酉がお気に入りのキャラってどんなの?」

「うーん、たしかアイドル育成ゲームのキャラっていってた」

「ソシャゲのやつ? っていっても女性向けアイドル育成ゲームってけっこうあるからな」

「アイドルマイスターとか言ってた」

 わりとメジャーなやつだな。高酉のことだから、副題にSideMとついた男性アイドルのゲームだろう。

「ふーん。じゃあ、わりとフィギュアも作られてると思うから、ここにもあるかもね」

 と、しばらくショーケースの中のフィギュアを見回ると、厚木さんが急に声を上げる。

「あ、この子だよこの子」

 彼女が指差したケースには栗毛のツインテールの女の子がフリフリのアイドルドレスを着てマイク持っているフィギュアがあった。

「え?」

 あれ? 高酉ってノーマルなイケメン好きじゃなかったっけ?

「ああ、あたしも最初驚いたんだけど、この子。いわゆるオトコノコ……男に娘と書いて男の()って読むアレなんだって」

 マジかよ。ゲーム系のキャラはわりと知り尽くしていると思っていたのに……。オタクの世界は奥が深いなぁ。

「そ、そうなの?」

「うん。声優さんも男の人って言ってたよ」

 なるほど、それなら高酉がお気に入りってのも納得できる。

「あ、でも造型はけっこうエロいな」

 俺がフィギュアの出来に感心していると、高酉が値札を見てため息を吐く。

「うーん、やっぱ値段が高いね」

「まあ、専門店だし、新品だからね。これくらいの造型になると、有名な原型師とか使っているだろうから」

 俺たちはそれから何軒かを周り、結局は中古販売店で入手することになる。もちろん、未開封の美品だ。


 昼を過ぎてお腹が空いた俺たちは、学生らしくファストフードへと入る。

 個人的にお気に入りにのバーガーショップでセットメニューを頼み、フレンチフライにはケチャップを付けてもらう。

 少し前までは、ケチャップは無料で配られていたために、ここでポテトを頼む客の半数以上は受け取り時に「ケチャップをください」という人が多い。

 プレゼントを買ってホクホク顔の厚木さんと、図書室や部室と同じような世間話を始める。

「そういやさ。厚木さんのその悪魔っぽいキャラの付いた髪留めって、誰かからのプレゼントなの?」

 今の雰囲気であれば聞けそうな気がしたの、思い切ってその謎へと切り込む。

「ん? どうしてそう思うの?」

「わりと気に入ってずっと付けてるみたいだし、自分で買ったものって結構飽きるでしょ?」

「たしかにそうね。でも、うん。まあ、自分で買ったものじゃないわ。もらったものだから」

「高酉からの誕生プレゼントとか?」

「ううん。わたしの恩人みたいな人からの贈り物。『おはくま!』って挨拶もその人の真似なんだけどね」

「恩人」

「そう。わたしを救ってくれた人」

 その返答にどきりとする。

 もしかしてその人が、俺を助けてくれた子と同一人物なのではないか? そんなことを考えてしまう。

「今も付き合いあるの?」

「だいぶ前に引っ越ししちゃってそれっきり」

 その時、店内を走り回っていたガキの手が厚木さんの胸元に当たる。だが、悲劇はそれだけではなかった。

 ガキの持っていたケチャップの中身が、袋から勢いよく彼女のTシャツにかかってしまう。

 それに気付いたガキが、ごめんなさいと謝る。俺が怖い顔でにらんでいるせいか、泣く寸前であった。

「あー、大丈夫だよ。そうだねぇ……」

 厚木さんは立ち上がると、かかったケチャップを指でぬぐう。首を傾げて「うーん」と悩んで、今度は指に付いたケチャップをTシャツのあちこちに擦りつけていく。

「厚木さん?」

 俺が心配して声をかけるも彼女は「大丈夫大丈夫」と言葉を返すだけ。そして厚木さんの不思議な行為が終わると、そこで彼女のやりたかったことがわかる。

 モノクロだったイラストに、ケチャップの赤で唇や頬や目の周りが彩りを見せていく。それぞれが口紅、チーク、アイシャドーという役割をこなしていた。

 それまで見慣れていたはずのモノクロイラストが違ったものに見える。それは芸術的ともいっていいだろう。

「どう?」

 ドヤ顔の厚木さんだけど、素直に凄いと思える。

「すげえな厚木さん」

「おねえちゃん、すごい!」

「えへへ、ありがと」

 俺とベクトルは違えども、トラブル解決に長けた能力。

 もしかしたら俺と同じ恩人に、それらの手解きを受けている可能性はある。もちろん、証拠はないが。

 だが、その謎はずっと頭の隅に引っかかっていた。

 厚木さんと瓜ふたつの悪魔と名乗る少女。

 俺を闇からすくい上げ、世界に喧嘩を売る方法を教えてくれた彼女。

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