第74話「悪魔からのお願いなのです」

文字数 4,552文字

 俺は、ラプラスが設定した6年前の日付の意味を悟ってしまう。

「まさかとは思うが、リセットした次の日って、両親が大喧嘩するんじゃないのか? それは同時におまえの人格が生まれた日でもある」
「……そうだよ。わたしが厚木球沙の中に発現したのは2014年9月7日10時37分」

 視線を逸らしてようやく彼女は答える。

「リセットをかけたら、おまえは消えるんじゃないのか?」

 ラプラスの提案で引っかかっていた点。なぜ6年前なのか?

 それは元凶である自分が消えることで、すべてをなかったことにしたいのだろう。なぜなら、記憶を持った厚木さんが過去に戻っても人格は分裂しない。つまりラプラスは二度と生まれない。

「あははは……」
「笑い事じゃないだろ!」

 リセットは俺たちが生まれる前にも設定できる。記憶は持ち越せるが、本体がなくても問題はないと、さきほどの彼女自身が語っていた。

「どうせ消えるはずだったんだし、これではっぴーえんどだよ。悪魔に奪われるくらいなら、最初っから存在していなかった方がマシじゃない?」

 まだ彼女は、俺の方に顔は向けない。逸らしままの視線でラプラスはそう告げる。心なし、表情に陰りが見える気がした。

「……」

 俺は何も反応できなかった。主人格である厚木さんさえ助かるのなら、それは俺の本望であろう。

 けど同時に、これまで相棒として接してきたラプラスの消失を意味する。けどそれは、厚木さんを目覚めさせる確実な方法であることに間違いはない。

 二者択一。

 なにがあろうと厚木さんを優先する。それはオレの中では変わらない。けど……また、誰かを犠牲にしなくちゃいけないのかよ。

 全員が幸せになれるハッピーエンドはないのか?

「なに辛気くさい顔してんのよ」
「……」
「もしかしてあたしを助けたくなっちゃった?」

 彼女は笑いながら軽口を叩く。冗談であることはわかっている……いや、もしかしたら一縷の望みをかけて本音を言っているのかもしれない。

「……」

 答えに躊躇する。実際に、俺は迷ってしまっていた。最愛の厚木さんを優先しなければならないというのに、古い相棒に情が移ってしまっているのだろう。

「楽しかったよ。あなたに会えたことも、あなたに弟子にしたあの中学の頃も、その後、未来予知を使って、あなたといろんな問題を解決してきたことも……」
「……」

 彼女の笑顔が崩れていく。無理をしているのがまるわかりだ。

 胸が苦しくなる。ラプラスは助けられない。なのに……主人格の厚木さんを助けるという選択を俺は選べない。

 このままラプラスと憎まれ口を叩きながらも、楽しい日々が続いていくのだと思っていた。

 俺は選択しなくてはいけない。

 最愛の女の子を全力で助けるのか、それとも大切な相棒を守るのか。

「さあ、最後のあんたの策略を訊かせて。どうやってサイトーにリセットをかけさせるか」

 ラプラスがまっすぐに俺を見つめる。もう逃げられない。


**


 俺たちの目的は斉藤の悪行を止めること。

 ラプラスの提案はたしかに根本的な解決になる。だが、そんなのは悲しすぎるだろ。

 だから俺は、他に何か有効な案はないかを考えた。

 この前のストーカーのように、斉藤を厚木さん(ラプラス)以外のものへと興味を移す方法をラプラスに演算してもらう。が、奴はまったくブレずに己の想いを貫き通す。それは病的とも言えるほどの執着だ。

 この間のストーカーがマシに思えるほど、斉藤の想いは堅牢堅固なものだった。

 彼の事をよく知るラプラスは、俺が演算を頼まなくても結果を知っていたのだろう。

 だからこそ、最後の手段として自身の消失を切り札として選んだのだ。

「ラプラスが消えるくらいなら、斉藤の奴を消した方が……」

 思考が濁っていく。こんなのは悪手だというのはわかっているのに。

「ダメだよ。彼を殺したらあなたは消えない罪で壊れてしまう。それに、そんなことをしたらオリジナルの厚木球沙の人格は破壊されてもう二度と浮上しないよ。まあ、それはつまり彼の願いを叶えるのと同じ事なのかもしれないけどね」
「え?」

 いや……俺はその可能性に気付いていたはずだ。

「悪魔の取引はたぶん、サイトーも同じ。彼も魂を要求されたはず。彼の願いはオリジナルの厚木球沙を破壊し、あたしの人格をこの肉体に定着させること。そして、その願いが叶えばサイトーの人格は消失する」
「奴も多重人格なのか?」
「違うと思うよ。悪魔に魂を抜かれたら、ただの肉塊に成り下がる。生命活動を維持できるのかどうかまではわからないけどね」

 自分の命をかけてまでラプラスを守りたい。それは言うなれば俺と同類であり、正反対の立場でもある。

 好きな子を守りたいという純粋な気持ち。それは命にかえてもだ。

 そういう意味では、お互いに解り合える友人になり得たかもしれない。

「奴は自分の魂をかけてまで、おまえを復活させたいんだよな。女冥利に尽きるんじゃねえか?」

 斉藤も斉藤なりの信念と純愛で動いている。だからこそ奴の目的は絶対に曲げられない。

「重すぎるのよ。あいつの愛は」
「まあ、俺も似たようなもんか。厚木さんのためなら命だって懸けられたからな」

 斉藤への憎悪はたぶん、近親憎悪に近い。俺たちは似た者同士なのだろう。

「だったら迷うことなんかないでしょ」

 ラプラスの表情が変化する。優しい聖母のような笑顔に思わずドキッとした。それはオリジナルの厚木さんと見間違うほどの尊い姿だった。

「……」
「ありがとう。迷ってくれて。その思考だけで、あたしは嬉しいよ」
「ラプラス……」

 そんな顔をされたらますます決断できなくなる。だが彼女は、俺の心情を察したのか、優しげな表情は崩れ、その中から険しい顔が表れる。

「サイトーを止めないと被害は拡大するだけ。決断して、お願い!」

 厚木さんが大切なら「とっとと決めろ!」と尻を叩いてくる。いや、実際に叩かれたわけではないが、そのプレッシャーは感じた。

「……」
「それにこれはサイトーのためでもあるの。あたしが消えれば、彼の願いは永遠に叶わない。サイトーは助かるのよ。彼が罪を償うなら、生きてこの世で償うべき」
「……ラプラス」

 彼女がそこまで考えていたとは……。

 覚悟を決めるべきだ。

 他に斉藤を止める作戦は思いつかない。ラプラスの演算でもうまくいく方法なんて見つからない。効率重視の俺が彼女の提案を呑まない理由はない。

「……わかった。やるよ」
「ありがと」
「けど、おまえ……未練はないのか?」

 ついついそんなことを聞いてしまう。ないわけがない、というのはわかっているのに。

「んー、そうだねぇ……未練はアリアリかもね」
「……」

 苦笑いする彼女の返答に心が痛む。せっかく下した決断を撤回しそうになる。それが顔に出てしまったのか、ラプラスは俺にこう告げる。

「申し訳なく思うならさ、あたしのお願いを一つ訊いてくれない?」
「お願い?」
「あたしとデートしよ!」


**


 事実上、厚木さんとのデートといってもいい。肉体は同じなのだから。

 前にアキバへ買い物に行ったときとは状況が違う。

 彼女は俺の左手を握り、楽しそうに話しかけてくる。まるで恋人同士のようにだ。

 買い物に付き合って、レストランで食事をし、その後はゲーセンのプライズ機で遊んだり、最近また流行りだしたというプリクラで一緒に写真を撮ったりと、どう考えても付き合い初めのカップルが行きそうな安直なデートコースであった。

「あーあ、こんな写真、主人格の厚木さんが見たら卒倒するんじゃないか?!」

 出力されたシールを一枚、嬉しそうに自分のスマホの裏面に貼るラプラス。

 画像には『ずっとともだちだよ』の文字とともに、厚木さん(中の人はラプラスです)が俺にべったりと抱きついて幸せそうな顔をする表情が印刷されていた。

「どうせリセットすれば、このシールもなかったことになるんだよ」
「……」

 ズキッと胸が痛む。そんなにさらっと言うなよな……。

「次行こう!」
「今度はどこに行きたいんだ?」
「繁華街をあてもなくブラブラってのもいいけど、もうちょっと静かなところがいいなぁ。二人っきりになれるところに」

 そう言われてドキドキしてくる。中身がラプラスということがわかっていても、鼓動は速くなるばかりである。

 そうして連れてこられたのは河辺の土手道。談笑しながら、そこをしばらく歩いて行く。ここは厚木さんの家の近くであった。

 穏やかで優しい時間。でも、そんな楽しい時はあっという間に過ぎていく。

 もうすぐ日も暮れる。河川敷の広場で遊んでいる子供もまばらだ。

 ラプラスは両腕を上げ、伸びをするとこう告げる。

「今日は楽しかったよ」

 夕暮れの気まぐれな風が頬を撫でる。

 目の前の厚木さん(ラプラス)の髪もふわりと風に靡いた。彼女の表情は柔らかく微笑み、本当に楽しかったのだろうということが疑いもなく読み取れる。

 思わず見とれてしまった。

 肉体は厚木さんそのものであるのだから、それは俺にとっては当たり前のこと。

 本来なら触れることすら許されない少女と手を繋ぎ、恋人同士のように過ごした一日。

 まるで夢のような世界。いや、夢だったとしても俺は納得してしまうかもしれない。

「俺も楽しかったよ」

 その返答に、ラプラスはふいに目を逸らして何か言いたそうに口を開きかける」

「……ぁ」
「……?」

 なんだ? と思って首を傾げる。さきほどまで、言いたい放題、好き放題に俺を連れ回していたというのに。

「ぁのさぁ」
「なに?」
「キ……綺麗だよね。ここからの夕陽」

 川面に反射するキラキラとした光は、この時間が一番綺麗に映るかもしれない。

「そうだな」
「……」

 ラプラスは景色も見ずに俯いてしまう。何か様子がおかしい。

「あたしたちってさ、最強のコンビだよね」
「ああ、というか、なんだよ急に」
「え、あ、だからさ、なんというか……」
「おまえ、キョドってね?」

 視線が定まらず何か落ち着きのない様子のラプラス。

「だって……なんか緊張するし」
「緊張? 今まで散々連れ回しておいて今さら何を言う」
「はぁー」

 彼女が大きくため息を吐いた。

「……何か言いたいことがあるのか?」

 そこでようやく察する。今日は彼女が自由に行動できる最後の日といってもいい。明日の作戦で、リセットが行われた場合、ラプラスは消失するのだ。

 「やっぱりやめたい」そう弱音を吐かれたしたら、俺は素直にそれを受け入れてしまいそうだった。

 ところが、俺が考えていた事とは少し違った言葉が彼女の口から告げられる。

「うん……あのさ、最後のお願い聞いてくれない?」
「え?」
「想い出作りの一環だよ。とても簡単なこと」

 ようやくラプラスの視線がこちらを真っ直ぐに捉える。何か吹っ切れたものがあるのだろうか。

「まあ、俺に出来ることなら」

 逆に俺の方が照れて、彼女から視線を逸らしてしまう。

「ねぇ」

 そう促されて再び彼女に目を合わせる。少し潤んだ瞳、ほんのりと紅潮した頬、そして艶やかな唇。

「……」

 胸の鼓動が高まり、息を呑む。

「……キスして」

 目蓋が閉じられ、彼女の顔から目が離せなくなる。


◆次回予告

斉藤を追い詰めるための「悪魔の誘惑」作戦が、ついに発動する。

次回「悪魔のベーゼなのです」にご期待下さい!!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み