第13話「北の魔女はなんだか恐ろしいのデス」

文字数 5,906文字


 次の日になると津田と南は、嫌がらせの方針を変えてきた。お手軽な物理的手法から心理的嫌がらせを行ってくる。

 昼休み。静かに本を読んでいる志士坂のもとへと津田と南の二人が近寄ってきた。俺はクラス全体を見渡し、厚木さんがこの場にいないことを確認する。

 彼女さえいなければ志士坂たちに介入することもないだろう。というわけで、放置。ここらへんはラプラスと答え合わせ済み。

「ねぇねぇ凛音」

「なーに読んでるのぉ?」

「え?」

 わざとらしい二人の問いかけに、志士坂は顔を強張らせた。

「ちょっと見せてよぉ」

 と言って、津田が志士坂の持っていた文庫本を取り上げた。そしてそのブルーの書店ブックカバーを外して表紙をさらけ出す。

 それは俺が貸したホラー系のコミック。萌え系とグロ系の混ざった独特の絵柄が特徴的なものだ。

「うわー、キモイ」

「凛音って、こういうの好きだよねぇ」

 2人は不快な感情を隠しもせずに表に出す。ここで俺が介入してもいいんだが、それでは志士坂が自らイジメを跳ね返すというミッションが実行されない。

 まあ、そのミッションが失敗するのはラプラスから聞いて確定済みなんだけどね。

 とにかく、志士坂にはもう少し強くなってもらいたい。なんでも俺が助けたのでは意味がないのだ。これも訓練のひとつ。たくましく育ってくれ。

「ちょっと返してよ。それ借りた本なんだから」

「キモイよこれ」

「そういや凛音って高校デビューだったもんね。昔はこういうのばっか読んでたんでしょ? 今もちょっと垢抜けないよね」

「そうそう。あたしらが、メイクとかいろいろ教えてあげたのに。まーた、地味子になってきてるよ」

「返してよ……」

 志士坂は少し涙目になりかけている。仲間がいなけりゃメンタル弱いんだよなぁ、こいつ。というか、あの小悪魔系の強気はメッキだったんだろうけどさ。

「結局、中坊時代に戻ってんじゃないの?」

「ま、高校デビューなんて、所詮、アイドルみたいなもんだからね」

「ちやほやされるのは一時的ってか」

「そうそう、本物じゃなければ潰れるだけだよ」

 口を固く閉じて何も言えなくなってしまう志士坂。

「……」

 本来ならそこで「あんたたちには関係ないでしょ? 人の趣味に対して文句を言うのっておかしくない?」とでも強気に出れば、少しは相手の態度も変わるのだろうけどな。

 ちなみに俺が最後まで介入しなかったのは、この後ラプラスの未来予知が変わるのを防ぐためでもある。俺が余計なことをすると厚木さんが危険になる可能性が出てしまうからだ。

 ある程度志士坂をからかった津田と南は満足げに去って行く。残された彼女は固まったまま両手を机の上で握りしめてプルプルと震えていた。今にも泣き出しそうな感じである。

 とりあえず今は耐えてくれ。俺の策で明日以降はあいつらのことをなんとかできるから。

 そのあと、放課後もトイレでもネチネチと口撃されたらしい。精神ダメージをさらに受けて精神崩壊寸前の志士坂は肩を落として帰っていく。

 未来予知によれば今の段階では自殺の心配はないので、放っておいた。下手な干渉は未来が変わるので御法度である。といっても、どの程度の干渉で未来が変わるかはラプラスのみが知るわけだが。

 その間に俺は、志士坂の居場所確保のための準備に取りかかる。

 図書室へと向かった。今日は受付当番ではないが、司書担当教諭の北志摩(きたしま)先生に相談があるのだ。

 司書室を開けると2年1組の図書委員である河野公太と峰ヶ咲春江がイチャついていた。こいつらが付き合ってるという話は聞いたことがなかったのだが……まあ、そういうことだね。

 不意を衝かれた二人とも俺の存在に気付き固まっている。

「あれ? 北志摩先生は?」

 俺は何事もなかったように河野へと質問する。

「……あ、うん、さっき職員室に忘れ物取りに戻ったみたいだから、すぐ来るんじゃね?」

「あ、そう。じゃあ、待たせてもらうわ」

「あれ? 土路君、今日当番じゃないよね?」

 慌てるように河野から少し離れた峰ヶ咲は、俺に対してそう聞いてくる。

「そうだよ。北志摩先生に用があるんだ。別にお前らが付き合ってることは言いふらさないから安心しろって」

 その一言で峰ヶ咲は赤面して俯き、河野はおもむろに立ち上がると「受付しないと」と出て行ってしまう。おいっ、カノジョを置いてくなよ。

「ちょっと先生に込み入った相談があるから、席外してくれると嬉しいかな」

 俺の方が気を遣ってしまったじゃないか。

「あ、うん、そうだよね。あたしも当番だった」

 と言って出口に駆け出していく峰ヶ咲。

 リア充爆発しろ! と、昔の人は言ったという。うらやまけしからんと、他人の恋を羨む風潮は時代を経ても変わらないのかもしれないな。

 そういえば、図書委員で当番同士になって告白すると、想い叶うという言い伝えがある。まあ、当番同士で仲良くなれば付き合う確率が高くなるだけの話だがな。

 同じく図書委員の俺だが、厚木さんとはそれなりに仲良くなってきてはいるものの、ラプラスに『今の状態では結ばれることはない』と断言されている。

 そんなくだらないことを考えながら時間を潰していると、北志摩先生が現れた。

 すらりと長い足に色白で目鼻立ちの整った顔。それでいて派手さはなく、穏やかな空気を纏わせる。綺麗な長いロングの黒髪も特徴的だ。

 その美貌に思わず見とれそうになりながら、急いで立ち上がって会釈をした。

 うちの学校の場合、図書室に専用の司書を置く余裕がないのか教師が兼任している。

 北志摩先生は、30代前半で生徒たちにも人気のある美人国語教師だ。落ち着いた物腰と優しげな表情が生徒たちを引きつけるのだろう。生徒の相談にもよくのると聞いたことがある。

 図書委員に指示を出している時の先生は、わりと淡泊なんだけどね。

「どうしたの? 土路君」

「ちょっと相談がありまして……」

「あなたが相談なんて珍しいわね。あ、座っていいわよ。珈琲入れてあげるわね」

「あれ? いつも当番の時は飲ませてくれませんよね」

「そうね。当番だからね。仕事に集中してもらいたいし、本に零したりしたら大変だからね。けど、今日は相談なんでしょ? いちおう部外者ってことで対応してあげるのよ」

「あ、そうなんですか……」

 手際よくコーヒーメーカーをセットし、2杯分の珈琲を入れる。1つがこちらに差し出され、一口飲む。けっこう良い香りだ。豆はこだわってるのかな?

「で、相談ってなーに?」

 コーヒーカップを持った先生が、口元を緩めて親しげに問いかけてくる。いつものような淡泊な感じではないので、ほっとした。

「えっとですね。この学校って去年までは文芸部ってのがありましたよね?」

「ええそうよ。3年生が抜けて廃部になってしまったけど」

「それを復活させたいんです」

「うふふ。急な話ね。2年生になって今さら? 1年生の時にあなたが入れば廃部になることもなかったのよ」

 顔は微笑みだが、チクチクと痛いところを突いてくる。優しいと安心させておいて油断ならないな。

「まあ、いろいろ事情があるんですよ」

「事情?」

「ええ、いろいろと……」

 どこまで話したらいいかがわからない。ラプラスの話はできないから、いっそ誤魔化すって手もあるが。

「なるほど、それで私に顧問をやってくれっていうのが相談ね」

「あ、はい。よくわかりましたね」

「まあ、私はたしかに去年までは文芸部の顧問だったからね。だからこそ、あなたがなんで文芸部をまた始めたいのかを知りたいの」

「怒らないですか?」

「場合によっては怒るわよ」

 そう、クスクスと笑う。柔らかな笑みの奥に、背筋のぞっとするような雰囲気を漂わせる。これがこの先生の特長だ。

 温和そうに見えて、実は恐ろしいのではないかという印象を相手に与える。実際、北志摩先生にまつわる伝説のような噂はいろいろ聞いていた。

 若い頃はカラーギャングでやんちゃしていて、そのヘッドまで務めたとか、親が大昔からの地主で中途半端な権力は通じず地元のヤクザさえひれ伏すとか、実は空手十段、修行に心身を尽くし、心技共に精妙の域に達したる者であるとか、いろいろある。

 まあ、真偽の程を確かめた者はいないのだが。

 少し恐ろしくなってきたので、こういう場合は正直に言った方が良いだろう。

「文芸部の部室が欲しいんです」

「部室? なんに使うの?」

「とある生徒の居場所です。その子はイジメられていて、1人でいるとイジメっ子がちょっかいをかけてくるんですよ」

「それで?」

「だから、せめて昼休みくらいは居場所を作って、そこで落ち着かせてやろうと思って……このままだと昼休みをトイレで過ごすようになるんじゃないですかね。いわゆる便所飯ってやつに」

「イジメとは看過できないわね。程度によっては上に報告をあげなきゃならないのよ」

 北志摩先生の目が急激に険しくなる。

「イジメと言っても初期段階です。まだ大きな被害も出ていませんし、自殺に追い込まれたわけでもないです。だから、大問題になる前に、とりあえずの避難場所の確保を考えているだけなんですよ。こういうイジメって、学校での居場所がなくなるとヤバイですからね」

 俺の説明を冷めた表情で聞く北志摩先生。いつものような穏やかさは感じられない。それどころかピリピリとした空気を感じる。

「あなたはその子の居場所を作ってやろうとしているのに、なぜ直接助けないの?」

「まあ、いろいろ複雑な事情があるんですが、端的に言えばその子のことが好きじゃないんですよね」

「随分、ストレートな言い方ね」

「けど、イジメっていうのは見過ごせません。とはいえ、好きでもない子に優しくして、それで情が移られては困ります。苦渋の決断なんですよ。ただ、助けることは助けますよ。それは表だってじゃないってことで」

「ふーん……君はその子に優しくしたら惚れられてしまうと考えるわけ?」

 先生はさらに目を細めてこちらを見つめる。「そんなに君はイケメンだったのかな?」とでも言いたげな視線が怖い。たしかにイケメンと言われたことはないけどな。中性的で頼りなさげとか言われている。

「べ、別にうぬぼれているわけではありません。女の子に必要以上に優しくするのはよくないですよね?」

 好意もないのに優しくして相手をその気にさせる、けど結局、その子のことは放置するって物語を俺はいくつも読んできている。

 いくらフィクションとはいえ、本から学ぶことは多い。実際、その理由については説得力があるし、残酷だとも思う。

「まあ、そうね。正解とは言えないけど、優しさってのは時々罪を作り出すわ。あなたのその心懸けは感心する」

 先生の表情が少し柔らかくなる。少し笑みを浮かべ大人の余裕を見せるような言葉だ。

「俺だって他に好きな子がいるし、できればその子のために動きたいですよ。でも、人間関係が複雑で、そのイジメられっ子をイジメている子は、俺が好きな子を嫌いのようで、いつ好きな子に危害が及ぶかわかりません。そのためにも、まずはイジメられてる子をなんとかしたいんです」

 俺は思わず早口になって説明する。緊張がとれるどころか、高まってしまっていた。

「うふふ。複雑な事情は理解したわ。けど、居場所なら養護教諭に相談すれば保健室が利用できるわよ」

「あっ」

 その手があったかと、膝を打つ。相談すべきは、養護教諭の柏先生だったのかもしれないが……俺、実はあの先生苦手なんだよなぁ。

 真偽不明の噂は恐ろしいけど、個人的には図書委員でなじみのある北志摩先生の方が頼りがいがある。

「けど、あなたがその子の為に一所懸命考えて出した答えよね。わたしは、それでいいと思うわ」

 急激にやわらかな雰囲気が変容する北志摩先生。表情に落差がありすぎて混乱する。先生の性格が正確に把握できない。

「あ、はい……」

「その代わり、あなたは事の顛末を私に報告しなさい。それが私が顧問を引き受ける条件よ」

「ありがとうございます!」

 再び立ち上がって腰を折り曲げるくらい全力で礼を言う。ラプラスの件はまあ、誤魔化せるからなんとかなるかな。それ以外のことは詳細に報告するか。とにかく顧問を引き受けてくれたことに感謝だ。

「まだ早いわよ。文芸部は一度廃部になっているわ。あなたがそれを引き継ぐには部を新設しなければならないの。新設の条件は知ってる?」

「えっと、部員を4人以上集めるんでしたっけ?」

「そうよ。顧問は引き受けるから生徒会長には話をつけておく。部員が集まったら書類を持って生徒会室を訪ねると良いわ」

「はい。いろいろ相談にのっていただきあ――」

 お礼を言おうと再び頭を下げたところで、北志摩先生が俺の頭に手を載せる。その暖かなぬくもりは十代の男子にはちょっと刺激が強すぎた。

「土路くん」

「な、なんでしょう」

 思わずそのまま固まってしまう。

「報告も大事だけどね。行動している最中に困ったことがあったら、ちゃんと先生に相談しなさい。生徒同士で解決しようって心懸けは悪くはないんだけど、きっとあなたたちの手に負えない問題も起きてくると思うの。そういう時は正直に話して。あなたは大人に頼ってもいい年代なのよ。一人で抱え込まないでね」

「あ、はい。ありがとうございます」

 なんだろう、この暖かさ。他の教師たちからは感じない大人の包容力。なんだか心地良い……時々怖いけど。

「で、では。失礼します」

 図書室を出ると、大きな溜息を吐く。いつもと違ってめちゃくちゃ緊張した。

 図書委員の時は「穏やかな先生だな」くらいにしか思ってなかったけど、まともに向き合うと隠されていた重圧感をもろ感じてしまう。もちろん、その中にある暖かさもだけど。

 基本的に悪い先生ではないと思う。

 だから、頼れるべき時は頼ろう。そもそも、ラプラスの未来予知は便利であっても、実際に行動する俺は万能ではない。対応策を練る場合でも、手札は多い方がいいだろう。


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