最終話「幸せはそこにあるのです」

文字数 7,040文字

 急に倒れた厚木さんだが、だいぶ落ち着いてきたようだ。

 蒼白だった顔色も、緩やかに血色の良さを取り戻していく。

「大丈夫?」
「うん、ありがとう……いえ、ありがとうなんて軽い言葉で感謝すべきじゃないよね。あなたはそれこそ命がけでわたしのことを守ってくれた。わたしにフラれてもなお……」
「そんなことはどうでもいいよ」

 俺は俺のワガママでキミを助けてきたんだ。それはたぶん自己満足。だから、そんなことで心を痛めないでくれ。

「どうでもよくないよ。ラプラスさんはあなたのことが本当に好きだった。あなたが苦渋の決断でラプラスさんの策を受け入れたことも知っている。そして彼女のその時の気持ちも。全部わたしのせい! わたしなんかよりラプラスさんを優先すべきだったのに」
「それはダメだよ。厚木さんにフラれようが嫌われようが、俺は全力でキミを助ける」

 それだけはずっとブレずにいた。だから、最後まで貫かせてくれ。キミに拒絶される日まで。

「でも、それじゃあなたがかわいそうすぎる」

 厚木さんは涙を流していた。それが哀れみであっても、彼女の気持ちは尊い。

「好きな女の子にフラれたくらいで不幸になるわけないじゃん。俺はさ、厚木球沙って人格を知った上で好きになったんだ。キミはそのままでいい」

 抱えていた厚木さんが、俺の身体をギュッと抱き返す。

「わたしがあなたに抱ける感情は家族愛みたいなもの。それでもいいの?」
「いっそのこと弟にしてくれよ。そしたらお姉ちゃんって呼ばせてもらうから」

 むしろマブダチから家族に昇格したんだ。喜ぶべきだろう。

「土路クン。あなたはわたしのもう一人の家族。わたしはあなたが困ったときにはあなたを助けたい。あなたが泣いているときには慰めたい。あなたはわたしにとっての大切な人なんだと思う」
「ありがとう」

 彼女の身体がふわりと離れる。これは拒絶ではない。俺に負担をかけないようにと、自分の足で立ったのだ。

「お礼なんて言わないで、本当はわたしがもっと感謝しなきゃいけないんだから」
「家族みたいなもんなんだろ? そんなに感謝はいらないよ」
「うん。でも、感謝の気持ちは忘れない」
「……」

 天使のようなとびきりの笑顔。その表情だけで俺は救われる。報われる。

「ね、土路クン」
「ん?」
「ようやくわたしの頭の中も整理が付いてきた。だから、落ち着いて聞いて欲しいことがあるの」
「なに?」
「ラプラスさんから最後のメッセージだよ。これはたぶん、彼女の記憶がわたしの中に書き込まれることを想定してのものだと思うけど」

 胸が締め付けられる。ラプラスのことを思い出すたびに俺は、彼女を喪失したという痛みを感じるのだろう。

「最後のメッセージ?」

 俺は心を落ち着かせながら問い返す。

「あたしがいなくなって、少しでも落ち込んでいてくれていたら嬉しいかな。でもさ、あたしの記憶はオリジナルの人格にも刻まれる。あんたと過ごした日々は彼女がずっと覚えていてくれる。だからさ、あたしの相棒の席は彼女に譲ってあげて。二人がいれば最強。怖い物なんてないわ。だから、未来予知なんかに頼らなくても幸せな未来を築ける」
「ラプラス……」

 ズルいだろ、こんなタイミングで……。

 「さよなら」も言わずに消えちまったくせに、こんな仕掛けを残していくとは。

「ねえ、わたしをあなたの相棒にしてくれる? わたしとあなたなら、どんな問題にも立ち向かえそう。それは、わたしとあなたと、その周りの人たちの幸せのためにも」

 そんな彼女の申し出に、俺は間髪入れずに返事を返す。

「よろこんで!」

 最後の最後で、ラプラスは厚木さんの死亡フラグをへし折りやがった。

 これで俺と厚木さんは運命共同体。家族というか、戦友みたいなものだろ。

 お互いがお互いの幸せのために、それを壊そうとするものを協力して叩くという盟約。

 相思相愛の仲にはなれなかった。けど、最強の策士同士がタッグを組むんだぜ。こんな胸が熱くなるようなことはないだろ?

 なあ、ラプラス。

 最高な幸せは手に入れられなかったかもしれない。

 それでも、おまえのくれたギフトを大切にして、ささやかな幸せを噛みしめながら生きていくよ。

 それがおまえの願いなのであれば。


**


 5年後。

 俺たちは同じ高校に入学し文芸部ではなく、物少研を立ち上げる。

 これは『物語少女研究会』というオタクサークルだ。

 というのは建前で、実は北志摩先生の密命を受けて校内にはびこる問題を解決するという組織を立ち上げていた。主にイジメとか、教師が介入しにくい生徒同士のトラブルの解決だ。

 といっても、普段の活動はそのまんまである。

 俺は『好きな子と永遠に結ばれない』というトラウマを拗らせてアニメやゲームにどハマりしたおかげで、今じゃ二次元ヒロインを愛でる毎日だ。

「麻音ちゃんは最高だよな」

 部室で浅倉麻音のフィギュアを眺めながら、その造型美にうっとりしている。すると、横にいる厚木さんがこう呟いた。

「ななぴーの方がかわいいと思うけどな」

 彼女は彼女で、七瀬七璃というゲームキャラのフィギュアを眺めている。

 俺と厚木さんでは好みの方向性が違う。俺はゆるふわ系の少女が好みなのに対し、厚木さんは幼女系が好みだ。このロリコンめが!

 そんな中に、高酉がこう告げる。

「えー、咲ぴょんのほうが最高にかわいい女の子だよ!」

 俺は厚木さんと顔を合わせ、同時に叫んだ。

「「それ中身男だから!!」」

 二人の声がハモるように部室内にこだまする。

 新生文芸部改め『物少研』は、俺と厚木さんと高酉の三人で仲良く活動していた。

 もちろん、三角関係どころか恋バナすら出ることはない間柄ではあるが。

 ちなみに志士坂は、小学生時代に彼女の心の傷になるような事件を払拭させ、演技に目覚めさせることで、そちらの方面へと進ませた。

 子役でちらほらと役柄をもらえるくらいにはドラマや映画に出演している、今やプチ有名人である。同じ高校に入学しているが、今のところ接点はない。

 黒金はまだこの高校には入学していないが、ネコ好きに洗脳させたせいか、わりと世話好きな人格へと成長したようだ。

 相変わらず男子たちに人気ではあるが、小悪魔的な魅惑はなりを潜め、慈愛的な心で皆に接することで「涼々ママ」と呼ばれているとか。

 案山は大泉真帆会長の元で副会長として活躍していた。それなりに人気はあるが、生徒会以外の集団には所属せず、孤高の人として学校生活を送っている。

 リセット前の世界のように、彼女は学内のカースト制度にこだわらず、自分の信念の元で行動していた。まあ、そんなところを大泉会長に気に入られて生徒会に引き入れられたみたいなんだけどね。

 彼女に関しては、小学生時代に父親とじっくりと話し合いをさせて進路を決めさせている。その頃の母親はまだ穏やかだったので、うまいこと事が進んだのだ。

 そんなわけで、実は小学生時代には、元文芸部の皆とは一時的に知り合いになっていた。といっても、裏でいろいろと手を回した方が多いので、単なる顔見知りで終わってしまったんだけどな。

 俺たちの地味な活躍は、未来に大きく影響を与える。

 斉藤に関して言えば、奴の更生させる鍵は西加和まゆみだった。

 彼女の性格をラプラス化させることで、斉藤との関係性を逆転させた。つまり、西加和まゆみの方が斉藤を振り回すという役割となる。

 彼女自身を俺たちが教育し、策士へと育て上げた。今でも彼女は俺たちのことを「師匠」と呼ぶ。

 斉藤が求めていたのは、ラプラスのように自分に新しい世界を見せてくれる女の子だ。まだ未練はあるようだが、すでに存在しない人格よりも肉体を持った人格の方が魅力的に決まっている。

 現在、斉藤は、西加和まゆみと付き合っているらしい。まあ「お幸せに」ってところかな。

 リセット前の世界とは違って、皆、幸せな道を歩み続けている。そんな中で、唯一変わらないのが富石だ。

「ツッチー! 聞いてくれよぉ」

 富石が部室へと入ってくる。物少研に名前だけ籍を置いてくれているので、追い出すわけにはいかなかった。

「なんだよ。またフラれたのか?」
「なんでわかるんだ? おまえやっぱ能力者だろ!?」

 愛すべきバカは憎めないところが悩ましい。ウザいと思っていても悪い奴じゃないからなぁ。それにこいつ、意外と人を見る目はあるんだよ。

 そんなこんなで楽しい日々は続く。めちゃくちゃ幸せで、幸せ過ぎて怖いって感覚では無い。

 小さな幸せを一歩一歩噛みしめながら日々を生きていく。他のみんなもそれぞれの道を歩んでいた。少し寂しくもあるものの、俺にはこれくらいコンパクトな幸せが似合っているのだ。

 ラプラスが俺に望んだもの。

 彼女の願いを叶えるため、彼女が生きていた証を忘れないため、俺は平凡な日常を生きていく。そして、その日常を壊す物がいたら、全力で立ち向かうのだ。


 さらに一年が経過すると、下級生として黒金が入学してくる。

 彼女は昔、捨て猫を与えて、その後のことを志士坂に押し付けた。だから、俺たちのことはほとんど覚えていないはず。でも、それでいい。

 志士坂と同様に、彼女には独り立ちして欲しかったのだから。

「リオンお姉さまぁ」

 廊下の角から懐かしい声が聞こえてくる。

「どうしたの涼々」

 志士坂の声も同時に聞こえた。二人はけっこう仲良しになったと噂に聞く。

「聞いて下さいよぉ。生徒会の人がですねぇ」

 そこに第三者の声が混じる。それは案山の声であった。

「ちょっと待ちなさいって。あなた、どこの学校の人? 校内に入るには許可証を首から提げるのがルールよ」
「だからぁ、あたしはここの生徒ですよ」
「だったら、なに、その制服は?」

 廊下を曲がると、見えてきたのは困惑した顔の志士坂と、目のつり上がった案山、そして青地にタータンチェックのミニスカートに白地にブレザー、青のブラウスに黒いネクタイ姿の黒金。

 特に黒金の服装……見覚えのある衣装だな、と苦笑する。

「これは、カミライブの麻音ちゃんの衣装なんですよ」
「カミライブ?」
「知らないんですか? 今流行ってるゲームアプリのキャラです」
「ただのコスプレじゃない。そんなもの校内で着るなんて、頭が腐ってウジでも湧いてるのね。かわいそうに」

 毒舌感はだいぶ薄まってはいるものの案山らしい返しでもあった。

「コスプレ研究会を立ち上げたくて、勧誘しているところなんですよ。なんか、新規の部活を立ち上げるのに、5人以上の必要だって聞いたんで」
「だからって場を弁えなさい。ここは勉学に勤しむ場所よ」

 彼女たちの言い争いは続きそうだ。

 ふいに隣の厚木さんが小声で耳打ちする。

「偶然だけど、この場に一瞬だけ文芸部のみんなが揃ったね」
「まあ、ただの偶然だよ」

 そう応えて通り過ぎようとしたときだった。

 黒金と案山の言い争いが過熱して、取っ組み合いになりそうになったところを志士坂が仲裁に入る。

「まあ、涼々も落ち着いて、案山さんも生徒会なんだから暴力はダメだよ」

 と間に入ったのだが、後ろに下がろうとした黒金が足をもたれさせ、転びそうになる。
「あぶない!」

 と彼女の身体を支えた。

「あ、ありがとうございます」

 気恥ずかしげに頭を下げ、他人行儀にお礼を言う黒金。だが、頭を上げるとなぜか首を傾げる。

「あれ? あたしせんぱいのこと知ってる」

 まあ、小学校時代に多少の接触はあったからな。

「小学校の時、ネコの件で会ったことがあるだろ?」
「そ、そうですね。その節はお世話になりました。アリアドネは元気ですよ」

 アリアドネは猫に付けた名前だったな。リセットされても、最初に付けるの名前は変わらないか。

「そりゃ良かった。まあ、頑張って世話しろよ。じゃあ」
「……」

 黒金の瞳がじっと俺を捉える。何か言いたげで、それでも言葉が出てこないような表情。

「どうした?」
「知ってるんです。せんぱいのこと。ネコの件じゃなくて、ほかのことでも」
「それ以外で会ったことはないはずだぞ。別の誰かと間違えているんじゃないか?」
「違います。あたしは……あたしは……」

 俺の事を見つめていた黒金の瞳が揺らぐ。そして、ガバッと抱きついてきて俺の胸に顔を埋める。

「え?」
「ちょ、ちょっと涼々。なにしてるの? そこの人が困ってるでしょ」

 志士坂も俺のことはあまり覚えていないはずだ。いじめられている子を助けるために、演技でもいから助けろと台本を渡したこともあった。が、それはほんの一瞬の邂逅。彼女の背中を押しただけだ。

 ただそれだけで、彼女は自主的にいじめられっ子を助け、そのクラスに蔓延するイジメの連鎖を断ち切った。

 そんな彼女が近づいてきて「大丈夫?」と黒金の背中に手を当てると、はっとしたように顔を上げ、俺をじっと見つめる。

「土路くん……」

 あの当時、名前を名乗ったことあったっけ? でもまあ、クラスメイトだから知っていても不思議ではないか。と思っていたところで、彼女の瞳から大粒の涙が溢れる。

 その姿を見て、案山が不思議そうに呟く。

「なにこの状態? キミって催眠術でも使えるの? ちょっとそこの子、離れなさいよ」

 彼女が強引に黒金の腕をとる。その瞬間に案山の身体が固まったかのように動かなくなった。

 状況を把握できなくて呆然としていると、俺に抱きついていた黒金がようやく顔を上げた。その表情は泣き顔でぐしゃぐしゃになっている。

「あたし、せんぱいのこと大っ嫌いでした」
「……」
「あたしの記憶、リセットされてなくなってしまったと思ってた。けど、全部思い出しました」

 おいおい、まさかと思うけど、ドッキリ系じゃないよな。でなければ、リセット前の記憶が彼女たちにも戻ったってことか? まさかな。

「あたしはせんぱいが大好きです。もう、せんぱいに全否定されてもこれだけは譲れません!」

 涙を片手で拭うと、彼女はとても嬉しそうにそう叫ぶ。いや、これはもう決定じゃねえか。記憶戻ってるよ。

「涼々、抜け駆けはダメよ。土路くんを好きなのはあたしも一緒」
「おい!」

 思わずツッコミを入れてしまう。二人に記憶が戻って嬉しいのやら、恥ずかしいのやら、いろんな感情が俺の中を渦巻いていた。

「土路くんにはいろいろ酷い事を言われたけど、それはあたしを思っての事だった。でもね、あたしは諦めないよ。あなたといるほうがあたしは幸せになれるから」

 志士坂はリセット前と違って、かなり経験を積んでいる。自信があるせいで、ぐいぐいとくるな。

 そんな俺たちに、後ろにいた高酉がジト目で睨んでくる。

「なに? この茶番劇」

 まあ、そりゃそうだよな。俺だって「なんだこりゃ?」と思うくらいだ。

「土路クン」

 厚木さんがニコニコした笑顔で右手を差し出す。ん? 厚木さんは元々記憶を持っているのにと疑問に思う。が、彼女の左手は高酉と繋がっていた。なるほどね。

 まあ、記憶が戻るならみんなでの方がいいな。

 俺は厚木さんに触れる。その瞬間に、高酉が腰が抜けたように座り込む。

「ありす。大丈夫?!」
「あたし……あたし……」
「ごめん、まさか、そんなにショックを受けるなんて思ってなかったから」
「ううん、違う。感謝しなきゃいけない。それから土路にも謝らなきゃいけない。あたし、酷い事してた。それに自分の気持ちを偽ってた時もあった。ぜんぶぜんぶ、謝らなきゃいけない」

 高酉にしては珍しい態度と言葉。彼女の記憶にそんな重大なことがあったっけ?

「あたしは自分の気持ちを偽って蒼君と付き合ってたことがあったんだね。でも、違う。あたしは……あたしは、土路、あんたが好きなの!」

 マジかよ?

 人生最大のモテ期。

 一度に三人の女の子に告白されるとは。

 俺は期待を込めて残りの一人、案山に視線を移す。と、彼女は大きくため息を吐いた。そして、こう告げる。

「はい、そこまで。積もる話は部室に行ってからにしましょう。ここでこんなことしていてもただの変な集団よ」
「そうだな。ちなみにおまえは……」
「私が土路君を? ありえないわね」
「ですよねぇ」

 厚木さんは高酉を落ち着かせ、俺は黒金を引き剥がし、涙を流し続ける志士坂にハンドタオルを渡す。

『文芸部復活ね。それに、よりどりみどりよ』

 懐かしい声が聞こえたような気がした。ラプラスなのか?

『ね、どうするの? 誰を選ぶの?』

 俺、三人のうちの誰かを選ぶつもりはないんだけどなぁ。だって、誰かと付き合うことになったら穏やかな学園生活が壊れるじゃん。

 劇的な人生より、平和な日常を守りたい。

 だけど、そんな小さな幸せを破壊しようってのなら、誰であろうが相手になる。

 俺たちの戦いは、これからだ!!


**


 これは、片思いの物語。けして叶うことのない想いを胸に秘め、それでもハッピーエンドを目指す策士の話。

 彼らの未来は誰にも予知できない。



(了)



◆あとがき

 これにて終幕。

 ここまでお読みいただいた読者の方には、感謝を伝えるには適切な言葉が見つからないほど、深く感謝しています。

 この物語の中盤あたりで出てきた「美浜有里朱」という女子大生は、別の物語である「アリスの二重奏」にて、高校時代のエピソードが語られています。

もし未読であり、興味のある方がいらっしゃいましたら、そちらの方もご覧いただけるとありがたいですね。

 物語も完結ということで、評価や感想などをいただけるとありがたいです。

 では、また次の作品で会いましょう。
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