第29話「居場所がないのは悲しいのです」

文字数 4,690文字

「……昨日のことなんですけど、久しぶりに……本当に久しぶりに家族3人揃ったんですよ。けど、結局喧嘩になっちゃいまして……」

 黒金はその後の言葉を口ごもる。

「……」

 俺は無理には聞かない。話したくないなら話さなければいいのだ。根気よく、彼女の唇が動くのを待った。

「その時、両親の本音がわかりました。あたしはいらない子だって。父も母も別れたとしてもあたしは引き取りたくないって……」

 ああ、そりゃキツいな。

 どんな苦しいことがあろうが、耐えるためには条件がある。それは自分の居場所だ。それがあれば、人は多少は頑張れるものだ。

 けど、居場所を奪われたらもう、人の心は折れてしまう。頑張ることなんてできない。

「家出してきたんだよな?」
「うん」
「しばらくうちにいるか?」
「え?」
「ちょっと狭いかもしれんが、妹の部屋で寝るといい」

 今度は茜に何を要求されるかわからんが、背に腹はかえられない。

「せんぱいには、これ以上迷惑をかけられません……」

 昨日までの黒金なら、小悪魔的な表情でニヤニヤ笑いながら、俺にあれこれとモーションをかけてきただろう。けど、今日の彼女は控え気味にそう呟く。

「今まで、けっこう迷惑かけられたぞ」
「だからこれ以上は……」

 彼女らしからぬ発言。それだけ精神的に弱っているのだろう。あれだけ周りにチヤホヤされるのを喜んでいた人間が、一人でいたいなんて危険すぎる。

「気を遣わなくていいよ。おまえらしくないぞ」
「……せんぱい」
「なんだ?」
「あたしは一生誰も好きになることはないんですかね?」
「それはそれで人生設計を考え直せばいいだけだぞ。恋に生きるだけが人生じゃないし」

 誰かを好きになることはメリットだけじゃなくデメリットも生む。自ら苦しむ道へと進む必要もないだろう。

「そうなんですけどね……でも、憧れるじゃないですか。誰かのことを一日中考えて、相手の気持ちが気になるけど、相手と付き合えなくてもそれでも恋する気持ちは消え失せないって」

 憧れか。

 実際に片思いを患っている奴に言わせりゃ、憧れるほどのもんじゃないよ。

 だけど、彼女にその気持ちを芽生えさせるチャンスでもあるのか。もともと誰かを巻き込んで心中するような寂しがり屋なんだ。案外、それは簡単なのかもしれない。

 とりあえず彼女の事情は理解できた。

 あとはこの情報を演算機にぶち込めばいい。電子計算機でないところが、めんどうではあるが。

「なんか飲むか?」

 俺は部屋に備え付けの小型冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出す。

「はい。ありがとうございます」

 ボトルを受け取る瞬間に彼女と繋がり、悪魔が起動する。

『わりと良い感じだね。次の一手は?』
「それの演算のために呼んだんだよ」
『うまく行きそうな手はあるの?』
「いくつかあるけどさ、どれもあまり乗り気じゃないんだよね」
『ま、贅沢は言ってられないんじゃない?』
「ちなみに今の状況で家に帰すとどうなる?」
『まだ、富石桃李との心中フラグは消えてないよ』
「だよなぁ。しかたない。俺が一肌脱ぐしかないのか」
『がんばれー』
「心がこもってないぞ」
『悪魔に心があると思うのが間違いだよ』


**


 次の日、俺たちは二人で学校をさぼった。

 そして黒金の気分転換のために、俺は彼女を都内へと連れて行く。最初に来たのは新宿御苑。

 新宿という大ターミナル駅の近くで、郊外のような自然を楽しめる公園だ。入場料金を取られるので、それほど人が多いわけでもなく、それでいて学生の俺たちは一人250円で入れるので、お財布にも優しい。

「うわー、なんか気持ちいいですね。せんぱい」

 黒金の顔は昨日とは違って生気に溢れていた。このまま帰しても大丈夫なんじゃないかと思えるほどだが、彼女の心の闇は消えてはいない。

 闇というより、彼女は空っぽなのだ。誰かを好きになるという気持ち。これが欠落している。だからこそ、相手から好かれることで、今まではそれを埋めてきた。

 だけど、もう気付いているのだろう。そんなものでぽっかりと空いた心は埋められない。足りなくて足りなくて、このままだと黒金は相手の心を喰らうモンスターに成り下がる。そんな恐れすらあった。

「あんまりはしゃぐなよ。小学生じゃないんだから」
「けど、こういうところ来るのって、小学生のとき以来ですよ」

 表面上は楽しんでくれて何よりである。さて、今日の俺の策略のポイントはふたつある。

 ひとつは、彼女に「好き」という感情を知ってもらう方法。これは、成功しなくてもいいのだが、ラプラスの演算で成功してしまったのが、逆に気が重い。

 もうひとつは小悪魔として自分が誰かを振り回すのではなく、自分が小悪魔に振り回されることを学ばせること。

「あそこの東屋(あずまや)で休もうぜ」

 小道の先を指差して黒金に教える。

「えー? もう休むんですか? あんなところに連れ込んでエッチなことするつもりですか?」

 なんだかなぁ……すっかり元の黒金に戻った感じで、ほっとしたというか、ちょっとムカつくな。

「えー、アオカン好きのビッチに俺の童貞奪われちゃうんですか? お断りです」
「むー、なんかプチッとムカつきますね」

 そんな馬鹿なやりとりをしながら東屋にあるベンチに座ると、持ってきた水筒を取り出してプラスチックのタンブラーにカフェオレを注ぐ。

 5月とはいえ、今はまだ午前中で、この東屋があるベンチは日が余り当たらない位置にあるので少し肌寒い。

「おまえカフェオレ嫌いじゃないだろ? 家で作ってきた土路家特製のやつだ」
「あ、ありがとうございます」

 そう言って受け取った黒金が一口それを飲むと、急激にその表情が変わる。

「これ、おいしいです。せんぱい」
「そうか」
「なんか、お店のに近いというか、家で作ってもこんな味出ませんよ」
「うちにはサイフォン式の機械もあるし、豆もうちの母親の特製ブレンドだ。牛乳も超高温殺菌で、乳脂肪分が多いものを選んでる。淹れたてだと、それの3倍はおいしいぞ」
「せんぱい、喫茶店のマスターになれるんじゃないですか!」

 めちゃくちゃ喜んでいた。というのも、ラプラスの未来予知で彼女が好きな物はリサーチ済み。

 さらにそこでの会話も、彼女が好みそうな喜びそうなネタを選んで話を盛り上げる。
 時には真面目に、時にはおちゃらけ、彼女を適度に弄りながら、相手の弄りにも乗ってあげる。

 1時間以上は話していただろうか。

「お腹空かないか?」
「そうですね。なんか、いっぱい喋ったらすごい体力使った感じです。前は相手の男の子の話を聞いている方が多かったのに」
「じゃあ、すぐそこのレストラン入ろうか」
「あ、あそこって何かのアニメ映画で舞台となった場所ですよね。あたし行ってみたかったんです」

 というのもラプラスの未来予知でリサーチ済み。今日は相手の子が夢中になるようなデートコースの選んでいる。

 初めてのデートでも相手を退屈させない絶対に失敗しないデートコース。

 と、ラプラスにお墨付きをもらったもの。

 こんなチートに近い能力があるのに、厚木さんにはまったく通用しないからな。彼女の場合は、まず誘いの段階で断られるというパターン。

 未だにその突破口が開けないのが悔しい。

 まあ、厚木さんはゲームでいえばルナティックモードだというのはわかっていてのチャレンジだからな。

 今はこの子に集中しよう。あんまり厚木さんの周りで人死にが出るのもよくないことだし。

 おいしい昼食を食べた後は、繁華街を適当にぶらつく。黒金がロリィタファッションに興味があるというので、聖地巡礼的に有名ブランドショップを見て回る。

「小物ならなんとかおこづかいで買えるけど、一式となるとため息が出るほど高いですね」
「そりゃ、結構なお年のお客さまがお買い求めになるものですから」
「せんぱいなんで執事みたいな口調になってるんです?」
「TPOへの配慮というものですよ。お嬢様」
「そのわりには毒舌が半分くらい入ってましたよ」

 夕方になり、本日のデートも最終フェーズ。俺たちは都庁へと向かった。ここの展望室は無料で入れるので財布の負担はない。

 エレベーターから降りて窓の側まで行く。その幻想的な風景に隣の黒金が息を飲んだ。

 1000万近くの人口を抱える大都市を俯瞰から見下ろせる。

 辺りは夕焼けに染まり、ビルの窓には明かりが灯る。そのひとつひとつにそれぞれの人間のドラマがあるのだ。

「なんか人間ってちっぽけですね」
「そこは『人間がゴミのようだ』だろ?」
「ゴミじゃないですよ。あたし、誰かを好きになったことはないですけど、人間自体は嫌いじゃないですよ」
「まあ、おまえ、誰かといるとき楽しそうだもんな」

 それは俺だけでなく、クラスの男子たちに囲まれている時もそうだったのだろう。こいつは基本的に寂しがり屋なんだ。

「せんぱい。あたし、できれば一人がいいです」
「どうした?」
「今までいろんな男の子に好かれて……楽しかったですけど、一人一人ときちんと向き合えなかった気がするんです」
「おまえが反省するなんて珍しいな」
「反省じゃないです。あたし、そんなに器用じゃないって気付いちゃったんです。せんぱい一人のことだけ考える方がどれだけ楽か……」

 言ってること自体は告白に近いんだけどな。この子の場合は、それに気付いているかどうか。

 黒金の表情を確認する。彼女はまだ遠くの夕陽を見つめたままだ。照れて赤くなってたらまだ可愛かったんだけど、これは天然で理解していないパターンか。

「まあ、大軍相手にするよりは、個別に撃破する方が楽だよな」

 俺は戦略的に同調する。それでごまかされればいい。変に気付かせない方が俺としてはありがたいからな。

「なんですかそれ?」

 こちらを向いてくすっと笑う黒金。

「孫子の兵法だよ」
「ソンシノヘイホー?」

 ま、女の子はこういう方面は知らんわな。

「ビジネスでも恋愛でも使える戦略の基本だよ」
「はあ……」

 黒金はよくわかっていないらしい

「まあ、存分に景色を楽しめ。なにせ、ここはタダだからな」
「タダを強調してどうするんですか? せっかく今日のデート、ポイント高かったのに」
「そうか? 何点だ?」
「そうですね。今の台詞がなければ83点くらいあげていましたよ」

 それは微妙にリアルな数字だな。

「今日は特別だよ。おまえ落ち込んでたからな」
「せんぱい。ありがとうございます」

 黒金が改まってお辞儀をする。

「今さらいいよ。そういうのは」

 俺がそう言っても彼女は頭を下げたままだった。そして言いづらそうに言葉を紡いでいく。

「あたし、本当は先輩のこと嫌いでした。だから、あたしに惚れさせて、こっちからふってやって『ざまあ!』って言ってやりたかったんです」

 顔を上げた黒金の瞳が潤んでいた。続けて言葉をつまらせるように彼女は呟く。

「なのにこれじゃ……嫌いになれないじゃないですか」

 泣きそうな顔を見られるのが恥ずかしいようで、顔を少しだけ背ける黒金。そして爆弾投下。

「責任をとってくださいよぉ。せんぱぁい」

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