35 聖なる青の空間

文字数 3,209文字

 リディアの胸の扉を開くと、驚いたことに、その内側から柔らかな青い光が溢れ出てきました。周囲の暗さに目が慣れていたため、はじめはかなりまぶしく感じましたが、ほどなくそんなに強い光ではないことがわかってきます。きっとここが明るい屋外だったら、陽光に呑まれてほとんどかき消されてしまっていたはずの光量です。
「アリアナイトの光よ」ぽかんとしているミシスの耳もとで、レスコーリアがささやきました。
 操縦席の内部は、人が一人乗り込んだらいっぱいになるくらい狭い空間でした。どうやら、今まさにレスコーリアが手にしているキャンドル立てとおなじような、縦に長い円柱状の構造になっているようです。
 円形の床の中央に、新雪のように真っ白な石でできた座席が一脚設置されています。しかし脚は普通の椅子のように四本ではなく、まるでそれ自体が床から生えた樹木の幹のように太い一本脚になっています。座面は広く、背もたれは寝椅子のそれのようにやや後方に傾き、左右両側の肘掛けの先端には球形の取っ手がつけられています。
 頭上を見あげると、まるで銀河を模写したような緻密な模様が一面に彫り込まれた大きな銀色の円盤がぶら下がっています。それはどうやら、水晶のように透き通る硬い無数の針のようなもので、天井に固定されているようです。
 青い光は、操縦席の内壁の全面から発せられているものでした。ミシスはその光を一身に浴びながら、不思議と心が落ち着いていくのを感じていました。
「これがぜんぶアリアナイトなの?」
「そうよ。このなかでアリアナイトを含まないものは一つもないわ。この聖なる大地の結晶が、あなたとリディアを繋ぐ架け橋になってくれる」
 それからレスコーリアは後ろにさがって、ミシスの背中をちょんと押しました。
「さぁ乗って」
 言われたとおりに、ミシスはそっと一歩を踏み出し、座席に深く腰かけました。
 前を向くと、扉のすぐ両脇の内壁に、おとなの顔ほどの大きさの金属製の円盤が一枚ずつ埋め込まれてあるのが見えました。これとそっくりなものを、ごく最近自宅で見かけた覚えがあります。
「外部との通信をするためのものよ」レスコーリアがミシスの視線に気づいて説明します。
「鉱晶伝話器みたいなもの?」
「そういうこと。察しがいいね」
 にこりと笑ってキャンドル立てを下に置くと、レスコーリアは座席の背後に回り込み、そこから太い布製のベルトを二本引っぱり出し、それをミシスの胸の前で交差させて上半身をがっちりと固定しました。そして真剣な面持ちでミシスの目の前に飛び上がりました。
「いい? よく聞いて。あたしがここを出て扉を閉めたら、じきにあなたとリディアの一体化が始まるわ」
「それって……どうなっちゃうの? わたしの体とか、感覚とか……」
「あなたの感覚はリディアの躯体そのものになる。上手く繋がることができたら、あなたが動こうと思ったとおりにリディアは動いてくれるわ」
「えっ……どうやってそんなことが――」
「今はくわしい仕組みを説明している時間はないの」ぴしゃりとレスコーリアが制します。「とにかくあなたのすべきことは、心を平静に保って、この子と心身を融合させることだけ」
「でも、リディアの体の感覚がわたしのこの体の感覚とおなじになるっていうなら、ここにいるわたしの体はどうなっちゃうの?」
「当然、ずっとここにあり続けるわ」
「だから、それっていったいどういう……」
「夢を見る時のことを思いだして」少女の鼻先でレスコーリアが人差し指を突き立てます。「眠っている時に見る夢のことよ。あなたは自分が巨兵になって、自由に大地を駆けまわる夢を見るの。あなたは自分が本当は一人の人間の女の子だってことを、そのあいだは忘れ去っている。でもあなたはそれでも、自分は眠る前からなにも変わることのない自分という存在そのものだという疑いようのない自覚をもったまま、目覚めている時とおなじように夢のなかで生きている。じゃあ一方、眠っているあなたの本当の体は、どこにあるのか? それはもちろん、普通はベッドのなかね。シーツと毛布に包まれて、安全な家の壁に守られて、じっと静かに身を横たえている。あたしの言いたいことがわかる?」
「夢を見るっていうのがどういうことなのかは、わかるわ。でも……」
「こう考えてみて」レスコーリアが両の手のひらをそっと合わせます。「カセドラを動かすっていうことは、目覚めながら夢を見るということなんだと」
 ミシスは眉をひそめました。目覚めながら夢を見る? それは、明らかに矛盾する行為じゃないのかしら……。
「そんなことが、本当にでき――」
「できるわ。というか、そうなるの、そうなるしかないの」いよいよ切迫した口調で、レスコーリアが言い放ちました。
 ミシスは急に怖くなって、肘掛けの先端についている丸い取っ手を、左右それぞれの手でぎゅっと握りしめました。それは驚くほど、手に馴染む形をしていました。
「そう、そうしておくのがいいわ」レスコーリアがうなずきます。「いい、リディアはあなたの思い描いたとおりに動くわ。でも、ここにいるあなたは、なるべくじっとしてなきゃだめ。夢のなかの自分とおなじように走りまわったり飛んだり跳ねたりしたら、ベッドのなかのあなたの体は大変なことになっちゃうでしょ?」
 そう言われてようやく、ミシスはこれからどういうことが自分の身に起こるのかということを、漠然と理解しました。
「本当は、何度も何度もとくべつな訓練を重ねてからでないと、カセドラの搭乗は許可されないの。でもね、あたしは信じてる。ミシスのこと」
「どうしてそう言えるの?」
「あなたの目、アリアナイトみたいに綺麗」レスコーリアは優しくほほえみました。「それに、あなたの全身から放たれてるイーノの波動。とてもまっすぐで、迷いがなくて……そして、とても清らかだわ。ほとんど、胸が痛くなるくらいに。大切なのは、その純粋で曇りのない心なのよ」
 そう言いながら、レスコーリアは徐々に後方へ退いていきました。そのまま操縦席の外まで出ると、顕術を使って扉を徐々に閉じはじめました。そして最後にできたほんのわずかな隙間から、星のように強く小さく輝く瞳でミシスの顔を正面から見据えました。
「あなたとリディアが繋がるのを感じたら、あたしがグリューの目を盗んで、船の出撃口を開けるわ。でもきっとすぐに気づかれて妨害されると思うから、急いで飛び出してね」
「そのあとは、どうすればいいの?」
「そのあとは」レスコーリアは一瞬口をつぐみました。「……戦いになるわ。それも、絶対に勝たなきゃいけない戦いに」
「わたし、戦いなんてしたことないよ」
「わたし、と考えないで。今はミシスのことはいったん置いておいて、リディアとして自分を認識して。そのあとは、たぶん、なんとかなる。いえ、なんとかできる。あなたとリディアなら」
「……やるしかないのね」
「そうよ。お願い。みんなを守って。あたしもどうにか、グリューのやろうとしていることを止めてみせるから」
 ミシスは細い隙間から右手の指先を外へ向けて差し出しました。レスコーリアの人形のように小さな両手が、その指を抱きしめるように握りました。
「頼んだわ、ミシス。あなたの手で、運命を変えるのよ」
 ミシスは固く唇を結んで、力いっぱいうなずきました。
 そうして、巨兵の胸の扉は閉じられました。それを起動の合図に、たちまちミシスの全身が青い光に包み込まれていきます。天井の輪がかすかな唸りを上げて、七色のオーロラのような輝きを放ちはじめました。それから幾千もの鈴が一斉に鳴らされるような不思議な音が、全方位から押し寄せてきます。
 外界のなにものにも(おか)すことのできない聖なる青の空間のなかから、巨大な躯体の隅々に至るまで、ミシスの意識が溶け出し、広がっていきます。
 今、リディアに心が生まれようとしていました。
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登場人物紹介

◆ミシス


≫『聖巨兵カセドラ』本編シリーズの主人公。推定年齢は15歳前後。大陸北西部の白砂地帯に一人倒れていたところを王国軍に保護された、記憶喪失の少女。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫旧コランダム公国の郊外の丘に、母親と二人暮らす少女。思いがけない縁の運びにより、生涯の親友となるミシスと巡り逢う。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫エーレンガート女学院の生徒代表と寮長を兼任する俊才にして、一流の剣士。ハスキル院長を敬慕している。ノエリィとは幼馴染みどうし。

◆ハスキル・エーレンガート


≫エーレンガート女学院の創立者にして学院長。ノエリィの実母。大戦前から数々の悲運を経験してきた苦労人だが、常に笑顔と優しい言葉を絶やさない名教師。

◆グリュー・ケアリ


≫ホルンフェルス王国軍所属の科学者。名門ケアリ家の長子。現在はマノン・ディーダラス博士の助手を務めている。無類の料理好き。

◆マノン・ディーダラス


≫若き天才発明家として名を馳せる科学者。ホルンフェルス王国軍所属。出身地はコランダム公国。輝かしい赤髪は持って生まれたもの。

◆レスコーリア


≫無二の相棒として長年マノンと寝食を共にしてきた、アトマ族の少女。アトマ族としてはめずらしい高度な知的能力を持つ。性格は至って自由奔放だが、実はとても義理堅い。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫コランダムの軍人。巨兵大戦前には、同国の騎士団長を務めていた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫コランダム軍に所属する武人。公国の名門キャラウェイ家の長女。常時冷静沈着だが、その身の内に秘める覇気は並々ならぬものがある。

◆レンカ・キャラウェイ


≫キャラウェイ家の次女。姉のライカと共にコランダム軍に所属している。いささか気性が荒く我儘で、興味がないことには一切関与しようとしない。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍の将軍。全騎士団及び国王親衛隊を含む総軍の長。〈戦王〉と讃えられる国王トーメをして、「魂の兄弟」と言わしめた傑物。

◆〈アルマンド〉


≫ホルンフェルス王国軍の主力量産型カセドラ。史上初めて完全な建造に成功したカセドラとして知られているが、今なお世界最優秀の量産機と評される。

◆〈ラルゲット〉


≫かつてコランダム公国が主力として運用していた量産型カセドラ。〈巨兵大戦〉終結後は、一切の製造が禁止された。

◆〈□□□□□〉


≫???

◆〈□□□□〉


≫???

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