36 あたしには、わかってたもん
文字数 3,713文字
新たな一撃をくり出そうと、赤いカセドラが再び槍を振りかざし、マノンとグリューが生涯最後になるはずだった微笑を交わしあった、その時でした。
レジュイサンスの操舵室内、操縦席の前に立つグリューの脇をかすめて操縦機器に飛びかかったレスコーリアが、両手で思いきり出撃口の開閉レバーをつかみ、迷いなくそれを一気に引き下げました。
直後、きりきりと小気味の良い軋みを響かせながら、レジュイサンス前部の甲板が上昇を始めました。
はっと気づいたグリューが、すぐさま眼下にレスコーリアの姿を認めて、怒声を張り上げながら開閉レバーに手を伸ばします。
しかしレスコーリアはその小さな体のすべてを使ってレバーにしがみつき、絶対に離そうとはしません。
それぞれの場所から、グリューとマノンが同時に敵の姿を確認します。
突飛に持ち上がった事態を判断しかねてか、赤いカセドラもラルゲットの操縦席に立つライカも、その動きをぴたりと止めて警戒している様子です。
レスコーリアが梃子 でも動かないことを悟ったグリューは、いよいよ最終手段を決行するための起動装置へと手を伸ばしました。
しかし次の瞬間、その手はあらぬ方向に捩じ曲げられ、狙った位置から外れて操作盤の角 にしたたかに打ちつけられました。
グリューがぎろりとレスコーリアを睨みつけます。彼女は渾身の顕術で、彼の手を封じています。対する彼もまた、自由な方の手を彼女に向けて突き出します。
けれどレスコーリアの飛翔の方がわずかに早く、彼女はグリューの放った顕術の衝撃波をかわすと、そのまま青年の顔面に体当たりを食らわせました。その反動で彼は後ろ向きに床へ倒れ込みます。レスコーリアは両手足を広げて青年の顔面に貼りついたまま、決して動こうとしません。
グリューはどうにか彼女を引き剥がそうと試みますが、無理にすると彼女の髪や羽を引きちぎってしまいそうなのが怖くて、手指に本気の力が込められません。
わけのわからない怒号をまき散らす青年を必死に抑えつけながら、レスコーリアは絶叫しました。
「ミシス!! リディア――――っ!!」
状況の推移を目撃していた全員が、次の瞬間に起こったことをすぐには理解することができませんでした。
レジュイサンスの出撃口から雷光のような速度で外へ飛び出してきた巨大なそれは、一瞬のうちにラルゲットの手から槍をむしり取ると、すぐさま片足を軸にして華麗に体を回転させ、その遠心力を乗せた強烈な回し蹴りを、槍を構えて静止していた赤いカセドラの下腹部に鋭く撃ち込みました。
たまらず赤いカセドラは後方へ吹き飛び、頭部を雑木林のなかに突っ込んで仰向けに倒れました。
「レンカ!?」ライカが叫び、とっさにラルゲットの操縦席に飛び込みます。
新たに現れた碧いカセドラは、今度は右手をぐっと後ろに引くと、固く握ったその拳を、全力でラルゲットの顔面に叩き込みました。
操縦者が悲鳴を上げる間もなく、ラルゲットもまた、後ろへのけぞるように倒れました。
立て続けに巻き起こった衝撃音と地響きに圧倒されて、マノンは腰を抜かしたようにその場にしゃがみ込みました。そして大きく両目を見開き、天を仰ぎます。
「リディア……⁉」
唇を震わせながら、すぐさま携帯伝話器を取り出してレジュイサンス操舵室と通信を結びます。
「おい、助手くん! どうなってるんだ、誰がリディアに乗ってるんだ!?」
「ミシスよ!」どういうわけかレスコーリアの声が返ってきます。
「レスコーリア? ……ミシスって、あの子か? あの子が乗ってるっていうのか?」
顔を跳ね上げて、マノンは崩れかけた校舎の玄関広間を確認します。でもそこには誰の姿も見当たりません。奥で誰かが動く気配もありません。
「逃げたんじゃ、なかったのか……?」濡れた髪を顔じゅうに貼りつけながら、彼女はいっとき途方に暮れます。「いったい、なにがどうなって……」
「し、師匠! こいつをどうにかしてくだい! ……おい、くそっ、いい加減離せ!」グリューの切迫した叫びが聴こえてきます。
マノンは静かに心を落ち着けて、嵐のなかに立つカセドラ〈リディア〉を見あげます。
宝石のように照り輝く碧い鎧。
白雪のように穢れのない四肢。
天使のそれのように麗しい翼。
女神のごとく凛然たる佇まい。
「美しい……」
思わず見惚れて吐息をもらしたマノンでしたが、すぐに気を取り直して敵方のカセドラへ目を向けます。
「今のを、あの子がやったのか……?」
激しい雨のなか、鮮烈な感銘を受けて絶句しながら、マノンはじっと立ち尽くしました。
そして再び伝話器を耳に当てます。
「……レスコーリア。きみが手引きしたのか?」
「そうよっ!」
「本当に、ミシスが乗ってるんだね。あのリディアに」
「だからそう言ってるじゃなーーい!」
「助手くん」
平静を取り戻したマノンの一声が届けられると、操舵室内の喧騒はぴたりと止みました。
「作戦は中止だ」
マノンがそう告げたきり、レジュイサンスの船内からはなんの物音も聴こえなくなりました。
「レスコーリア。とんでもないことをしてくれたね」そう言いながら、しかし咎めるふうでもなく、マノンが穏やかに声をかけます。
「でもあたし、これっぽっちも後悔なんてしてないから」レスコーリアの涙声が返ってきます。「誰にも死んでほしくなかったのよ」
「ありがとう、レスコーリア」マノンは弱々しくほほえむと、大股でレジュイサンスに向かって歩き出しました。「今から僕もそっちに行く。ここは一つ、あの子に賭けてみよう」
そこで通信は終了しました。
このやりとりがおこなわれているあいだ、リディアの胸のなかにいるミシスは、まさに明瞭な白日夢でも見ているような、不可思議な感覚に包まれていました。
レスコーリアが説明してくれたことは、正しかった。彼女はそう思います。
今、わたしは目を開けたまま夢を見ている。
もう一人のリディア になる夢を。
たしかにそう表現するしかない状態のなかに、自分はいる。
もはやわたしとリディアは、どちらがどちら、ということはなくて、そっくり一つに融けあっている。
そう、わたしたちは一つだ。
それにしても……なんて軽い体だろう。
こんなに大きくて重たいものでできているのに、この子はなんて軽やかで、柔らかく動けるんだろう。普段の自分の体より、よっぽど動かしやすいくらいだ。
リディアは振り返り、その目をレジュイサンスの操舵室に向けます。巨兵と視覚を共有するミシスにも、その光景を確認することができます。
ガラス越しに、着衣の乱れを直すグリューと、目もとを拭っているレスコーリアの姿が見えます。その背後から、全身ずぶ濡れのマノンが姿を現しました。そして先にいた二人それぞれの肩にぽんと手を置くと、操縦席の前に据えられた通信装置に顔を近づけました。
「ミシス。聴こえているね。それに、こちらの様子も見えているね」
「はい。よく聴こえるし、よく見えます。でも、すごく不思議。みんな小人 になっちゃったみたい」
「きみが大きくなったんだよ」マノンが笑います。「リディアの仮面の奥、人間でいうところの眼球がある部分には、特殊な鏡面加工を施されたアリアナイトが埋め込まれてる。そこに映るものが、今きみの視覚と同期しているはずだ」
「ええ、いつもより、なんだか世界が広く見えます。なにもかも、はっきりと見えるわ」リディアの首を左右に回 らせながら、ミシスがこたえました。
「……よし」グリューが安堵の息を吐きました。「ミシス、気分が悪かったり、頭が痛かったりしないか?」
「平気だよ。今のところは」
「そうか。いや、それにしても驚きだな。よほど適性があったのか……」
「あたしには、わかってたもん」レスコーリアの得意げな声が聴こえます。
「わたしはなんともないけど、ノエリィが怪我してるの。まだ校舎のなかで寝てるはずだから、早く助けに行かなきゃ――」
「ミシス、後ろ!」とつぜんマノンが叫びます。
リディアが振り向いた先で、灰と赤の二体のカセドラがふらふらと立ち上がりました。すっと両脚を広げて足裏に力を込め、リディアは奪った槍を構えます。
「近接顕導域 の周波 同調開始」マノンが指示を出します。
グリューがうなずいて手もとの機器に操作を加えました。
「……よし。聴こえているな。コランダム軍」マノンが厳しい声で呼びかけました。
「……ちっくしょう」|苦々しげなレンカのうめき声が、レジュイサンスの操舵室にも、ミシスのいるリディアの操縦席にも届きます。「ライカ姉さん、大丈夫?」
「だめだ」簡潔に、しかし苦渋に満ちた声で、姉が応答します。「視覚を潰された。なにも見えない」
「そんなださいのに乗ってるからよ。だから〈フィデリオ〉で出ればよかったのに」
「フィデリオはまだ調整段階だ」
「はぁ、もういいわ。船に戻ってて。こいつらは、わたしの〈コリオラン〉でめちゃくちゃにしてやる。なにしろ見事な抵抗を受けたからね。これで将軍の方針どおり、徹底的な報復行為ってやつに及んでもいいわけだ。そうでしょ? 姉さん」
「好きにしろ」ライカがため息混じりにこたえました。
レジュイサンスの操舵室内、操縦席の前に立つグリューの脇をかすめて操縦機器に飛びかかったレスコーリアが、両手で思いきり出撃口の開閉レバーをつかみ、迷いなくそれを一気に引き下げました。
直後、きりきりと小気味の良い軋みを響かせながら、レジュイサンス前部の甲板が上昇を始めました。
はっと気づいたグリューが、すぐさま眼下にレスコーリアの姿を認めて、怒声を張り上げながら開閉レバーに手を伸ばします。
しかしレスコーリアはその小さな体のすべてを使ってレバーにしがみつき、絶対に離そうとはしません。
それぞれの場所から、グリューとマノンが同時に敵の姿を確認します。
突飛に持ち上がった事態を判断しかねてか、赤いカセドラもラルゲットの操縦席に立つライカも、その動きをぴたりと止めて警戒している様子です。
レスコーリアが
しかし次の瞬間、その手はあらぬ方向に捩じ曲げられ、狙った位置から外れて操作盤の
グリューがぎろりとレスコーリアを睨みつけます。彼女は渾身の顕術で、彼の手を封じています。対する彼もまた、自由な方の手を彼女に向けて突き出します。
けれどレスコーリアの飛翔の方がわずかに早く、彼女はグリューの放った顕術の衝撃波をかわすと、そのまま青年の顔面に体当たりを食らわせました。その反動で彼は後ろ向きに床へ倒れ込みます。レスコーリアは両手足を広げて青年の顔面に貼りついたまま、決して動こうとしません。
グリューはどうにか彼女を引き剥がそうと試みますが、無理にすると彼女の髪や羽を引きちぎってしまいそうなのが怖くて、手指に本気の力が込められません。
わけのわからない怒号をまき散らす青年を必死に抑えつけながら、レスコーリアは絶叫しました。
「ミシス!! リディア――――っ!!」
状況の推移を目撃していた全員が、次の瞬間に起こったことをすぐには理解することができませんでした。
レジュイサンスの出撃口から雷光のような速度で外へ飛び出してきた巨大なそれは、一瞬のうちにラルゲットの手から槍をむしり取ると、すぐさま片足を軸にして華麗に体を回転させ、その遠心力を乗せた強烈な回し蹴りを、槍を構えて静止していた赤いカセドラの下腹部に鋭く撃ち込みました。
たまらず赤いカセドラは後方へ吹き飛び、頭部を雑木林のなかに突っ込んで仰向けに倒れました。
「レンカ!?」ライカが叫び、とっさにラルゲットの操縦席に飛び込みます。
新たに現れた碧いカセドラは、今度は右手をぐっと後ろに引くと、固く握ったその拳を、全力でラルゲットの顔面に叩き込みました。
操縦者が悲鳴を上げる間もなく、ラルゲットもまた、後ろへのけぞるように倒れました。
立て続けに巻き起こった衝撃音と地響きに圧倒されて、マノンは腰を抜かしたようにその場にしゃがみ込みました。そして大きく両目を見開き、天を仰ぎます。
「リディア……⁉」
唇を震わせながら、すぐさま携帯伝話器を取り出してレジュイサンス操舵室と通信を結びます。
「おい、助手くん! どうなってるんだ、誰がリディアに乗ってるんだ!?」
「ミシスよ!」どういうわけかレスコーリアの声が返ってきます。
「レスコーリア? ……ミシスって、あの子か? あの子が乗ってるっていうのか?」
顔を跳ね上げて、マノンは崩れかけた校舎の玄関広間を確認します。でもそこには誰の姿も見当たりません。奥で誰かが動く気配もありません。
「逃げたんじゃ、なかったのか……?」濡れた髪を顔じゅうに貼りつけながら、彼女はいっとき途方に暮れます。「いったい、なにがどうなって……」
「し、師匠! こいつをどうにかしてくだい! ……おい、くそっ、いい加減離せ!」グリューの切迫した叫びが聴こえてきます。
マノンは静かに心を落ち着けて、嵐のなかに立つカセドラ〈リディア〉を見あげます。
宝石のように照り輝く碧い鎧。
白雪のように穢れのない四肢。
天使のそれのように麗しい翼。
女神のごとく凛然たる佇まい。
「美しい……」
思わず見惚れて吐息をもらしたマノンでしたが、すぐに気を取り直して敵方のカセドラへ目を向けます。
「今のを、あの子がやったのか……?」
激しい雨のなか、鮮烈な感銘を受けて絶句しながら、マノンはじっと立ち尽くしました。
そして再び伝話器を耳に当てます。
「……レスコーリア。きみが手引きしたのか?」
「そうよっ!」
「本当に、ミシスが乗ってるんだね。あのリディアに」
「だからそう言ってるじゃなーーい!」
「助手くん」
平静を取り戻したマノンの一声が届けられると、操舵室内の喧騒はぴたりと止みました。
「作戦は中止だ」
マノンがそう告げたきり、レジュイサンスの船内からはなんの物音も聴こえなくなりました。
「レスコーリア。とんでもないことをしてくれたね」そう言いながら、しかし咎めるふうでもなく、マノンが穏やかに声をかけます。
「でもあたし、これっぽっちも後悔なんてしてないから」レスコーリアの涙声が返ってきます。「誰にも死んでほしくなかったのよ」
「ありがとう、レスコーリア」マノンは弱々しくほほえむと、大股でレジュイサンスに向かって歩き出しました。「今から僕もそっちに行く。ここは一つ、あの子に賭けてみよう」
そこで通信は終了しました。
このやりとりがおこなわれているあいだ、リディアの胸のなかにいるミシスは、まさに明瞭な白日夢でも見ているような、不可思議な感覚に包まれていました。
レスコーリアが説明してくれたことは、正しかった。彼女はそう思います。
今、わたしは目を開けたまま夢を見ている。
もう一人の
たしかにそう表現するしかない状態のなかに、自分はいる。
もはやわたしとリディアは、どちらがどちら、ということはなくて、そっくり一つに融けあっている。
そう、わたしたちは一つだ。
それにしても……なんて軽い体だろう。
こんなに大きくて重たいものでできているのに、この子はなんて軽やかで、柔らかく動けるんだろう。普段の自分の体より、よっぽど動かしやすいくらいだ。
リディアは振り返り、その目をレジュイサンスの操舵室に向けます。巨兵と視覚を共有するミシスにも、その光景を確認することができます。
ガラス越しに、着衣の乱れを直すグリューと、目もとを拭っているレスコーリアの姿が見えます。その背後から、全身ずぶ濡れのマノンが姿を現しました。そして先にいた二人それぞれの肩にぽんと手を置くと、操縦席の前に据えられた通信装置に顔を近づけました。
「ミシス。聴こえているね。それに、こちらの様子も見えているね」
「はい。よく聴こえるし、よく見えます。でも、すごく不思議。みんな
「きみが大きくなったんだよ」マノンが笑います。「リディアの仮面の奥、人間でいうところの眼球がある部分には、特殊な鏡面加工を施されたアリアナイトが埋め込まれてる。そこに映るものが、今きみの視覚と同期しているはずだ」
「ええ、いつもより、なんだか世界が広く見えます。なにもかも、はっきりと見えるわ」リディアの首を左右に
「……よし」グリューが安堵の息を吐きました。「ミシス、気分が悪かったり、頭が痛かったりしないか?」
「平気だよ。今のところは」
「そうか。いや、それにしても驚きだな。よほど適性があったのか……」
「あたしには、わかってたもん」レスコーリアの得意げな声が聴こえます。
「わたしはなんともないけど、ノエリィが怪我してるの。まだ校舎のなかで寝てるはずだから、早く助けに行かなきゃ――」
「ミシス、後ろ!」とつぜんマノンが叫びます。
リディアが振り向いた先で、灰と赤の二体のカセドラがふらふらと立ち上がりました。すっと両脚を広げて足裏に力を込め、リディアは奪った槍を構えます。
「近接
グリューがうなずいて手もとの機器に操作を加えました。
「……よし。聴こえているな。コランダム軍」マノンが厳しい声で呼びかけました。
「……ちっくしょう」|苦々しげなレンカのうめき声が、レジュイサンスの操舵室にも、ミシスのいるリディアの操縦席にも届きます。「ライカ姉さん、大丈夫?」
「だめだ」簡潔に、しかし苦渋に満ちた声で、姉が応答します。「視覚を潰された。なにも見えない」
「そんなださいのに乗ってるからよ。だから〈フィデリオ〉で出ればよかったのに」
「フィデリオはまだ調整段階だ」
「はぁ、もういいわ。船に戻ってて。こいつらは、わたしの〈コリオラン〉でめちゃくちゃにしてやる。なにしろ見事な抵抗を受けたからね。これで将軍の方針どおり、徹底的な報復行為ってやつに及んでもいいわけだ。そうでしょ? 姉さん」
「好きにしろ」ライカがため息混じりにこたえました。
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