41 すべてが終わったら

文字数 4,870文字

 雨季が過ぎ去ったばかりのすがすがしい夕焼けのなか、ハスキル・エーレンガートは馬車に揺られて町の病院から丘の上の自宅へと帰ってきました。
 手綱を引くゲムじいさんに礼を言って、いまだ惨状の爪跡の生々しい校舎と広場を横目で見やりながら、今は一人で暮らしている家の玄関のドアを開けました。
 服を着替え、お茶を淹れる支度をしていると、来客が一人ありました。
 それは郵便配達人の格好をした体格のよい中年の男性でした。ハスキルが怪しむ素振りもなく玄関に招き入れると、男は途端に目つきを鋭くして、自分は王国軍のレーヴェンイェルム将軍の(つか)わした使者である、と早口に告げました。
 ハスキルが目を丸くしていると、彼は手のひらに載るほどの大きさの楕円形の板状の箱と、豪勢な真紅の(ろう)で封をされた分厚い手紙を取り出して、彼女の手に強引に握らせました。そしてこの家に監視がついているということを簡潔に伝え、箱を開ける前に必ず手紙に目を通すように指示すると、受取票に署名をする演技をするようにうながし、それが済むと何事もなかったかのように笑顔で一礼して立ち去りました。
 おなじようになにげなさを装った笑顔で彼を見送ると、ハスキルはドアを閉めてその場に立ったまま震える手で手紙の封を切りました。
 それはレーヴェンイェルム将軍が自らしたためた手紙でした。
 そしてそこには、ハスキルの二人の娘は無事でいることと、彼女たちが巻き込まれてしまった事態について(もちろん〈リディア〉に関する事情はうまく伏せてありましたが)、くわしい経緯が説明されていました。
 手紙の最後には、軍の統率者としてご息女たちを危険な目に遭わせてしまったことを誠に申しわけなく思うという謝罪の言葉と、読み終えたらこの手紙はすぐに燃やすように、との指示が書かれていました。
 息を切らせてすべての文章に目を通したハスキルは、涙を浮かべてその場にへたりこんでしまいました。そしてその体勢のまま最初から最後までくり返し二度読み返すと、調理場へ行って指示されたとおりにその手紙を燃やしました。
 それから小さな箱を手に取り、その箱の使い道について書かれていた手紙の内容を冷静に反芻しました。
 その箱は、携帯型の鉱晶伝話器でした。しかしこの家の周辺でそれを用いて通信をおこなうとコランダム軍に傍受されてしまう恐れがあるため、なるべく丘の外の人目につかない場所で、それもできれば一度きりの使用に留めておくように、という忠告がなされていました。
 一度きり、というのは、コランダム軍の監視下にあるハスキルが個人の秘匿回線を所有していることが露見した場合、その身に余計な嫌疑がかかる可能性があるため、という判断によるものでした。なので決して誰にも見られないよう、聴かれないよう、一度きりの使用の(のち)、通信機内部のアリアナイトごと破砕してから破棄するようにと、念を押されていました。
 眠れない夜を過ごしたハスキルは、翌日の午前中、ゲムじいさんの馬車に乗ってタヒナータの病院へ行き、ピレシュが眠っている病室に入るとすぐさまドアを閉じて伝話器を取り出しました。そして指定された周波数番号のダイヤルを回し、その時点で大陸東部の山岳地帯に身を隠していた飛空船レジュイサンスと通信を繋ぎました。
 操舵室に待機していたグリューがその通信を受け取り、大慌てで船内の全乗員に召集をかけました。
 それを受けてみんなが一斉に操舵室へ駆け込んできました。
「あぁ、無事でよかった、お母さん……」通信器の前でぐったりとしゃがみこんで、ノエリィが両目に涙を浮かべました。
「私もあなたたちが無事だと聞いて、本当に安心したわ」ハスキルも鼻声で応じます。「みんな、大変だったわね……」
 ノエリィの肩に手を置くミシスも、手の甲で目もとを拭います。
 マノンもまた、じわりとまぶたの(ふち)を赤くして、息を詰まらせながら口を開きました。
「ハスキル先生。今回のこと、なんとお詫びしたらいいか……」
「謝らないで、マノンちゃん」普段と変わらない調子でハスキルが言います。「将軍からすっかり事情は聞きました。あなたたちが自分たちの任務を果たすために必死だったってこと、よくわかっているつもりよ。娘たちとおなじように、あなたたちのことも誇りに思うわ」
「先生……」マノンは胸に手を当てて、言葉を失いました。
 操舵室の壁際に置かれたソファに腰かけているグリューも、一人静かに感服の笑みを浮かべます。彼の頭の上であぐらをかいているレスコーリアは、じっと口を閉ざしてみんなの様子を観察しています。
 ハスキルと連絡がついたこの日は、新生コランダム軍が独立宣言を発してから四日目に当たりました。そのあいだにレジュイサンスの乗員たちは、将軍からの通信でハスキルの無事を知らされてはいましたが、それでもノエリィは母の口から(じか)に当時の事情を聞きたがりました。
 それにこたえて、ハスキルは事件当日以降に自分の身に起こった数々の出来事について、かいつまんで説明しました。
 あの星灰宮から黒煙が上がった日、学院の関係者に負傷者は一人も出すことなく、なんとか全員で町の公会堂へ避難することができたこと。
 そして早くもその日の夜に、コランダム軍の人間が数名、ハスキルのもとを訪ねてきたこと。
 その直後、自宅や学院の施設を調べられたこと。
 結果、マノンから贈られた数年分のバースデイ・カードと、行方をくらましたノエリィとミシスに関する個人情報が記載されている身分証や書類や写真のたぐいが、すべて押収されてしまったこと。
 ハスキルに帰宅許可が出たのは今日から数えて二日前のことで、以来、学院の敷地内でたびたび何者かの視線を感じるようになったこと。
 校舎の再建の目処(めど)はまだ立っておらず、これから当分のあいだは生徒たちの他校への転校や編入の手続きに追われることになりそうだということ。
 そして今、人目につかない場所から、レジュイサンスと通信を結んでいること……。
 遊撃隊の面々は、みな身動きもせずに押し黙って、ハスキルの話に耳を傾けました。
「何度も家に伝話しようと思ったんだけど」ノエリィが乾いた声で言いました。「でも、そのたびにマノンさんたちにきつく止められたの。今思えば本当に、かけなくてよかったわ。会話が傍受されるなんて、嘘みたいって思ってたけど……」
「これからも、そちらからうちに連絡してはだめよ」ハスキルが真剣な口調で言います。「事態は、私やあなたが想像しているより、もっと深刻で複雑みたいね。今後もマノンちゃんやグリューさんの言うことをしっかり聞くのよ。勝手な行動をしちゃだめ」
「うん、わかってる。……ねぇお母さん。じゃあ、またこうやって話をするのは……」
「……ええ。残念だけど、しばらくは難しそうね」
「心配いらないよ」マノンが横から声をかけます。「先生にはコランダム軍の監視もついてるけど、こっちの警護だってばっちりついてるからね。少し手間はかかるけど、連絡を取ろうと思えばいつでも可能だよ」
「そうなんですね」ノエリィがほっと息をつきました。「よかったぁ。ちゃんと味方もいてくれてるんだ」
「でもね」依然として厳しさを保ったまま、ハスキルが続けます。「あなたたちと私たち、どちらにとっても危険が増す可能性があるのなら、連絡は極力控えるようにすべきだわ。寂しいけど、ね……」
 各々その言葉に同意して、やるせなくうなずきました。
「ねぇ、学校がすぐには再開できないんなら、ピレシュは? いっときどこか余所(よそ)の学校へ行くの?」ノエリィが案じてたずねます。
「あ……」ハスキルはとつぜん口をつぐみました。「ピレシュは……」
「? どうしたの、お母さん」
「……ピレシュは、今ここで、私の目の前で、眠っているわ」
「え? ……何それ。どういうこと?」
「お母さんはね、今、ピレシュが入院している病院から、この伝話をかけているの」
 それを聴いてミシスとノエリィは一瞬で血相を変えました。
「どうしてっ!? だってさっき、みんな無事だって……!」ノエリィが身を乗り出します。
「体は無傷よ」ハスキルが深いため息を交えてこたえます。「でもピレシュは、心労で倒れてしまった」
「……そんな。あの、あのピレシュが……」
「一時的なものだってお医者さんはおっしゃっているけれど、それでもまだ数日は、安静にして様子を見た方がいいって……」
「それで今、ピレシュは眠ってるのね? 話せない?」
「今はお薬で眠っているわ。体調は安定しているけど、まだ精神の方が不安定で……。起こさないようにって、言われているの」
「……なんてこと……。……ねぇお母さん、今すぐには会いに行けそうにないけど、どうかわたしたちのぶんまで、ピレシュのそばにいてあげてね……」
「うん、任せておいて。この子も私の大事な娘だもの。いつまでだってそばにいるわ」
 そこでノエリィは自分の背後に立っているミシスの方を振り返りました。呆然と立ち尽くすその顔からはすっかり血の気が引いて、青い瞳は二つとも哀しみの底に沈んでいます。ノエリィは背筋を伸ばしてミシスの隣に立ち、その背中にそっと自分の右手を添えました。ミシスもまた、力の入らない手をおなじようにノエリィに返します。
「……ミシス、大変だったわね」ハスキルが呼びかけます。
「はい」ミシスは懸命に笑顔を浮かべました。「ちょっと、大変でした。わたしも、みんなも……」
「そうね。でもあなたが元気でいてくれて、それだけで私、とっても嬉しい。これから先、なにがどうなっていくのかわからないけれど、私はあなたを、あなたたちを信じているわ。あなたたちが、自分の正しいと思うことをきちんとやっていくってことを、心から信じてるから。私も、離れていたって、あなたたちと一緒にいるつもりで、自分にできることを精一杯やっていくつもりよ」
 マノンもまたミシスの隣にやって来て、言葉もなくその左手を少女の背中に添えました。
 ミシスは背中に二人の手のひらの温もりを感じながらしっかりと顔を上げ、再び瞳に光を呼び覚まして口を開きました。
「先生! わたし、ノエリィと一緒に、いつか必ず先生のもとへ帰ります」
「……ミシス。私はあなたのこと、本当の娘だと思っているわ。大切な、新しい娘だと……」
 ミシスの両の瞳から、大粒の涙が一つずつ、こぼれ落ちました。
「先生、わたし、すべてが終わったら、先生の……」
 その先は、言葉になりませんでした。
 ハスキルが慈愛に満ちた笑顔を浮かべているのを、遠く離れていても、誰もが肌身に感じていました。
「待っているわ。あなたとノエリィが、いつもみたいに、ただいまって笑って帰ってくるのを。またみんなで楽しく、一緒に暮らせる日が来るのを」
 ごしごしと目もとを拭うノエリィの背中を、今度はミシスがそっと撫でました。
「だから、いい? あなたたち」ふいに活気を取り戻してハスキルが告げます。「どんなに大変でも、毎日しっかり食べて、ちゃんと睡眠をとるのよ。それからもちろん、勉強もね。なにしろあなたたちはまだ学生なんですからね。そのことを忘れちゃだめよ。わかった?」
「あ……は、はい」二人の少女は目を点にして一緒に返事をしました。
「よろしい!」満足げにハスキル先生が笑います。「ミシスは、ノエリィがさぼらないように、ちゃんと見張っててね」
「なんでわたしだけ?」ノエリィが不服そうに口を尖らせます。
「任せておいてください」ミシスが胸を叩いてこたえました。
「ちょっとぉ! じゃあわたしだって、ミシスがさぼってるとこ見たら、すぐお母さんに報告するからね!」
「なぁんか、()まらないなぁ……」
 呆れ顔でグリューがつぶやくと、全員一斉に笑いだしました。
「みんな、しっかりね」いつもの明るい声で、最後にハスキルが言いました。「今日は本当に話せてよかったわ。次はいつになるかわからないけれど、その時にはまた元気な声を聴かせてね」
 遊撃隊一同が力強くそれにこたえて、通信は終了しました。
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