30 たとえ死んでも手放せないもの

文字数 5,323文字

 世界の運命を一変させてしまう放送が終了すると、ハスキルがめまいがすると言ってソファに倒れ込んでしまいました。三人の少女が血相を変えてその体を抱き支えます。
 マノンは片手で顔を覆い、もう片方の手を力なく壁に当て、肩で大きく息をしました。そのかたわらに立つグリューはまるで彫像のように固まり、彼の頭上に座るレスコーリアはつぶらな瞳を見開いて虚空を凝視しています。
 そのまま少し経つと、ばたんと派手に玄関のドアが開かれました。全員が弾かれたように身をひねり、そちらを振り向きます。
 まるで猛然とカヌーを漕ぐ人のように全身を揺らして息を切らせるゲムじいさんが、ずぶ濡れのレインコートを着てそこに立っていました。
「ハスキル先生!」
 コートを脱ぎ捨てて叫びながら、ゲムじいさんはみんなのいる食堂へ駆け込んできました。そして脇目も振らずに、ハスキルの膝元へ駆け寄りました。
「大丈夫よ、ちょっと気分がわるくなっただけ」ハスキルは懸命に笑顔を浮かべますが、その顔色はまさに蒼白です。
「ゲムじいさん、今の放送聴いてたのね?」ピレシュがたずねました。
 凄まじい形相を崩さないまま、ゲムじいさんは小さく一度うなずきます。そして肩を細かく震わせて、食いしばった歯の隙間から声をもらしました。
「なんて……なんてことだ」
 束ねた赤髪を鞭打つように打ち振り、マノンが一同の中心ぶ進み出ました。
「今すぐ事態が大きく動いたり、騒乱が拡大したりするようなことはないと思う。みんな、いったん落ち着いておくれ」
 それから彼女は安心を配るように一人一人の顔を順に見渡して、みずからも深呼吸をするとさらに言葉を続けました。
「でも、王国軍所属の僕らが今この場にいるのは、とても――」
「師匠っ!」ほとんど絶叫に近い声でグリューが(さえぎ)りました。「あれを!」
 とつぜん目を血走らせた青年が、窓の外を指し示しました。全員が頬をぶたれたようにそちらへ視線を向けます。
「はあぁ!?
 マノンが怒声を上げました。
 その目には、星灰宮から直上の空へと向かって浮上する、数機の空飛ぶ船の姿が映しだされていました。
 それらはまさに、飛空船レジュイサンスそのものでした。
 ただ、マノンたちが乗ってきた機体が目が()めるような赤紫色であるのに対し、星灰宮を飛び立った船はいずれも、ほとんど白に近い灰色をしていました。
「ふざけるなっ!」マノンは拳を振り上げて怒鳴りました。「僕の……僕の船だぞ! まだ中央でさえ配備が整ってないってのに!」
「……どうやら相当深いところまで腐ってたみたいですね、おれたちのいる場所は」
 かぶりを振りながらグリューがこぼしましたが、その両目は師のそれとおなじく怒りで燃えています。
「どういうこと……?」まるで空から降ってくる悪魔でも目撃するような表情で、ノエリィがつぶやきました。
「技術が、マノンさんたちの技術とその結晶が、開発者たちのあずかり知らないうち()れて、いや、洩らされていたんだわ……」ピレシュが奥歯を噛みしめました。
 上空へ舞い上がったコランダム軍の飛空船は全部で六機あり、それらが円形のケーキを均等に切り分けるように中心から外へ向かって、非常にゆっくりとした速度で進行を開始しました。
「なにをする気だろう」ミシスが首をかしげます。
「おそらく四方に分散して、周辺の哨戒(しょうかい)と監視に当たるんだろう」グリューが乾いた声で言いました。「あるいは本部近辺の要所に、外からの侵攻に対抗するための抑止力を置こうとしているんだ」
「抑止力?」ピレシュが顔をしかめてその言葉に反応します。「ではあの船は、武装しているということ?」
 それについてはグリューはなにもこたえません。
 ピレシュはマノンの方を確認するようにうかがいます。けれど軍人たちは少女の差し迫った質問にはまったく耳を貸すことなく、ただ飛空船の群れを睨むだけです。
「……師匠」
 グリューがその手をマノンの肩に置いて、決意をうながしました。
「わかってる!」マノンは一言叫び、再び携帯伝話器を取り出して通信を開始しました。「レジュイサンスと同型の船が複数、まもなく当地上空を通過する。見えているね? よし。離陸は取り止めだ。機体の秘匿を最優先する。ただちに光学迷彩機能発動。準備じゃない、発動だ! 今すぐやるんだ!」
 マノンは通話を終えると小走りで窓辺へ向かい、家の前の草地に停泊しているレジュイサンスの姿を注視しました。ほかのみんなもそれに(なら)います。
 一同が見守るなか、巨大な船の表面を覆う赤紫色が、まるで波が引くようにすらすらと消失していきます。そしてその代わりに、ちょうど消えゆく赤紫と入れ替わるようにして、船体が接地している地面の色にそっくりな緑色のまだら模様が、船体外壁の全面に浮かび上がってきました。その魔法のような現象を目にした誰もが、周囲の環境に応じて体色を変化させるある種の動物のことを連想せずにはいられませんでした。まったく信じがたいことに、この船はまさにそのとおりの機能を発揮して、遠くから眺めただけではよほど目を凝らさないかぎりすぐには発見されないような状態に、その身を変貌させました。
「すごい……!」ピレシュが喉を震わせました。
 まるで亀のようにのろのろとした速度で、灰白色(かいはくしょく)の飛空船のうちの一機が、この丘の方へ向かって直進してくるのが確認できます。
「頼む……気づかずに行ってくれ……!」マノンがすがるように懇願します。
「だめだ」グリューが即刻その希望的観測を棄却します。「だめですよ、師匠。あの速さで飛ばれちゃ、このままいくとほぼ確実に発見されちまう」
「どうしてですか?」ピレシュが眉根を寄せます。
「レジュイサンスの動力炉は、太陽光から得られるイーノ波動を燃料に変換する機構になってるんだ。おれたちが今朝までいた実験場の一帯は連日ひどい雨続きだったから、その貯蔵がじゅうぶんじゃない。ここから王都へ帰還するためのぶんしか、燃料は確保できていない。そして、光学迷彩機能は――あの技術こそまさに、ディーダラス博士の最高傑作の一つなんだが――空を飛ぶ以上に、激しく燃料を消費するんだ」
「どれくらいもつのです?」再びピレシュがたずねます。
「今の状態だと……せいぜい十分かそこらだろうな」グリューが口惜しげにこたえます。
「最悪だ……」マノンが自嘲するように吐き捨てました。「どうして、よりにもよって、今日、今、この場所で、僕らがいる時に、こんなことになるんだ。なんで、昨日や一昨日(おととい)や明日や明後日じゃなくって、今日この日だったんだ。この帰省は、十数年ぶりに巡ってきた千載一遇の機会だったんだぞ。いったいどんな天文学的な確率なんだ、これは。まったく、実に救いがたい……」
 なにをそんなに危惧しているのですか。そんな単純な疑問が、ミシスの舌の先までせり上がってきていました。たとえ彼らに発見される事態になったとしても、無抵抗で服従しさえすれば、王国軍関係者だからという理由だけで命まで奪われるようなことにはならないのでは? 宣戦布告ではない、とゼーバルト将軍は言っていたじゃない。歯向かったら容赦はしないとは言ってたけど、まさか一方的に攻撃をしかけてきたりはしないのでは……?
 おとなしく投降してはどうですか。
 ミシスはそう提案しようかと本気で迷いましたが、でもきっとそれが問題なくできるなら、もうその方向で話はまとまっているはずだろうと思い直し、やはり口は閉じておくことにしました。
「どうします!」グリューが歯ぎしりします。「これでもう飛んで逃げることもできなくなっちまったってことですよ」
「もしもの時は、なんとか穏便に事が運ぶよう、努めてみる」肩を落として、マノンが口を開きました。「僕が一人で出ていく。助手くん、君はレジュイサンスの操舵室にて待機。そして……」
 そこでマノンはグリューの耳もとに唇が触れんばかりに顔を寄せて、何事かをささやきました。とっさに耳を澄ませたミシスの耳にかろうじて届いたのは、硬く低い声でくり返されたマノンの「もしもの時は」という言葉、そして蚊の泣くようなグリューの「了解」という返事だけでした。
 グリューがすばやく全員の顔を見渡しました。その頭の上のレスコーリアは危うく振り落とされそうになり、お尻の下の髪の毛に慌ててしがみつきました。
「みなさん、今日はお招きくださってありがとうございました。失礼を承知で、おれは行きます」
 青年はそう言うと誰の返事も待たずに玄関を飛び出していってしまいました。
「わたしたち、どうなっちゃうの?」
 泣きだしそうな声をもらすノエリィの手を、ミシスがきつく握りしめました。そんな二人の姿を目に留めたマノンは、沈んだ面持ちでうなだれながら言いました。
「ごめんなさい、みんな。僕たちが就いている任務について、なに一つ説明してあげることはできないのだけれど、どうか……どうか、わかってほしい」
「軍の守秘義務というやつですね」ピレシュがまっすぐにマノンを見据えました。
 その刺し貫くような視線を正面から受け止めて、マノンは短くうなずきます。そして落ち着き払った調子で指示を発します。
「念のため、今すぐみんなは丘を降りて、町かどこかの安全な場所へ避難してください。寮に学生は?」
「今はたしか、六、七名ほど……」ピレシュが虚空を見あげて数えます。
「ちょっと多いな」マノンが顔色を曇らせました。
「私が寮生たちを引率して避難させます」それまで黙っていたゲムじいさんが手を挙げて言いました。
 マノンはハスキルの方をちらりと見やります。ハスキルは信頼を保証する首肯(しゅこう)を示します。マノンはまた携帯伝話器を手に取ります。
「助手くんは戻ったか? よし。船のことは彼に任せて、君たち二人は、今僕らがいる家と逆方向にある礼拝堂のような建物が見えるね、そこへ大急ぎで向かってくれ。そのなかに六名か七名ほどの生徒がいるはずだ。くれぐれも脅かさないように、自分たちをハスキル学院長の使いの者だとはっきり伝えて、全員を玄関に集めておいてくれ。じきにここの関係者の男性が到着するから、彼の案内に従って丘を出るんだ。そして安全が確保できる場所まで避難させろ。いいかい、絶対に、誰にも傷一つつけさせてはいけないよ。よし、では行ってくれ」
 それからゲムじいさんに目配せすると、マノンは素早く一礼しました。
「では、頼みます」
 ゲムじいさんはうなずきを返し、ハスキルの肩に一度だけ力強く手を置いて、弾丸のように外へ飛び出していきました。
「さあ!」マノンが残った女性たちの方を振り返ります。「きみたちも一緒に行くんだ!」
「先生は足を怪我されてるんですよ!」ミシスが間髪入れず叫びました。
 すると事の推移を虚ろな表情で見届けていたハスキルが、そこで急に瞳の奥に光明を取り戻し、片手を開いて頭上に差し伸ばしました。
「私、校舎へ行かなくちゃ」
「えっ! どうして……」ノエリィが息を詰まらせます。
「生徒たちの名簿や提出物、それに保護者の方々からお預かりしている貴重品。放っては行かれないわ」ハスキルが決然と述べます。
「そんなのあとでかまわない!」マノンが両手を広げて怒鳴るように言いました。
「だめよ!」すぐさまハスキルが怒鳴り返します。「私はみんなの大切な子どもたちを預かる身。たとえ死んでも手放せないものがあるわ」
 その強靭なまなざしに誰もが圧倒されました。ノエリィがブラウスの袖でぐいっと目をこすり、背筋を伸ばして自分の頬を両手で叩きました。
「わたしが先生と一緒に行きます」ピレシュが前に進み出ました。「学院長室の金庫や大事な書類の保管されている場所は、ぜんぶ把握しています。きっとお手伝いできます」
 マノンがうなずきます。「わかった。じゃあ、よろしく頼む」
 ハスキルが笑顔を作って、ピレシュの服の裾を引っぱりました。
「ごめんなさい。ありがとう、ピレシュ」
 ピレシュも精一杯のほほえみを作ってそれにこたえ、よろめくハスキルの体をしっかりと支えて立たせます。
「お母さん」ノエリィが両目に涙を溜めて母の手を握りました。
「大丈夫よ」その手をしっかりと握り返し、いつもの穏やかな表情を見せて、ハスキルが告げます。「あなたはミシスと一緒に先に行っていて。私も必要なものを取ったら、すぐに避難するから」
「わたしがついてる。心配しないで」ピレシュが頼もしげに言ってノエリィの頭を撫でました。
 そして彼女はハスキルに肩を貸して玄関の方へ歩きだしました。ミシスとノエリィが、ハスキルにレインコートを着せるのを手伝います。
 支度が済むと、最後にハスキルが二人の娘の顔を交互に見つめて言いました。
「またあとで落ちあいましょう」
 二人とも力いっぱいうなずきました。
 玄関を出ていくピレシュとハスキルの背中にお守りを貼りつけるように、ミシスが大きな声を投げかけます。
「気をつけて!」
 一瞬だけこちらを振り返ったピレシュと目を合わせて、さらに切願します。
「ハスキル先生を、頼んだよ……!」
 彼女らしい勇壮な笑顔を浮かべることで、ピレシュはそれにこたえました。
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