20 ある日の放課後

文字数 4,766文字

「ねぇ見て、ノエリィ。カセドラだよ」
「え? どこ?」
「ほら、あそこ。星灰宮の裏の方」
「……ほんとだ。ここからだとよく見えるね」
「うん。というか、わたしたちにしか見えてないんじゃないかな……」
 新学年の始まったリルパの月が何事もなく過ぎ去り、続くヤムの月が春と夏の合間の気怠い生暖かさをともなって訪れていた、ある日の放課後のことです。ミシスとノエリィは、あの雑木林のなかの花園に一休みしに来ていました。
 地面に寝転んでいた二人は、星灰宮の石壁の外で動き出した大きな人影に気がついて、なんとなく観察しはじめたところでした。
「でもあれって」ミシスが目を凝らします。「王都で見たのとはちがうやつじゃない?」
「……うん、ちがうね」
 王都で城門を守っていたカセドラが華美な桃色の鎧を身にまとっていたのに対し、星灰宮から現れ出たカセドラは、どこか武骨な(おもむき)のある灰色の鎧に全身を包んでいます。
「王都のやつ、なんていったっけ」ミシスがたずねます。
「えっと、たしか〈アルマンド〉」
「じゃああれは?」
「う~ん。あれが〈ラルゲット〉……なのかなぁ。わたしもちゃんと見るのは初めてだけど。前はコランダム公国唯一の量産機として、たくさん造られてたって聞いたよ」
「ノエリィが初めて見るってことは、戦争の後には造られなくなったってこと?」
「さぁ、どうなんだろう。わたしが知らないだけで、星灰宮ではまだ現役だったのかも」
「星灰宮に行ったことはないの?」
「うん。わたしもお母さんも、まだあそこには近づけないんだ」
「……そっか。ごめんね。無神経だった」
「いやぜんぜん、気にしないで。って、あら? また出てきたよ」
 宮殿一帯の周囲に巡らされた石壁の門の一つから、さらに五体ものカセドラが外へ出てきました。全部で六体になった灰色のカセドラは、それぞれ片手に槍のような武器を携えています。巨兵たちは山の斜面を少し下った先の開けた場所まで歩いて移動すると、互いに十分な距離をとって一列に並びました。
 そのあたりは、先ほどミシスが指摘したとおり、星灰宮を戴く峰を下界から見あげたのでは視界に入らないはずの場所でした。峰からほど近い丘の頂上付近に位置し、なおかつ背の高い樹々に視界を遮られることのないこの花園からしか、その場所に目は届かないのではないかと思われます。
「なにするんだろう……」ミシスが怪訝そうにつぶやきました。
 ノエリィも眉根を寄せて首をひねります。
「ねぇ、今まであそこにカセドラがいるのを見たことってあった?」ミシスが訊きます。
「ううん、ほとんど見ないよ。見たとしても、なにかの祝典みたいな時だけ。それだって、いつもはアルマンドだった」
「王城を守ってたみたいに、いつも宮殿を守ってたりはしないんだ?」
「星灰宮では、それは見たことないよ。よく知らないけど、たぶん他の町とかでも、そういうのはあまりやってないんじゃないかな。王都のあれはほら、なんかちょっとした見世物っていうか、名物っていうか……」
「そういえば、観光名所みたいになってたもんね」
 あの病院を出た日のことを、ミシスは思いださずにはいられませんでした。ノエリィとハスキルと三人でカセドラを見物したのが、まるで遠い昔の出来事のように感じられます。母娘は王都を旅行中に、あの城門の前で記念撮影をしていました。その写真は現像されていたのですが、ハスキルがあまり良い顔をしなかったので、それは居間や食堂にたくさん飾られている写真たちの仲間入りをすることなく、どこかのひきだしのなかに仕舞い込まれてしまいました。
 一般的に、戦争をその身で体験した大人たちのなかには、カセドラや最新の科学技術に対して拒絶反応を示す人が少なくありません。一方で、実際にカセドラが兵器として運用される現場を見たことのない若い世代や子供たちには、大いに人気がありました。ノエリィにしても、とくにカセドラに入れ込んでいるわけではありませんでしたが、列車や客船のような大きくて動くものを面白がって見るのとおなじ程度には、興味を抱いているようでした。
 少女たちが丘の花園から注目するなか、六体のカセドラはまるで演舞でもおこなうように槍をぐるぐるとまわし、脚を前後に大きく振り上げたり、かと思えば急に左右を振り向いたり、東西二組に分かれて刃と刃を突き合わせたりする動きを展開しました。
 なんだか準備運動でもしてるみたい、とミシスは思いました。そしてそれは否応(いやおう)なく、いつも広場で剣の稽古をしているピレシュの姿と重なって見えました。
「なにしてるんだろう、あれ。ちょっと気味わるくない?」ミシスは肩を縮こませました。
「そぉ? 面白いじゃない」ノエリィが手もとの野花を撫でながら言います。「それにしても、わたしのまわりはカセドラ嫌いの人が多いなぁ」
「そうなの?」
「うん。お母さんも、ミシスも苦手でしょ。それにゲムじいさんも、すっごく嫌ってる。あとは……ピレシュも」
 ノエリィの声色が少し曇ったのに、ミシスは気づかずにいられませんでした。そういえば、まだ短いつきあいしかないけれど、カセドラの話題になるといつもピレシュは押し黙ったり、すぐに話題を変えたりすることに、ミシスは思い当たっていました。
「ピレシュは、どうして? なにか事情があるのかな」思いきって口にしてみました。
「……本当は、わたしの口から話すべきことじゃないかもしれないけど」ノエリィが滅多に見せない沈鬱な表情を浮かべました。「きっと本人からは絶対に話さないと思うから、ミシスにだけは伝えておくね。ピレシュのご両親とお姉さんは、戦争中に王国軍のカセドラに潰されて亡くなったの」
 ミシスは絶句しました。そして瞬時に、これからはなにがあっても絶対に、ピレシュの前でカセドラのことだけは口にすまいと決意しました。
「まだ小さかったピレシュはその時、なにかの感染症にかかっていて、一人で病院の隔離施設に入ってたんだって」
「……そんなことが、あったんだね」
 二人は当時の幼かったピレシュが、どれほどその小さな胸を激しく引き裂かれたかを想像して、しばらくのあいだ完全に言葉を失ってしまいました。
 そんな沈黙する少女たちの視線の先で、灰色のカセドラの一団はふいにすべての動きを止め、まるでこれでじゅうぶんに体はほぐれた、どこにも不備や不調はない、とでも言わんばかりの満足げな足取りで、来た道を戻っていきました。
 あれだけの巨大なものが楽々と収容されていくということは、星灰宮の敷地の内側にはよっぽど広大な空間があるんだろうな、とミシスは想像しました。それについてなにか知っていることはないか、ついノエリィに質問しそうになってしまったけれど、慌てて言葉を引っ込めました。
「どれ、そろそろ夕飯の支度でもしよっか」
 ノエリィが大きく息を吐きながら言った、その時でした。二人の背後からとつぜん、がさがさと枝葉をかき分ける音が聴こえてきました。ぎょっとして二人が身を起こすと、制服姿のピレシュが藪のなかから姿を現しました。
「やっぱり。ここだと思った」
「なんだピレシュかぁ、びっくりしたぁ」ノエリィが胸を撫で下ろしました。
「ここでなにしてるのよ、二人は」
「別になにも。ただごろごろしてただけ」
 そう言ってノエリィは立ち上がり、軽くお尻をはたきました。ミシスも続いて起き上がり、同じように背中やお尻を手で払いながら言いました。
「どうしたの、なにかあった?」
「えーと、ほら」ピレシュはそそくさと腕を組みながら口を開きました。「今月、ハスキル先生のお誕生日があるでしょ」
 ミシスはそれを聞いて、家の居間に貼られたカレンダーの今月末日にノエリィの筆跡で〈お母さんの誕生日〉と書かれてあったのを思いだしました。
「あなたたち、もうプレゼントはなににするか考えたの?」ピレシュがたずねます。
「ううん、まだこれから」ノエリィが首を振ります。
「そう」安堵したようにピレシュは微笑しました。「ならちょうどよかった。来週あたり、お休みの日に三人で探しに行かない?」
「えっ、ほんとに? 素敵!」
 ぱちんと両手を叩き合わせて、ミシスは満面の笑顔でノエリィの方を振り向きました。けれどノエリィは、間近から自分に向けられる熱い視線に気がつかないほど、ぽかんと口を開いて棒立ちになっています。
「じゃあやっと時間ができたんだね。よかったぁ。もう先月からずっと、早く三人で遊びに行きたいねって話してたんだよ」ミシスが頬を上気させてまくし立てます。
「ふぅん」ピレシュは急にうつむいて制服の皺を伸ばしはじめます。「わたしだって、たまには暇になるのよ。そんなにいつもいつも忙しいわけじゃないんだから。あ、そうそう」
「ん?」ミシスが首をかしげます。
「だからあなたに自転車の乗りかた、教えなくちゃって思ってたの」
 ああ、そういえばそういう話をいつかしたっけ、とミシスは思いだします。たしかピレシュが綺麗なワンピースを着て制服を持ってきてくれた日のことだ。
「寮に共用の自転車があるから、それを借りて練習するといいわ」
「いいね。自転車でお出かけかぁ」ノエリィが楽しげにうなずきます。「そういえばしばらく乗ってなかったな。物置から引っぱり出してこなくちゃ」
「ノエリィは自転車乗れるの?」ミシスがたずねました。
「当ったり前でしょ。これでも小さい頃は自転車で丘じゅうを駆けまわってたんだから」
「毎日毎日、飽きもせずにやってたわよねぇ」ピレシュが薄笑いを浮かべました。
「むっ。だって飽きなかったんだもん」
「でもしょっちゅう転んで怪我して泣いてたわよね」
「むむっ……」
 険しい表情で押し黙るノエリィの隣で、ミシスは小さなノエリィが自転車で野山を走りまわる様子を想像して、思わず吹き出してしまいました。
「なに笑ってるのよぉ」成長したノエリィが目の前で眉を吊り上げました。
「い、いやぁ、楽しみだなぁって思ってさ……」
「……そうね」ノエリィはいきなり不敵な笑みを浮かべました。「存分に楽しみにしておくがいいわ。ここが丘の頂上だということを、今だけは忘れて……ね」
「え?」
「うんうん」ピレシュも訳知り顔でうなずきます。「行きはすいすい、でも帰りは……ってね。あぁ、楽しみだわ」
 自転車に乗る感覚をまったく知らないミシスは、ペダルを漕いで長い坂をのぼる実感が少しも湧かないので、二人の経験者がなにを言っているのかよくわからないまま、ただにこにこしてたずねました。
「それで、いつから練習開始?」
「もちろん、今からよ」ピレシュがいつもの毅然とした顔に戻って宣告しました。「思い立ったら即実行」
「がんばってね」ノエリィがミシスの肩にぽんと手を置きました。「わたしは横から見ててあげるから」
 学院に戻った三人は、日が暮れるぎりぎりの時間までミシスの自転車の練習に取り組みました。一日では少しも乗りこなせるようにならず肩を落としたミシスでしたが、何度もやっていればそのうち乗れなかった頃の記憶が思いだせなくなるくらい自由に乗れるようになるものだから気にするなと、ピレシュが数学の方程式について解説するみたいに淡々と励ましてくれました。
 それぞれが夕飯に遅れないよう早足で帰途につくなか、ノエリィがしみじみとひとりごとを言いました。
「いやぁ、それにしても、あのピレシュが自分から誘ってくるとはねぇ……」
「え? どうしたの?」肩で息をしながらミシスが振り返ります。
「いいえ、別に。ただ、ミシスがここへやって来て嬉しいのは、わたしとお母さんだけじゃないってことよ」
「へ?」
 きょとんとするミシスの背中を、ノエリィが激励の気持ちを込めて軽く叩きました。
「きっと楽しいお出かけになるわ。明日もがんばろうね、ミシス」
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登場人物紹介

◆ミシス


≫『聖巨兵カセドラ』本編シリーズの主人公。推定年齢は15歳前後。大陸北西部の白砂地帯に一人倒れていたところを王国軍に保護された、記憶喪失の少女。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫旧コランダム公国の郊外の丘に、母親と二人暮らす少女。思いがけない縁の運びにより、生涯の親友となるミシスと巡り逢う。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫エーレンガート女学院の生徒代表と寮長を兼任する俊才にして、一流の剣士。ハスキル院長を敬慕している。ノエリィとは幼馴染みどうし。

◆ハスキル・エーレンガート


≫エーレンガート女学院の創立者にして学院長。ノエリィの実母。大戦前から数々の悲運を経験してきた苦労人だが、常に笑顔と優しい言葉を絶やさない名教師。

◆グリュー・ケアリ


≫ホルンフェルス王国軍所属の科学者。名門ケアリ家の長子。現在はマノン・ディーダラス博士の助手を務めている。無類の料理好き。

◆マノン・ディーダラス


≫若き天才発明家として名を馳せる科学者。ホルンフェルス王国軍所属。出身地はコランダム公国。輝かしい赤髪は持って生まれたもの。

◆レスコーリア


≫無二の相棒として長年マノンと寝食を共にしてきた、アトマ族の少女。アトマ族としてはめずらしい高度な知的能力を持つ。性格は至って自由奔放だが、実はとても義理堅い。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫コランダムの軍人。巨兵大戦前には、同国の騎士団長を務めていた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫コランダム軍に所属する武人。公国の名門キャラウェイ家の長女。常時冷静沈着だが、その身の内に秘める覇気は並々ならぬものがある。

◆レンカ・キャラウェイ


≫キャラウェイ家の次女。姉のライカと共にコランダム軍に所属している。いささか気性が荒く我儘で、興味がないことには一切関与しようとしない。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍の将軍。全騎士団及び国王親衛隊を含む総軍の長。〈戦王〉と讃えられる国王トーメをして、「魂の兄弟」と言わしめた傑物。

◆〈アルマンド〉


≫ホルンフェルス王国軍の主力量産型カセドラ。史上初めて完全な建造に成功したカセドラとして知られているが、今なお世界最優秀の量産機と評される。

◆〈ラルゲット〉


≫かつてコランダム公国が主力として運用していた量産型カセドラ。〈巨兵大戦〉終結後は、一切の製造が禁止された。

◆〈□□□□□〉


≫???

◆〈□□□□〉


≫???

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