21 せっかく三人で選ぶのだから
文字数 3,901文字
その翌日から二日間、折りわるく雨が降ったり止んだりの、自転車の練習をするのにはあまり都合の良くない天候が続きました。
しかしそれでもミシスは練習を休みませんでした。ピレシュとノエリィは、まだ先生の誕生日までは時間があるし、出かけるのは再来週の休日に変更してもかまわないのだと諭 しましたが、ミシスは聞き入れませんでした。
「だって来週のお休みの日は、鉱晶 ラジオの予報では快晴だって言ってたもの。その日を逃したくない。それになにより、そんな先まで待ってられないよ」
というのが彼女の言い分でした。そんなわけで、見守る二人はそれ以上なにか言うのをあきらめて、ぐらつく車輪と格闘する少女の挑戦を応援しました。
三日目、雨雲が綺麗さっぱり青い峰の向こうへ捌 けていくのと同時に、ひたむきな努力の甲斐 あって、ミシスは自転車を上手く乗りこなせなかった数日前までの感覚をすっかり忘れてしまうことができました。
「おめでとう。よくがんばったね」ノエリィが褒めてくれました。
「そうね、よくやったわ」ピレシュも労ってくれました。「もっと時間かかると思ってたけど。意外だったわ」
「え~。なんかひどいなぁ」
そう言いつつもミシスの表情は晴ればれとしていて、さっそくもう頭のなかでは三人一緒に自転車で風を切って走る様子を、わくわくした気持ちで思い描いていました。
そして訪れた休日は、朝から少し暑いくらいに晴れ上がって大地もさらりと乾き、自転車で遠出するには絶好の日和になりました。
三人の少女はそれぞれに動きやすくて、でもおしゃれにも気を配った服装をして、元気よくペダルを漕いで青空の下へ駆け出しました。
この三人が揃って出かけるのは初めてのことだったので、ハスキルはめずらしがってなにか訊きたそうにしていました。でもあまり話し込んで口を滑らせてはいけないので、少女たちは話半分に受け流して急ぎ足で家を出たのでした。
長くゆるやかな下り坂を、鳥になったような気分で駆けおりながら、ミシスが横に並ぶ二人にたずねました。
「ねぇ、なににするか考えた?」
「まだぁ」ノエリィがのんびりした調子でこたえます。
「わたしもいろいろ考えたけど、まとまんない」ピレシュが大きな声でこたえます。
「見てまわって決めたらいいんだよ」余裕たっぷりにノエリィが言います。「お母さんの好みは、ばっちりわかってるし」
「それにノエリィには、買い物の才能があるしね」ミシスがおだてるように声をかけます。
「そういうこと!」速度を上げて先頭に踊り出ながら、ノエリィが得意げに笑いました。
木漏れ日で溢れる丘の斜面を、三人はまっすぐ町へと向かって降りていきました。
古都タヒナータは、その通り名の示すとおりに長い歴史を重ねた都市であり、日毎 に容貌がどんどん変わっていく王都のような場所とは対照的に、百年以上前から変わることのない素朴な石造りの街並みが保たれています。そのためこの町は、大陸全土のなかでもとりわけ伝統の美が守られている都として知られています。
市街の中心を流れる大きな川には、この町の名物の一つでもある木造の大水車がいくつも立ち並んでいます。町なかの家屋や商店の多くは、玄関や窓を花で飾りつける風習のおかげでたくさんの色彩に溢れていて、どの通りを歩いても微笑のこぼれない景色は見あたらないほどです。
三人は鉄道駅の公衆駐輪場に自転車を停めると、商店の密集する繁華街へ歩いて向かい、目ぼしいお店を一軒一軒見てまわることにしました。
最初に足を踏み入れたのは、手づくりの雑貨や衣料を取り扱っているという、最近できたばかりのお店でした。店内に一歩入った途端、今日は学院長のプレゼントを買いにきたのだということを一瞬忘れてしまいそうになった三人でしたが、どうにか正気を保って、片っ端からみんなで一緒に検討していくことにしました。
草花や蝶や星のモチーフが刺繍された色鮮やかな日傘をミシスが目に留め、ぱっと開いてみせました。
「かわいい」ノエリィが惚れぼれと言いました。
「素敵ね」ピレシュが目を細めてほほえみました。
レモン色の生地に白の水玉模様のエプロンをノエリィが手に取り、そのまま自分の胸に当てて見せました。
「あなたに似合うってことは」続きを委ねるようにピレシュが隣を向きました。
「確実に先生にも似合うね」隣のミシスが深くうなずきました。
ガラスケースのなかに展示されていた、砂金をまぶした夜空の色のカップとソーサーをピレシュが店員を呼んで取り出してもらい、手にとって優雅な仕草でお茶を飲む演技をしました。
「わたしが欲しい」ミシスが吐息をつきました。
「わたしも欲しい」ノエリィも真顔でつぶやきました。
「わたしが買ってしまいそう」ピレシュが遠い目をして言いました。
結局三人はなにも買わずにその店を出ました。
「あぁ、どれもかわいかったね……」ミシスとノエリィが夢見心地で声を揃えました。
「こんなお店ができてたのねぇ……」
名残り惜しそうに店の看板を振り返りながら、しみじみとピレシュがつぶやきました。そして一呼吸ぶんの間を置くと、かっと両目を見開いてほかの二人に厳しい視線を向けました。
「いやいやいや、ちがうでしょ。今日はわたしたちの目の保養をしに来たんじゃなくってよ。一軒目から目的がぶれてどうするのよ。というか、ノエリィ」
「はい?」
「あなた、先生が好きなものならすぐにわかるんじゃなかったの? どうだったのよ、今のお店は」
「そのことだけどね」妙に悟ったような様子で、ノエリィが言います。「さっきみんなでいろいろ見ながら、思ったのよ。お母さんはね、わたしたちが心を込めて選んだものなら、きっとなんだって喜んで受け取ってくれるわ」
「そっか!」ぽんと手を叩いてミシスが感心しました。
にこにこしている二人の少女の頭に、ピレシュが軽く手刀を食らわしました。
「そんなこと言ってたら、なにも決められずに一日が終わっちゃうでしょ! しっかり本腰入れて考えないと……」
「でもさ、今のお店、手づくりの一点ものばかりなだけあって、どれもすごく高かったよね」ミシスが頭をさすりながら言います。
「……それはたしかに言えてたわね」ピレシュが顎に手を添えて唸ります。「もうちょっとかわいげのある値段の方がいいわよね」
ノエリィとミシスはお小遣い、ピレシュは先代の寮母さんの遺産と学院長の支援で生きる身。大切な人への贈り物といっても、現実には予算という明確な制約があります。
少女たちは人気のない路地裏へ一時避難し、各自の財布を開けると円陣を組んでおでこを突きあわせ、おおよその予算と戦略について審議をおこないました。それが済むと互いの目を見据えて意を決したようにうなずきあい、再び繁華街という戦場へ突入していきました。
路地裏で決めた三つの指針が決め手になって、昼過ぎには無事にプレゼントが決まりました。
指針の一つは、ピレシュが冷酷な声で発した「プレゼントが決まるまでランチはおあずけ」という宣告。これで緊張感と切迫感が飛躍的に高まりました。
続いて、「せっかく三人で選ぶのだから、三人だからこそのプレゼントを選ぼう」というミシスからの提案。これには毎年各々で選んできたノエリィとピレシュも、喜んで賛同しました。
そして最後の決定打は、ミシスがノエリィに投げかけた質問が元になりました。
「先生のご趣味ってなんなんだろう?」
「忙しくてあんまり趣味に使う時間はないみたいだけど、そういえば若い頃は画家を目指してた時期があったって、お母さん言ってたっけなぁ」
「え。先生、絵を描かれるの?」ピレシュも知らなかった事実のようです。
「うん。でも昔話で聞いただけだよ。娘のわたしですら、ほとんど描いてるとこ見たことないもん」
「でも、それっていいかも」ミシスが顔を輝かせて通りの向こうを指差しました。「ほら、あそこにちょうど……」
その指の先には、こぢんまりとした雰囲気の良さそうな画材店がありました。三人は閃きに打たれたように顔を見あわせて、一目散にそのお店へ向かいました。
入り口の扉を開いた途端、三人の瞳は一斉にきらきらと輝きはじめました。文字どおりに色とりどりの絵具、かたちも大きさもいろいろな絵筆、絵描きでなくても思わず創作意欲をそそられずにいられないキャンバスや画用紙、そして隙間なく壁を埋め尽くす日曜画家たちの心温まる絵画作品。芸術を愛する市民たちの隠れ家ともいうべきこの親密な空間は、これまでに訪ねたどの衣料品店も雑貨屋も敵 わないくらいに、少女たちの目と心をその美しさで夢中にさせてくれました。
そういうわけで、三人はこの日に巡ったどのお店よりも長い時間を、この画材店で過ごすことになりました。そしてここがプレゼント探しのために訪れた最後のお店になりました。
「すごく素晴らしいプレゼントが選べたと思います」外へ出るなり、とても満足げにノエリィが胸を張りました。
「ええ、本当に」丁寧に包装してもらったプレゼントを抱えて、ミシスも大きくうなずきます。
「ほら」ピレシュが冷静に手を差し出しました。「わたしに預けときなさい。あなたまた転んじゃうかもしれないし、それにわたしがずっと持ってた方が先生にばれちゃう心配もないでしょ」
「そうだね。では、よろしくお願いします」
その手にしっかりとプレゼントの包みを受け取ったピレシュは、ここで今日いちばんの、隅々 まで晴れ渡った笑顔を浮かべて、高らかに宣言しました。
「よろしい。では諸君、昼食の時間だ」
号令を受けた二人の少女は、諸手 を挙げて指揮官を称えました。
しかしそれでもミシスは練習を休みませんでした。ピレシュとノエリィは、まだ先生の誕生日までは時間があるし、出かけるのは再来週の休日に変更してもかまわないのだと
「だって来週のお休みの日は、
というのが彼女の言い分でした。そんなわけで、見守る二人はそれ以上なにか言うのをあきらめて、ぐらつく車輪と格闘する少女の挑戦を応援しました。
三日目、雨雲が綺麗さっぱり青い峰の向こうへ
「おめでとう。よくがんばったね」ノエリィが褒めてくれました。
「そうね、よくやったわ」ピレシュも労ってくれました。「もっと時間かかると思ってたけど。意外だったわ」
「え~。なんかひどいなぁ」
そう言いつつもミシスの表情は晴ればれとしていて、さっそくもう頭のなかでは三人一緒に自転車で風を切って走る様子を、わくわくした気持ちで思い描いていました。
そして訪れた休日は、朝から少し暑いくらいに晴れ上がって大地もさらりと乾き、自転車で遠出するには絶好の日和になりました。
三人の少女はそれぞれに動きやすくて、でもおしゃれにも気を配った服装をして、元気よくペダルを漕いで青空の下へ駆け出しました。
この三人が揃って出かけるのは初めてのことだったので、ハスキルはめずらしがってなにか訊きたそうにしていました。でもあまり話し込んで口を滑らせてはいけないので、少女たちは話半分に受け流して急ぎ足で家を出たのでした。
長くゆるやかな下り坂を、鳥になったような気分で駆けおりながら、ミシスが横に並ぶ二人にたずねました。
「ねぇ、なににするか考えた?」
「まだぁ」ノエリィがのんびりした調子でこたえます。
「わたしもいろいろ考えたけど、まとまんない」ピレシュが大きな声でこたえます。
「見てまわって決めたらいいんだよ」余裕たっぷりにノエリィが言います。「お母さんの好みは、ばっちりわかってるし」
「それにノエリィには、買い物の才能があるしね」ミシスがおだてるように声をかけます。
「そういうこと!」速度を上げて先頭に踊り出ながら、ノエリィが得意げに笑いました。
木漏れ日で溢れる丘の斜面を、三人はまっすぐ町へと向かって降りていきました。
古都タヒナータは、その通り名の示すとおりに長い歴史を重ねた都市であり、
市街の中心を流れる大きな川には、この町の名物の一つでもある木造の大水車がいくつも立ち並んでいます。町なかの家屋や商店の多くは、玄関や窓を花で飾りつける風習のおかげでたくさんの色彩に溢れていて、どの通りを歩いても微笑のこぼれない景色は見あたらないほどです。
三人は鉄道駅の公衆駐輪場に自転車を停めると、商店の密集する繁華街へ歩いて向かい、目ぼしいお店を一軒一軒見てまわることにしました。
最初に足を踏み入れたのは、手づくりの雑貨や衣料を取り扱っているという、最近できたばかりのお店でした。店内に一歩入った途端、今日は学院長のプレゼントを買いにきたのだということを一瞬忘れてしまいそうになった三人でしたが、どうにか正気を保って、片っ端からみんなで一緒に検討していくことにしました。
草花や蝶や星のモチーフが刺繍された色鮮やかな日傘をミシスが目に留め、ぱっと開いてみせました。
「かわいい」ノエリィが惚れぼれと言いました。
「素敵ね」ピレシュが目を細めてほほえみました。
レモン色の生地に白の水玉模様のエプロンをノエリィが手に取り、そのまま自分の胸に当てて見せました。
「あなたに似合うってことは」続きを委ねるようにピレシュが隣を向きました。
「確実に先生にも似合うね」隣のミシスが深くうなずきました。
ガラスケースのなかに展示されていた、砂金をまぶした夜空の色のカップとソーサーをピレシュが店員を呼んで取り出してもらい、手にとって優雅な仕草でお茶を飲む演技をしました。
「わたしが欲しい」ミシスが吐息をつきました。
「わたしも欲しい」ノエリィも真顔でつぶやきました。
「わたしが買ってしまいそう」ピレシュが遠い目をして言いました。
結局三人はなにも買わずにその店を出ました。
「あぁ、どれもかわいかったね……」ミシスとノエリィが夢見心地で声を揃えました。
「こんなお店ができてたのねぇ……」
名残り惜しそうに店の看板を振り返りながら、しみじみとピレシュがつぶやきました。そして一呼吸ぶんの間を置くと、かっと両目を見開いてほかの二人に厳しい視線を向けました。
「いやいやいや、ちがうでしょ。今日はわたしたちの目の保養をしに来たんじゃなくってよ。一軒目から目的がぶれてどうするのよ。というか、ノエリィ」
「はい?」
「あなた、先生が好きなものならすぐにわかるんじゃなかったの? どうだったのよ、今のお店は」
「そのことだけどね」妙に悟ったような様子で、ノエリィが言います。「さっきみんなでいろいろ見ながら、思ったのよ。お母さんはね、わたしたちが心を込めて選んだものなら、きっとなんだって喜んで受け取ってくれるわ」
「そっか!」ぽんと手を叩いてミシスが感心しました。
にこにこしている二人の少女の頭に、ピレシュが軽く手刀を食らわしました。
「そんなこと言ってたら、なにも決められずに一日が終わっちゃうでしょ! しっかり本腰入れて考えないと……」
「でもさ、今のお店、手づくりの一点ものばかりなだけあって、どれもすごく高かったよね」ミシスが頭をさすりながら言います。
「……それはたしかに言えてたわね」ピレシュが顎に手を添えて唸ります。「もうちょっとかわいげのある値段の方がいいわよね」
ノエリィとミシスはお小遣い、ピレシュは先代の寮母さんの遺産と学院長の支援で生きる身。大切な人への贈り物といっても、現実には予算という明確な制約があります。
少女たちは人気のない路地裏へ一時避難し、各自の財布を開けると円陣を組んでおでこを突きあわせ、おおよその予算と戦略について審議をおこないました。それが済むと互いの目を見据えて意を決したようにうなずきあい、再び繁華街という戦場へ突入していきました。
路地裏で決めた三つの指針が決め手になって、昼過ぎには無事にプレゼントが決まりました。
指針の一つは、ピレシュが冷酷な声で発した「プレゼントが決まるまでランチはおあずけ」という宣告。これで緊張感と切迫感が飛躍的に高まりました。
続いて、「せっかく三人で選ぶのだから、三人だからこそのプレゼントを選ぼう」というミシスからの提案。これには毎年各々で選んできたノエリィとピレシュも、喜んで賛同しました。
そして最後の決定打は、ミシスがノエリィに投げかけた質問が元になりました。
「先生のご趣味ってなんなんだろう?」
「忙しくてあんまり趣味に使う時間はないみたいだけど、そういえば若い頃は画家を目指してた時期があったって、お母さん言ってたっけなぁ」
「え。先生、絵を描かれるの?」ピレシュも知らなかった事実のようです。
「うん。でも昔話で聞いただけだよ。娘のわたしですら、ほとんど描いてるとこ見たことないもん」
「でも、それっていいかも」ミシスが顔を輝かせて通りの向こうを指差しました。「ほら、あそこにちょうど……」
その指の先には、こぢんまりとした雰囲気の良さそうな画材店がありました。三人は閃きに打たれたように顔を見あわせて、一目散にそのお店へ向かいました。
入り口の扉を開いた途端、三人の瞳は一斉にきらきらと輝きはじめました。文字どおりに色とりどりの絵具、かたちも大きさもいろいろな絵筆、絵描きでなくても思わず創作意欲をそそられずにいられないキャンバスや画用紙、そして隙間なく壁を埋め尽くす日曜画家たちの心温まる絵画作品。芸術を愛する市民たちの隠れ家ともいうべきこの親密な空間は、これまでに訪ねたどの衣料品店も雑貨屋も
そういうわけで、三人はこの日に巡ったどのお店よりも長い時間を、この画材店で過ごすことになりました。そしてここがプレゼント探しのために訪れた最後のお店になりました。
「すごく素晴らしいプレゼントが選べたと思います」外へ出るなり、とても満足げにノエリィが胸を張りました。
「ええ、本当に」丁寧に包装してもらったプレゼントを抱えて、ミシスも大きくうなずきます。
「ほら」ピレシュが冷静に手を差し出しました。「わたしに預けときなさい。あなたまた転んじゃうかもしれないし、それにわたしがずっと持ってた方が先生にばれちゃう心配もないでしょ」
「そうだね。では、よろしくお願いします」
その手にしっかりとプレゼントの包みを受け取ったピレシュは、ここで今日いちばんの、
「よろしい。では諸君、昼食の時間だ」
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