42 一緒に

文字数 2,984文字

「ねえ。すごく綺麗だね」ノエリィがうっとりとつぶやきました。
「うん。いつまでも見ていられるね」ミシスも吐息混じりにこたえました。
 ハスキルと通信をおこなった日、特務小隊は追跡者たちの捜索をやり過ごしつつさらに東へと逃れ、ついにコランダム領を抜けて大陸東端の旧ビスマス共和国領に入りました。
 旧共和国領は主都を構える東海岸を中心に栄えていますが、中部から西部にかけての大部分は起伏に富んだ山岳と荒野が広がっていて、身を隠すのにもってこいの場所でした。
 飛空船レジュイサンスは現在、その山岳地帯の真っ只中の、大きな崖と崖の隙間に停泊していました。
 とてもよく晴れた日でした。太陽が沈み、食事や湯浴みが済んだあと、ミシスとノエリィは連れだって船の甲板へ上がり、並んで仰向けに寝転んで満天の星空を眺めていました。
「世界はめちゃくちゃになってるっていうのに、星たちは相変わらず物静かで、綺麗なまんまだね」悲しげにノエリィが言いました。
「あそこからは、この世界はどんなふうに見えてるのかな」ミシスがぼんやりとつぶやきます。
「きっと、またばかなことやってるなって、思ってるんじゃないかな」ノエリィが鼻で笑うように言います。「あ~あ。争いのない星に行って暮らしたい。ね、そう思わない?」
「そう思わない、わけがないよ」ミシスは苦笑します。
「だよねぇ。なんでまた、おなじようなことくり返すんだろう。人間って、ほんとどうかしてるよ……」
 ノエリィが深いため息をつくと、ミシスもそれにそっくりつられました。空気はまるで干し草のように乾いていて、ほんのり冷めたくて、そしてとても澄んでいます。
「……ねぇ、ミシス」ふいにノエリィが顔だけ横に向けてたずねます。「カセドラを動かすのって、どんな気分だった?」
「え? どんな、って……」ミシスはこたえに(きゅう)します。「う~ん。なんて言えばいいのかなぁ。もうちょっと忘れかけてるんだけど。……でもやっぱり、一言で表すなら、目を覚ましたまま夢を見るような気分、かな」
「なぁに、それ。いったいどういうこと?」
「うまく言えないけど……えっとね、自分が別人になる夢を見てるとするじゃない。それで、すっかりその人になりきってるんだけど、でもそれと同時に、夢を見てる自分もちゃんと起きてて、目も開けてるし耳も聴こえるし、話をすることだってできるし……っていう感じ?」
「……なんか、ぜんぜんわかんないんだけど。頭が混乱してきたよ」
「乗ってるあいだはちっとも不自然じゃないんだけど、降りてから思いだすと、たしかにちょっと不思議な感じがするかも」
「わたしは怖くて無理そうだなぁ。あれだけ大きな体になる感覚っていうのは、ちょっとだけ味わってみたくもあるけど」
「大きな体……」自分がリディアになっていた時の体感を、ミシスは息を鎮めて思い返しました。「そうだね。うん、あれはちょっと、面白い感覚だったかも。でも……」
「でも、なに?」
「……でも、いくら体が大きくたって、動かすのは結局人間なんだよなぁって、思ったんだ」
「それはそうでしょ? だってカセドラは、人が乗らなきゃ動かないんだから」
「そうなんだけどね。わたしが思ったのは……カセドラがすることは、つまり人間がすることでしょ。なら、人間がすることは、誰がしてるの? ってこと」
 ノエリィはまじまじとミシスの横顔に見入りました。まるでそこに思いがけない秘密の暗号を発見して、それを読み解こうとでもするかのように。
「誰が、って……」ノエリィは呆然とつぶやきます。
 そっと片手を持ち上げて、ミシスは自分の胸の上にそれを静かに置きました。いつかの夜、あの丘の家の二段ベッドのなかで、そうしたように。
「ここに誰かが乗ってて、誰かがわたしを動かしてるんだとしたら……」
「待ってよ」ノエリィが眉をひそめて笑います。「人間はカセドラじゃないのよ。体のなかに操縦者がいるなんてこと……」
 ミシスはノエリィの瞳を見つめ返し、微笑を浮かべました。
「初めてリディアに乗る時、レスコーリアが言ったの。これからあなたがリディアの心になるんだって。心が宿るからリディアは動くんだって。それを聞いて思ったんだ。このわたしという人間を動かしてるのも、ここにある心なんだよなぁって。だからわたしたちの世界のすべては、一人一人の胸の扉の奥にある心の在りかたにかかってるのよ」
 じっとミシスの言葉に耳を傾けながら、ノエリィは自分も自身の胸の中心に手を当てて、その奥にいる自分を操縦している存在のことを想いました。
「わたしたちの体は、わたしたちの心のままに動く。動いてくれる」密やかに告白するように、ミシスは続けます。「そして心は、わたしたちが望むとおりに、願うとおりに、夢見るとおりに、道を示してくれる。だからきっと、心をまちがった方向に歪めたり、欺いたり、押し込めたりさえしなければ、わたしたちは、この一人一人に与えられた体を使って、もっとずっとたくさん素敵なことができるはずなんだ。昨日までは戦ったり傷つけたり殺しあったりしてきた手で、そのおなじ手で、今日には花や樹を植えたり、絵や詩をかいたり、家や学校を建てたり、苦しんでいる誰かを助けることだって、当然できるはずなんだよ」
 平和な星たちを眺めながら、ノエリィは神妙な面持ちでうなずきました。そしていっとき深く沈黙し、やがて夜風に引き上げられるように颯爽と身を起こすと、一度大きく背伸びをしました。それから岩山の広がる地平線のあたりをさっと見渡し、小さくほほえんで、振り返ってミシスにたずねました。
「ねえ、じゃあミシスはこれから、この世界で、その体で、どんなふうに生きていきたい?」
「わたしは……」

 わたしは、
 この世界で、
 この体で、
 いったいなにをしようとしているんだろう?

 ……それはいつかどこかで、自分に向かって投げかけたことのある問いのように感じられました。でもそれがいつ、どこでだったのか、ミシス自身にもうまく思いだすことができません。失われてしまった多くの記憶と共に消えてしまったのか、それとも……
 ――いや。そんなこと、今はどうだっていい。
 いちばん大切なのは、これから先の新しい記憶を作っていくことだって、言ってくれたんだもの。この目の前にいる、太陽みたいにまぶしくて温かい女の子が……。
「ノエリィ。世界って美しいね」
「へ?」
「それに、ノエリィも美しい。人間は美しい。カセドラだって、本当は美しいはず」
「どうしたの、急に」少女は無邪気に笑います。
「わたしね、これからどうしていくか、きちんと自分の胸に向きあって、その声に耳を澄ませて、考えていこうって思うよ」
 月明かりに体の輪郭を青白く染められたノエリィが、そっと手を差し伸べます。ミシスはそれをつかんで、ゆっくりと体を起こします。
 二人は一緒に船首の上まで歩いていきました。そして星々からの喝采を受ける舞台役者のように胸を反らせて、大地の果てから吹いてくる異国の風を全身で浴びました。
「わたしもそうする」ノエリィがまっすぐに前を見て言いました。
「一緒に」ミシスがささやき、二人はこれまで何度もそうしてきたように、そしてこれから何度もそうしていくように、優しく互いの手を握りしめました。


   〈『聖巨兵カセドラ 第1巻 新世界の乙女たち』 終〉
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登場人物紹介

◆ミシス


≫『聖巨兵カセドラ』本編シリーズの主人公。推定年齢は15歳前後。大陸北西部の白砂地帯に一人倒れていたところを王国軍に保護された、記憶喪失の少女。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫旧コランダム公国の郊外の丘に、母親と二人暮らす少女。思いがけない縁の運びにより、生涯の親友となるミシスと巡り逢う。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫エーレンガート女学院の生徒代表と寮長を兼任する俊才にして、一流の剣士。ハスキル院長を敬慕している。ノエリィとは幼馴染みどうし。

◆ハスキル・エーレンガート


≫エーレンガート女学院の創立者にして学院長。ノエリィの実母。大戦前から数々の悲運を経験してきた苦労人だが、常に笑顔と優しい言葉を絶やさない名教師。

◆グリュー・ケアリ


≫ホルンフェルス王国軍所属の科学者。名門ケアリ家の長子。現在はマノン・ディーダラス博士の助手を務めている。無類の料理好き。

◆マノン・ディーダラス


≫若き天才発明家として名を馳せる科学者。ホルンフェルス王国軍所属。出身地はコランダム公国。輝かしい赤髪は持って生まれたもの。

◆レスコーリア


≫無二の相棒として長年マノンと寝食を共にしてきた、アトマ族の少女。アトマ族としてはめずらしい高度な知的能力を持つ。性格は至って自由奔放だが、実はとても義理堅い。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫コランダムの軍人。巨兵大戦前には、同国の騎士団長を務めていた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫コランダム軍に所属する武人。公国の名門キャラウェイ家の長女。常時冷静沈着だが、その身の内に秘める覇気は並々ならぬものがある。

◆レンカ・キャラウェイ


≫キャラウェイ家の次女。姉のライカと共にコランダム軍に所属している。いささか気性が荒く我儘で、興味がないことには一切関与しようとしない。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍の将軍。全騎士団及び国王親衛隊を含む総軍の長。〈戦王〉と讃えられる国王トーメをして、「魂の兄弟」と言わしめた傑物。

◆〈アルマンド〉


≫ホルンフェルス王国軍の主力量産型カセドラ。史上初めて完全な建造に成功したカセドラとして知られているが、今なお世界最優秀の量産機と評される。

◆〈ラルゲット〉


≫かつてコランダム公国が主力として運用していた量産型カセドラ。〈巨兵大戦〉終結後は、一切の製造が禁止された。

◆〈□□□□□〉


≫???

◆〈□□□□〉


≫???

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