16 『春の野と少女騎士』

文字数 4,428文字

 広場へ歩み出たピレシュは、すぐに二人の姿に気づきました。
 芝生の真ん中にぼんやりと座り込んでいたミシスとノエリィは、彼方からでもはっきりと感じられるほどの露骨な不審の視線で刺されました。二人は恐縮したような苦笑を浮かべて、ひらひらと手を振ります。ピレシュはそれには応じず、二人の耳にかすかに届くくらいの音量で咳ばらいを一つしました。
 それから、二人がいるのとはちがう方角の開けた場所まで進むと、空いている方の手を腰の高さまで持ち上げ、手のひらを地面に向けて開き、そのままの姿勢でかかとを軸にして360度体を回転させました。すると彼女を中心にして竜巻が発生したように強い風が巻き起こり、足もとに散らばっていた小枝や小石や木の葉などが、描かれた円の外側に一斉に吹き飛ばされていきました。
「うわぁ……。今のは、顕術?」ミシスが目を丸くします。
「稽古の前には、いつもああするんだよ」ノエリィがうなずきます。「なにか踏んづけて怪我したり転んだりしないようにね」
 彼女は顕術も使えるんだ、とミシスは感心します。今の衝撃波、けっこう威力があったように思えたけれど。いつかグリューが教えてくれた、例の王立の学校だかなんだかに入っていても、おかしくないくらいなんじゃないのかな。なにかとくべつな事情とか、それともこの学院にこだわる理由でも、あるのかな……。
 ミシスがそんなことをあれこれ勝手に想像しているうちに、ピレシュはすらりと剣を抜いて(さや)を腰に差すと、両手で(つか)を握りしめて精神統一に入りました。深呼吸して心を研ぎ澄ませているのが、遠くからでも見て取れます。
 そして寸刻の沈黙のあと、双眸をかっと見開くと同時に、眼前へ向けて鋭く剣を振り下ろしました。
 ちょうど真横からその姿を見つめていたミシスの瞳に、青空を切り裂く鮮やかな一閃が映ります。その身のこなしは無駄なく俊敏、足の踏み込みは水面を歩くように滑らかで、踏まれた芝生が踏まれたことに気づいていないのではないかと思えるほどです。
 振り下ろされた剣先はそのまま横に大きく払われ、ほんの一瞬静止したかと思うと次の瞬間には二歩先の虚空をまっすぐに刺し貫いていました。そしてそこからまたたく間に架空の対峙者を左から右から斬り刻むと、最後に再び大きく脳天からの一撃をお見舞いしました。
 おそらくはどこかの正統な剣術の型の一つと思われるその動作を、ピレシュは息も切らさずに何度もくり返しました。一連の立ち振る舞いは総じて俊敏で、的確で、そしてなにより優美でした。ミシスは口を閉ざして、ただただその剣捌(けんさば)きに魅了されました。
 ノエリィはミシスの様子をちらちらと横目でうかがっては、いつにも増して幼馴染のことを誇らしく思っていました。
「ピレシュはね、剣の試合で負けたことがないくらいの達人なんだよ」
「すごいなぁ……。かっこいいねぇ……」
 ふいにミシスは両手の指で額縁を作り、そのなかに収めるべき最良の構図を探りました。
「『春の野と少女騎士』」
「なにそれ?」ノエリィが首をかしげます。
「この名画の題名だよ」ミシスが得意げにこたえます。
 その時ちょうど絵のなかで少女騎士が振り返り、額縁越しに画家とモデルの目が合いました。なんだかひどく失礼なことをしてしまったような気がして、ミシスは慌てて額縁を取り外しました。
 ピレシュは稽古の手を休めて、あからさまなため息を一つ吐くと、ずんずんと大股でこちらに向かって歩いてきます。
 ミシスとノエリィは粗相(そそう)を罰せられるのを覚悟した子供のように萎縮し、おずおずと起立して気をつけの姿勢をとりました。
「あなたたち」額から幾筋も汗を流しているピレシュが、二人の前で仁王立ちになります。「はっきり言って、ものすごく気が散るんだけど。なにをごちゃごちゃ言ってるのよ、人のことじろじろ見ながら」
「かっこいいねって、話してたんだよぉ」弁解がましくノエリィが言います。「ね、ミシス?」
「そうなの」やや上目遣いでミシスが続きます。「本当に絵になるねって、話してたんだよ」
 眉をひそめて二人を交互に見やり、ピレシュは息を整えつつ顔の汗を拭いました。
「二人はここでなにしてるのよ」
「このあたりを案内してたんだ」ノエリィがこたえます。
「案内ったって、そんなにたくさん見るものもないでしょ」
「うん、すぐ見てまわっちゃったから、それからピレシュのこと見学してたの」ミシスが言います。
「あっそ」
 鞘に収めた剣を片手に持ったまま、ピレシュは気持ちを落ち着かせるように空の雲か鳥かを目で追いました。それからふと目線を落とし、自分が手にしている得物にミシスがじっと視線を注いでいるのに気づきました。
「剣がめずらしい?」ピレシュがたずねます。
「あ、うん」はっとしてミシスはうなずきます。「剣がどういう物かっていうのは覚えてたんだけど、間近に見た記憶はなくて」
「ちょっと持たせてもらったら?」ノエリィが提案します。
「いやいやいや、とんでもない」ミシスは首を振ります。
「別にいいわよ。ただの練習用の模造剣だし」
 こともなげにピレシュがミシスの手にその柄を握らせました。ミシスは大いにたじろぎながらも、先ほどピレシュが見せた立ち姿を懸命に真似て剣を構え、広げた両脚で大地を踏みしめました。
「おおっ! 決まってるよ、ミシス」ノエリィがぱちぱちと手を叩きます。
 ピレシュも腕を組んで軽くうなずきます。
「うん、思ったより(さま)になってるわね。あなた案外、剣に向いてるかもしれないわ」
「まさか。構えただけで、どうしてわかるの?」
「経験者の勘よ」
「ねえ、ちょっと振ってみせてよ」ノエリィが興奮気味に言います。「そしたらわたし、もっと惚れちゃうかも」
 未経験者の二人が無言で確認を求めると、おなじく無言の許可が経験者から返ってきました。剣を持つ少女を取り巻くように、ほかの二人は五、六歩後ろに下がりました。
 なんだかえらいことになってしまったなと思いつつ、ミシスは静かに息を吸い込んで、ピレシュの動きを頭のなかで再生しました。そして瞳の奥を流れる残像を模写するように、足首に力を入れて踏み込みました。
 そろりと腕を振り上げ、一直線に空を斬ります。ひゅっと風を断つ音と共に、切っ先が地面近くまで一気に弧を描きました。
「うわっ、とっと」
 その反動でよろけてしまい、少女は前のめりに倒れかけます。さっとピレシュの手が伸びて、体を支えてくれました。
「ご、ごめんね」
「無駄な力が多いとそうなるの」ピレシュが穏やかに指摘します。「それに、なんのために剣を振るのかっていうことをお腹でわかってないと、剣先は狙いを外す。必ずね」
「振ってみて驚いたよ。こんなに重いんだね」
 こんなものをあれほど軽々と振りまわしていたピレシュはすごいと、改めてミシスは思いました。そしてその純白の衣装に包まれる引き締まった腕の筋肉を、思わずまじまじと凝視してしまいました。
 するとミシスの秘めた思惑が乗り移ったかのように、ノエリィが無遠慮に両手を伸ばしてピレシュの腕に触れ、そのまま断りもなくぺたぺたと筋肉の具合をたしかめました。
「う~ん、素晴らしいわ」
「やめさない、くすぐったい」ピレシュは身をよじって払いのけます。「でも、腕の力だけじゃだめなのよ。全身を隈なく使わなくちゃ」
「なるほど……」
 素人の二人は各自の二の腕をぷにぷにとつまみながら、神妙な面持ちでうなずきました。
「大切なのは、体ぜんたいを使って自分の理想とする動きを表現すること。毎日の訓練は、自分が心のなかに思い描く理想の姿を本番できちんと再現できるように、体に覚え込ませるためにやるものなの。少なくとも、わたしの場合は」
 その教えをしっかりと噛みしめながら、ミシスは息を整えて背筋を伸ばし、もう一度ピレシュの動きの模写を試みます。
 剣先を頭上に振り上げ、足を踏み出すと同時に大きく一払い。一瞬止めて、鋭く前方へ一突き。そして呼吸を止めて右に左に刃を払い、膝を落として柄を握る手を引き込むと、強く息を吐きながらの渾身の斬撃。
 途中から、脳内に描く流れに四肢(しし)がついてきていないことは、本人がいちばんよくわかっていました。だから最後の一振りは、転倒を覚悟してのものでした。そしてそのとおりに、ミシスは今度はまともに地面に突っ伏してしまいました。
 剣が地面を叩く音と同時に、ノエリィが悲鳴を上げました。
「大丈夫!?」ピレシュがとっさに駆け寄り、倒れた少女を抱き起こします。
「あいたた……。やっちゃった」助け起こされながら、ミシスは舌を出して苦笑します。
「もう、いきなり無茶するから」ノエリィがミシスの両肩をつかんで全身を上から下まで点検します。「どこも怪我して……あっ」
 ノエリィの視線がミシスの顔の右のあたりに()まりました。
「大変、血が出てる」
「どれ」
 横からピレシュがのぞき込んで、水色の髪をかき分けます。耳たぶがほんの少しだけ切れて、そこにうっすらと血が滲んでいます。
「え、でもなにも感じないよ」ミシスが首をかしげます。
 振り返ってピレシュが地面を調べると、ちょうど倒れ伏したミシスの顔があったあたりに、ほんの小指ほどの大きさの細い若木が生えていました。
「ごめん。わたしが油断したせいだ」ピレシュが肩を落としました。
「ううん、ほんとにぜんぜん平気だから、気にしないで。それにあの枝じゃ、顕術の風でも飛んでいかなかっただろうし」
「ちゃんと消毒した方がいいよね。どうしよう、保健室に行くか、家に帰るか……」言いながらノエリィがきょろきょろと首を(めぐ)らせます。
「どっちもここからじゃおなじ距離よ。勝手がわかる自宅の方がいいんじゃないかしら」ピレシュが冷静に言います。
「そうだね、そうしよう。さあ行こう、ミシス」
「ごめんねピレシュ。邪魔した上に、大事な剣まで落としちゃって……」ミシスが頭を下げます。
「気にしないで」ピレシュが苦笑します。「というかやっぱり、ミシスはあんまり剣に向いてないかも」
「え~、そっかぁ、残念だなぁ」
「残念も無念もとんちんかんもないよ、ほら、もう行くよ! ばい菌でも入ったらどうするの」ノエリィが呆れ顔で叱咤します。「じゃあピレシュ、ごめん。またね」
 ピレシュはお大事にと言って手を振りました。ミシスもノエリィに引っぱられていない方の手を振って返します。
 家に上がる時に、ノエリィが嘆息混じりに言いました。
「新しい履物(はきもの)はじゅうぶんに履きこなしてからでないと、いざという時に言うことを聞かないって、前にお母さんが言ってたっけ」
 居間のソファに押し込められたミシスの耳を、ノエリィが意外なほどてきぱきとした手つきで治療してくれました。
「ありがとう、ノエリィ」
「これでミシスがけっこう無茶をする人なんだってことが、よ~くわかったわ。これからはくれぐれも気をつけること。いい?」
「了解」ミシスは敬礼をしてそれにこたえました。
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登場人物紹介

◆ミシス


≫『聖巨兵カセドラ』本編シリーズの主人公。推定年齢は15歳前後。大陸北西部の白砂地帯に一人倒れていたところを王国軍に保護された、記憶喪失の少女。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫旧コランダム公国の郊外の丘に、母親と二人暮らす少女。思いがけない縁の運びにより、生涯の親友となるミシスと巡り逢う。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫エーレンガート女学院の生徒代表と寮長を兼任する俊才にして、一流の剣士。ハスキル院長を敬慕している。ノエリィとは幼馴染みどうし。

◆ハスキル・エーレンガート


≫エーレンガート女学院の創立者にして学院長。ノエリィの実母。大戦前から数々の悲運を経験してきた苦労人だが、常に笑顔と優しい言葉を絶やさない名教師。

◆グリュー・ケアリ


≫ホルンフェルス王国軍所属の科学者。名門ケアリ家の長子。現在はマノン・ディーダラス博士の助手を務めている。無類の料理好き。

◆マノン・ディーダラス


≫若き天才発明家として名を馳せる科学者。ホルンフェルス王国軍所属。出身地はコランダム公国。輝かしい赤髪は持って生まれたもの。

◆レスコーリア


≫無二の相棒として長年マノンと寝食を共にしてきた、アトマ族の少女。アトマ族としてはめずらしい高度な知的能力を持つ。性格は至って自由奔放だが、実はとても義理堅い。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫コランダムの軍人。巨兵大戦前には、同国の騎士団長を務めていた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫コランダム軍に所属する武人。公国の名門キャラウェイ家の長女。常時冷静沈着だが、その身の内に秘める覇気は並々ならぬものがある。

◆レンカ・キャラウェイ


≫キャラウェイ家の次女。姉のライカと共にコランダム軍に所属している。いささか気性が荒く我儘で、興味がないことには一切関与しようとしない。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍の将軍。全騎士団及び国王親衛隊を含む総軍の長。〈戦王〉と讃えられる国王トーメをして、「魂の兄弟」と言わしめた傑物。

◆〈アルマンド〉


≫ホルンフェルス王国軍の主力量産型カセドラ。史上初めて完全な建造に成功したカセドラとして知られているが、今なお世界最優秀の量産機と評される。

◆〈ラルゲット〉


≫かつてコランダム公国が主力として運用していた量産型カセドラ。〈巨兵大戦〉終結後は、一切の製造が禁止された。

◆〈□□□□□〉


≫???

◆〈□□□□〉


≫???

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