37 苺

文字数 4,547文字

 コリオランと呼ばれた赤い鎧のカセドラは、両手で槍の柄を握りしめると一歩前へ進み出て、手探りで這うように後退していくラルゲットの盾となりました。
 リディアはなにも手出しせず、それを黙って見過ごしました。
 姉の無事の帰艦を見届けると、怒りのためか武者震いのためか、かすかに揺れる声でレンカが口を開きました。
「見たことない躯体だな。王国軍の新型か」
「こたえる義務はない」マノンが即答します。
「あっそ」興味なさげにレンカは肩をすくめます。「調律師団のブタから中央の情報は洗いざらい伝わってるって話だったけど……さすがに一枚岩じゃないのねぇ。まだまだ私たちの知らないことがたくさんあるみたい。それともやっぱり、あのブタがとことん無能だったってことかしら」
「いや、なかなか有能なブタだったんじゃないかな」グリューが嘲笑します。「この船だって、おれらにしてみりゃできたてほやほやの新作のつもりだったんだぜ。こうもあっけなく真似されてるとは、想像もしなかったよ」
「ま、なんだっていいよ」乾いた笑みをレンカがこぼします。「どっちが先に造ったかなんて、そんなの大した問題じゃない。要は上手く使った方の勝ちよ」
「言えてるかもね」マノンがうなずきます。「たしかにこいつは、侵略行為にうってつけだろうさ」
 レンカは短く鼻で笑うと、コリオランの腰をぐっと落としました。そして改めて、巨大な槍の穂先をリディアとレジュイサンスに突きつけました。
「おい」レンカが鋭い声を放ちます。「王国軍の新型に乗ってるやつ。おまえは何者だ。こたえろ」
「こたえる義務は――」
「わたしの名前はミシス。たまたまこの子に乗ることになった民間人です」
 再びマノンが返答しかけたその時、代わってミシスが落ち着いた声で応じました。
 マノンが頭を抱えてうなだれます。グリューとレスコーリアは同時にかぶりを振って苦笑します。
「なんだその声、子供じゃないか。いったいどうなってるんだ。なんで民間人が、それもあんたみたいな子供が、カセドラなんかに乗ってるんだ」レンカが怪訝(けげん)そうに詰問します。
「あなたは誰ですか」ミシスは意に介さず訊き返します。
「へっ?」レンカは拍子抜けした息をもらし、それからくくっと笑います。「ああ、これは失礼した。私はコランダム軍所属のレンカ・キャラウェイだ」
「そうですか。あの、レンカさん」ミシスが呼びかけます。
「はぁい?」
「このままおとなしく帰ってくれませんか」
 それを聴いたレンカは、思わず口を押えて笑いをこらえました。
「いやぁ、私も軍人じゃなけりゃ、そうしたいのは山々だよ。……だけどね」ここで一瞬、冷ややかな沈黙が挟まれました。「抵抗するやつはぶっ潰せって、そう命令されてるんでね。あんな蹴りを食らって、黙って引き下がれるわけないだろ」
「さっきは蹴ったり殴ったりして、ごめんなさい」
「は?」
「もうこちらからはなにも攻撃しません。だから、どうか、今日のところは退()いてください」
 さも可笑しそうに、レンカは大声で笑いだしました。
「あっはっはっは……。面白いね、あんた。あんたみたいな素直なやつ、嫌いじゃないよ」
「そうですか。じゃあ、帰ってくれますか?」
「でもね、好きでもない」
 次の瞬間、疾風のように一歩踏み込んだコリオランが、まっすぐ前方に向けて槍の突きを放ちました。
 リディアはすんでのところでその切っ先に自分の槍の穂を衝突させていなし、体をひねって斜め後方の開けた場所へ大きく飛びのきました。
 勢いを殺されたコリオランは少しよろけますが、すぐにまた体勢を整えます。
「へぇ。速いね」レンカが冷静につぶやきます。「ねぇ、ミシスって言ったっけ? あんた、腕に覚えがあるの?」
「いいえ、まったく」
「ふぅん。でもけっこう筋が良いよ」
「……どうも」
「磨けば光るよ、きっと。私がみっちり教え込んであげる。良い武人になれるよ」
「え?」
「あんたも、あんたの乗ってるカセドラも、私が連れて帰ってあげる」
「お断りします。自分たちだけで帰ってください」
「断る権利があると思ってるのか、小娘が!」
 たぎるような殺意の宿った刃が、リディアの眉間めがけて放たれました。
 手を動かすのが間に合わず、リディアはかろうじて首だけ曲げてそれをかわします。しかし相手の猛攻はそれだけでは終わりません。
 ミシスは息を止めて歯をくいしばり、次々と襲い来る攻撃から決死の覚悟で逃れます。そのたびにリディアはよろめき、倒れ、尻餅をつき、亀のように這いつくばったかと思うと、(カエル)のように飛び跳ねます。
 広場の芝生は半分ほどがめちゃくちゃに剥がれ、そこらじゅうに泥と草が飛び散ります。
 ミシスの思いはただ一つ。ノエリィが、そしてみんなの大切な家や校舎が、これ以上の被害を受けないこと。そのため、リディアとコリオランの交戦の場は、ミシスの誘導に従ってどんどん広場の中心から外れ、その先に広がる草原へ、さらにはそのまた向こうの雑木林の只中へと、移動していきます。
「ミシス、逃げてばかりじゃだめよ!」レスコーリアが呼びかけます。「そいつは話し合いが通じるようなやつじゃないわ」
「そのとおりだ!」
 レンカが叫び、大地ごと割ろうかという激烈な一撃を、リディアの脳天へ向けて振り下ろしました。たまらず全力で後転してそれを回避したリディアは、ようやく意を決したように、背筋を伸ばして立ち上がりました。
 相手からじゅうぶんに距離をとり、両手で槍を短く持って、ミシスはリディアの胸のなかで深呼吸をします。
 そして、心静かに祈りました。
(ピレシュ。力を貸して……)
 頭のなかに、剣を振るうピレシュの姿を思い描きます。できるだけ鮮明に、その佇まい、その息遣い、その足の運び、その刃の描く軌道を、一つ一つ実物を見るように丁寧に、瞳の裏側によみがえらせます。
 ふいに、初めてピレシュの稽古を見学させてもらった日のことを思いだして、ミシスはくすっと微笑しました。
(あれは痛かったなぁ)転んでしまった時にできた耳の傷跡に触れながら、ミシスは思います。(でも、上手くできなくて当然だよね。だって、ピレシュが見せてくれたあの完璧な技を、わたしの体で真似できるわけがなかったんだから)
「覚悟しろ、新型!」レンカの絶叫と共に、コリオランが突進してきます。
(でも、今は、今なら、今だけなら、きっと理想の動きを追える。リディアなら、この子の体なら、できるはず。リディアなら……ピレシュになれる!)
 それから繰り広げられた刃と刃の凄烈なぶつかりあいを、マノンたち三人は船内から息を詰めて見届けました。
 そして、ついに決着がついた時、どっと深く息を吐きながら、三人が三人とも、今しがた見事な立ち回りを見せたのが、今日初めてカセドラに乗って、初めて実戦に臨んだ少女だということを、束の間、完全に忘れ去っていました。
「すごい……」自分の腕に浮いた鳥肌を撫でながら、マノンが唸りました。
「筋が良いっていうのは、本当みたいだな」グリューが呆然とつぶやきました。
 レスコーリアは、ただ無言でほほえんでいました。その小さな瞳に、リディアとミシスの姿をまっすぐに映しながら。
 勝負が決まり、大の字に地面に倒れたコリオランの鼻先に、姿勢よく直立するリディアの槍が突きつけられます。
「はぁ、はぁ……。もう、終わりにしましょう」ミシスが語気荒く告げます。「帰ってください。これ以上、攻撃しませんから」
「…………」
 しかしレンカはなにもこたえられません。憤怒と屈辱で喉が詰まって、呼吸さえままならない状態だったのです。
「無様だな、私たち」
 とつぜん、ライカの声が届きます。今は灰白色の船の操舵室内に、その姿があります。彼女は操縦席に腰を降ろし、敗北した妹に向けてさらに呼びかけます。
「いったん退くぞ、レンカ」
 ただ雨の音だけが粛々と響き渡る時が、それからしばらく続きました。誰もが騒乱の収束に向けて、気持ちを整理しはじめていました。
 そんななかコリオランは素早く腕を伸ばし、地面に転がった槍をつかみ取ります。
「レンカ!!
 ライカの鉄槌のような怒号が、それを制します。その一声で、まるで水を浴びせられた焚き火のように、レンカとコリオランの全身から戦意が蒸発しました。
 槍を杖代わりにしてゆっくりと立ち上がると、コリオランは姉の待つ船の方へしずしずと歩き去っていきます。
「ごめんなさい……」その背中に向かって、ミシスはそっと言葉をかけました。
 レジュイサンスの三人は、一斉に胸を撫で下ろします。
 全員が黙して見つめるなか、コリオランは自軍の飛空船に辿り着き、その外壁に片手をついて、開きっぱなしになっている船体前部の出撃口をのぞき込みます。
 ほんの一瞬、心から悔しそうに、ちらりとリディアの方を振り返ると、いっとき呼吸を整える間を置いてから、その巨躯を船内に収容するために身をかがめました。
 まさにその時、コリオランと同期しているレンカの視界に、崩れそうな校舎の出入り口の外へ体を少しだけ出して、おそるおそる周囲を見まわしている一人の少女の姿が映りました。
 少女はふらふらと肩を壁にもたせかけ、苦しげな表情を浮かべて片手をこめかみのあたりに添えています。その頬は青ざめ、瞳は恐怖の色に染まっています。コリオランが数歩踏み出して手を伸ばせば、その体をつかんで持ち上げられるほどの距離に、少女はいます。
「手ぶらで帰るのも(しゃく)だし」レンカが自嘲的に笑います。「捕虜の一人くらい……」
 操縦者のささやかな企みが伝わったからか、しゃがみ込むコリオランの体が、ほんのわずかに引きつるような動きを見せました。警戒を解かないまま赤い背中を注視していたミシスはすぐに異変に勘づき、それを誘発した原因とおぼしき小さな存在に目を留め、思わず絶叫しました。
「ノエリィ!?」一瞬のうちに半狂乱となり、ミシスは激しく喉を震わせます。「だめっ、ノエリィ、出てきちゃだめーーーーっ!!
「……ふふっ。これで反逆者の仲間ってことで確定ね」やけっぱちの笑みをこぼして、レンカがつぶやきました。「恨むんなら、あんたのお友だちを恨むことね」
 猛然と身を起こしたコリオランの巨大な手が、ノエリィめがけてまっすぐに差し伸ばされます。
 この時リディアはすでに駆けだしていましたが、建物や芝生を守るために校舎から離れすぎていたのが、決定的な(あだ)となりました。
 どんなに速く走っても、あと数歩、距離が及びません。
 間に合わない。
 絶対に間に合わない。
 ミシスは確信しました。
 そして、
 全身の血が、
 一気に沸騰するのを、
 感じました。
 目に映るものすべての輪郭がぼやけ、
 なにもかもが溶けて流れる光のなかに、
 呑み込まれていきます。
 これは夢じゃない。
 まるで悪夢そのものだけど、
 夢じゃない。
 本当に、
 わたしの目の前で、
 起こっていること……
「やめてーーーーーーーーーーーーっ!!
 内臓がすべて口から飛び出してしまうのではないかと思えるほど渾身の叫びを、ミシスは張り上げました。
 次の瞬間、まるでいつかのケーキに載っていた苺のように、コリオランの真っ赤な巨体が、地上から天空へ向かって飛び上がりました。
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登場人物紹介

◆ミシス


≫『聖巨兵カセドラ』本編シリーズの主人公。推定年齢は15歳前後。大陸北西部の白砂地帯に一人倒れていたところを王国軍に保護された、記憶喪失の少女。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫旧コランダム公国の郊外の丘に、母親と二人暮らす少女。思いがけない縁の運びにより、生涯の親友となるミシスと巡り逢う。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫エーレンガート女学院の生徒代表と寮長を兼任する俊才にして、一流の剣士。ハスキル院長を敬慕している。ノエリィとは幼馴染みどうし。

◆ハスキル・エーレンガート


≫エーレンガート女学院の創立者にして学院長。ノエリィの実母。大戦前から数々の悲運を経験してきた苦労人だが、常に笑顔と優しい言葉を絶やさない名教師。

◆グリュー・ケアリ


≫ホルンフェルス王国軍所属の科学者。名門ケアリ家の長子。現在はマノン・ディーダラス博士の助手を務めている。無類の料理好き。

◆マノン・ディーダラス


≫若き天才発明家として名を馳せる科学者。ホルンフェルス王国軍所属。出身地はコランダム公国。輝かしい赤髪は持って生まれたもの。

◆レスコーリア


≫無二の相棒として長年マノンと寝食を共にしてきた、アトマ族の少女。アトマ族としてはめずらしい高度な知的能力を持つ。性格は至って自由奔放だが、実はとても義理堅い。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫コランダムの軍人。巨兵大戦前には、同国の騎士団長を務めていた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫コランダム軍に所属する武人。公国の名門キャラウェイ家の長女。常時冷静沈着だが、その身の内に秘める覇気は並々ならぬものがある。

◆レンカ・キャラウェイ


≫キャラウェイ家の次女。姉のライカと共にコランダム軍に所属している。いささか気性が荒く我儘で、興味がないことには一切関与しようとしない。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍の将軍。全騎士団及び国王親衛隊を含む総軍の長。〈戦王〉と讃えられる国王トーメをして、「魂の兄弟」と言わしめた傑物。

◆〈アルマンド〉


≫ホルンフェルス王国軍の主力量産型カセドラ。史上初めて完全な建造に成功したカセドラとして知られているが、今なお世界最優秀の量産機と評される。

◆〈ラルゲット〉


≫かつてコランダム公国が主力として運用していた量産型カセドラ。〈巨兵大戦〉終結後は、一切の製造が禁止された。

◆〈□□□□□〉


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