22 さあ、素敵な休日の続きをしよう

文字数 4,240文字

 三人の少女は探検でもするように川沿いの食堂街を歩きまわり、やがて水車を間近に見られるレストランに入りました。それは帆船を模した造りの店舗で、いまにも沈没してしまいそうなほど多くの食事客で賑わっていました。
「ここ、前から来てみたかったんだ」ノエリィが興奮した様子で言いました。
 実はわたしも、とピレシュが胸の内でつぶやきました。
 客席と厨房を仕切る壁は大部分がガラス張りになっていて、三人が案内された川の上の屋外席からでも、その内側の様子を見通すことができました。店内の混雑ぐあいとは裏腹に、厨房のなかはとても整然としています。そこで調理をしている人たちの動きも流れるように機敏で、至って円滑に注文をさばいているようです。
 ミシスは調理係のなかに一人のアトマ族の男性がいるのを発見し、その姿をしばらく目で追いました。
 久しぶりに見るアトマ族でした。けれどあの王都の喫茶店で会ったウェイターとは、雰囲気がぜんぜんちがっています。その初老のアトマの調理人は唇をぴたりと閉ざしたまま、ほかの人間の料理人たちから回されてくる料理の皿に、顕術を駆使して次々と見事な仕上げを施していきます。彼がすいすいと両手を振るたびに調味料の瓶が宙を踊り、添え野菜が優雅に舞い、刻まれた香草が降り注ぎ、サワークリームやホイップクリームが牡丹雪(ぼたんゆき)さながらに悠然と着地しました。
 気づけばノエリィとピレシュも、そのアトマ族の仕事ぶりに目が釘づけになっていました。給仕係(こちらは人間の女性)が注文を取りに来た時にも、まだ誰もメニューを開いてさえいない状態でした。
 その後、三人がいつもの数倍増しの勢いでお喋りに花を咲かせながら食事を終えて、食後のコーヒーに口をつけはじめた時のことです。店の入り口から最も遠い席にいるミシスたちにもはっきりとわかるくらい、店内の雰囲気が一瞬がらりと変わりました。
 その変化の波紋の中心点には、一組の新しい客の姿がありました。中年の男性が一人と、若い女性が二人という組みあわせの彼らは、どこか浮世離れした独特の雰囲気を漂わせています。
 どうやらまわりの客たちの反応から察するに、店内に不穏な波紋を巻き起こした張本人、いわば平和な水面に投げ込まれた招かれざる石塊(いしくれ)の正体は、とりわけ彼らのなかでも二人の女性を従えるようにして闊歩する男性その人であるようでした。
 てっぺんだけ綺麗に禿げ上がった奇妙な髪型をしたその男性は、まるで子どものように背が低く、それなのに体格は粗暴なくらいに大柄で、全身の容積のほとんどがそこに詰まっているのではないかと思えるほど巨大な下腹の持ち主でした。彼は短い両腕を腰の後ろでかろうじて組み、視界に入るものすべてを勝手に採点して片っ端から落第させることを趣味としていそうな目つきで方々(ほうぼう)を見まわしながら、床板を踏み抜かんばかりにどしどしと歩いてきます。いかにも高級そうな黒い長衣(ちょうい)をまとい、その前を百はあろうかという金のボタンでぴったりと留めています。裾には過剰なほど細やかな深紅の飾り紐が隙間なく垂れ下がり、胸の上ではなにかの紋章(エンブレム)がぎらぎらと光っています。
 連れの二人の女性は、凍った魚のように表情を殺し、その男の三歩ほど後ろを追随していました。二十代前半あたりに見受けられるその二人は、互いにどことなく顔立ちが似ています。もしかしたら姉妹かもしれない、とミシスは想像します。
 女性たちは二人とも前を行く男よりずっと背が高く、足首まで届く灰色のマントで全身を包んでいます。熟達した狩人のような迷いのない脚の運びかたも、二人はよく似ています。一人は少年のように短い髪型をしていて、もう一人は肩に触れるほどの長さの髪をなびかせています。そしてそれらは、やはりどちらもおなじ白銀色です。
 異様な三人組は店じゅうの視線と密談の的になりながら店内を練り歩き、唯一空いていたミシスたちの隣のテーブルに案内されました。
 彼らは明らかに一般の人ではない、なにか特殊な役職や権能を与えられている人たちだということが、社会経験の乏しいミシスにも、すぐさま感じ取られました。
「あんまり見ちゃだめだよ」ノエリィがミシスを肘で小突き、耳もとでささやきました。
 ピレシュは、ただ一度だけ彼らの方を素早く確認すると、それ以降、決してそちらに目を向けることはありませんでした。
「なんとも、落ち着きのない店だな」(さげす)みを隠そうともせずに男が言いました。「きみたちは、いつもこんなところで食事をしているのかね」
「いえ」入念に手を拭きながら、髪の短い方の女性が低い声でこたえました。「閣下がたまには下界でお食事をなさりたいとおっしゃったので、当世この町で最も評判の良いとされるこちらのお店へご案内させていただいたまでのこと」
「評判ねぇ。いったいどんな連中のどんな評判なんだか。あまり期待はできんな」ぞんざいにメニューをめくりながら男が言います。
「物は試しって言うじゃないですか。召し上がってみたら、案外お口に合うかもしれませんよ」
 髪の長い方の女性が、華やかな甲高い声で言いはましたが、そこになんの気持ちも込められていないのは明白でした。しかしそれに気づいていないのは、彼女の目の前でふんぞり返る男だけのようです。彼は気を良くして、にたっと笑いました。
「そうだといいがね。おやっ」
 メニューをばたんとテーブルに伏せて、男がガラス越しに厨房のなかをのぞき込みました。
「こいつは驚いた。なんとまぁ、アトマ族なんぞに料理をやらせているのか」
 二人の女性もちらりと顔を上げ、そちらを確認します。二人はなにも言いません。男はかまわず続けます。
「人間様の食事をアトマ族に作らせるとは。まったく、酷い世の中になったものだ。そうは思わんか」
 同意を求められた二人は、共にそっくりな仕草で肩をすくめました。やっぱり姉妹にちがいない、とミシスは思います。
 やがて給仕係に注文を伝えると、男は今度は周囲をきょろきょろとせわしなく観察しはじめました。そしてがりがりと大きな音を立てて椅子を動かし、川面を眺めるためか、テラスの縁までそれを引きずっていきました。そして短い脚を大仰に組んで、手摺にどかっと片肘を載せると、陽光に照り輝く眼下の川を見おろしました。けれどそこには、テラスの土台となる建材のあいだから川に向かって、たっぷりと葉を茂らせた樹木が一本生えていました。
 それを目にした途端、男の顔つきがみるみる歪んでいくのがわかりました。苛立たしげに舌打ちをすると、手を挙げて怒鳴るように店員を呼びつけ、川がよく見える席に移動したいと高圧的にまくしたてました。
 しかしあいにく、屋外席はどこも埋まっています。店員が困り果てていると、ノエリィとミシスに目配せしたピレシュが颯爽と立ち上がり、やはり男の方には視界の切れ端さえも与えないまま、立ちすくむ店員の耳もとで一言なにかをささやいてすぐに自分の席に戻りました。
「あちらのお客様がたがお帰りになるそうなので、すぐにご準備いたします」店員が男に告げました。
 男は満足げにうなずいて、次は便所はどこだと大声でたずねると、店員に案内されて大股で歩いていきました。私が戻ってくる前にテーブルの用意をしておけ、と命じながら。
「行こう」
 ピレシュが声をかけると、ノエリィとミシスは残りのコーヒーを急いで飲み干して席を立ちました。
 直後、男の同行者の髪の短い方の女性がすっと起立し、少女たちの近くまで来て頭を下げました。
「申しわけありません」
「かまいません」まるで釘でも打ち込むみたいに、ピレシュが言い放ちました。
 もう一度頭を下げると、女性は席へ戻っていきました。この(かん)、髪の長い方の女性は、なにもかもまったく目に入れる価値さえないといわんばかりに無関心な表情を浮かべて、メニューをぱたぱたと扇いで自分の顔に風を送っていました。
 店を出ると、少女たちはしばらく嫌な後味を引きずっていましたが、ミシスが懸命に笑顔をこしらえて言いました。
「いやぁ、変なもの見ちゃったね」
 その無邪気な声を聞いて、ノエリィがほっとしたように小さく笑いました。けれどまだピレシュの顔は、凍りついたままです。
「ねぇ、今のって、〈調律師団〉の人だよね」ノエリィがピレシュにたずねました。
 ピレシュは無言でうなずきます。
「それって、前にも聞いたよね。星灰宮にいる人たちのことだったっけ」ミシスが確認します。
「そうだよ。戦争が終わったあと大陸じゅうに派遣された、王様に代わってそれぞれの地域を統治する人たちのこと」
「なんだか、笑っちゃうくらい偉そうだったね。あんな人、本当にいるんだなぁ……」ミシスが素直な感想を吐露しました。
「腐ってるのよ」
 ピレシュが鋭く吐き捨てて、足早に数歩前へ進んだかと思うと、急にぴたりと立ちどまって、憎々しげに怒鳴りました。
「ああ、もう! せっかくの休日に泥を塗られちゃったわ」
 ミシスは唐突にピレシュの眼前へ飛び出して、その手に抱えられていたプレゼントの包みを奪い取り、怒りに燃える双眸の前に突きつけました。
「ほらピレシュ、これ見て!」思いきり晴れやかに笑いかけます。「これを受け取った時の先生の笑顔を、思い浮かべて」
 その明るい言葉と笑顔を浴びせられて、憤怒に打ち震えていた少女は、言われたとおりのことを想像するしかありませんでした。すると、すぐにあの優しげな顔がほほえみを咲かせる映像が頭に浮かび、どろどろとした胸の内の黒いものが一瞬で消え去りました。
「……ありがとう、ミシス」一度大きく深呼吸をして微笑すると、ピレシュは再びその手にプレゼントを受け取りました。「ごめんね。もう大丈夫」
 二人のあいだにノエリィが飛び込むようにして身を捩じ込み、両者の肩に腕を回しました。
「さあ、素敵な休日の続きをしようよ。まだまだ日は高いんだからね」
 その後も三人はいろいろなお店を見てまわったり、公園で休憩したりアイスクリームを食べたり、誕生会の料理の打ち合わせやバースデイ・ケーキの手配をしたりして、太陽が赤く染まる頃には全員心から満足しきって帰路につきました。
 こうして三人の初めてのお出かけは、少々波乱含みではあったものの、とても素敵なものになりました。
 ただ、普段から鍛えているピレシュ以外の二人は、立ちはだかる丘の登り坂のおかげで、その後数日間は深刻な筋肉痛に見舞われることになったのでした。
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登場人物紹介

◆ミシス


≫『聖巨兵カセドラ』本編シリーズの主人公。推定年齢は15歳前後。大陸北西部の白砂地帯に一人倒れていたところを王国軍に保護された、記憶喪失の少女。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫旧コランダム公国の郊外の丘に、母親と二人暮らす少女。思いがけない縁の運びにより、生涯の親友となるミシスと巡り逢う。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫エーレンガート女学院の生徒代表と寮長を兼任する俊才にして、一流の剣士。ハスキル院長を敬慕している。ノエリィとは幼馴染みどうし。

◆ハスキル・エーレンガート


≫エーレンガート女学院の創立者にして学院長。ノエリィの実母。大戦前から数々の悲運を経験してきた苦労人だが、常に笑顔と優しい言葉を絶やさない名教師。

◆グリュー・ケアリ


≫ホルンフェルス王国軍所属の科学者。名門ケアリ家の長子。現在はマノン・ディーダラス博士の助手を務めている。無類の料理好き。

◆マノン・ディーダラス


≫若き天才発明家として名を馳せる科学者。ホルンフェルス王国軍所属。出身地はコランダム公国。輝かしい赤髪は持って生まれたもの。

◆レスコーリア


≫無二の相棒として長年マノンと寝食を共にしてきた、アトマ族の少女。アトマ族としてはめずらしい高度な知的能力を持つ。性格は至って自由奔放だが、実はとても義理堅い。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫コランダムの軍人。巨兵大戦前には、同国の騎士団長を務めていた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫コランダム軍に所属する武人。公国の名門キャラウェイ家の長女。常時冷静沈着だが、その身の内に秘める覇気は並々ならぬものがある。

◆レンカ・キャラウェイ


≫キャラウェイ家の次女。姉のライカと共にコランダム軍に所属している。いささか気性が荒く我儘で、興味がないことには一切関与しようとしない。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍の将軍。全騎士団及び国王親衛隊を含む総軍の長。〈戦王〉と讃えられる国王トーメをして、「魂の兄弟」と言わしめた傑物。

◆〈アルマンド〉


≫ホルンフェルス王国軍の主力量産型カセドラ。史上初めて完全な建造に成功したカセドラとして知られているが、今なお世界最優秀の量産機と評される。

◆〈ラルゲット〉


≫かつてコランダム公国が主力として運用していた量産型カセドラ。〈巨兵大戦〉終結後は、一切の製造が禁止された。

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≫???

◆〈□□□□〉


≫???

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