24 最高のプレゼント

文字数 4,530文字

 華々しい乾杯から始まり、次いで少女たちが腕によりをかけた逸品が次々と振る舞われ、いつ尽きるともしれない歓談の最中(さなか)に突如部屋の明かりが落とされると、キャンドルの灯されたバースデイ・ケーキが満を持して登場しました。
 主役が炎を吹き消すと同時に大きな拍手が巻き起こり、次に部屋が明るくなった時には、プレゼントを手にしたピレシュがみんなを代表してハスキルの前に立っていました。
「改めて、お誕生日おめでとうございます。ハスキル先生」始業式の演説の時よりもずっと緊張した面持ちで、彼女は丁寧に述べました。「わたしたち三人で選びました。どうぞ受け取ってください」
 ワインでほんのり赤く染まった頬をさらに紅潮させて、ハスキルは丁重にそれを受け取りました。リボンをほどき、包装紙を破らずにゆっくり剥ぎ取るその手もとを、三人の少女と一人の老人がじれったそうに見守ります。
 中身をすっかり明らかにしてしまうと、ハスキルは乙女のように瞳を輝かせました。
 三人が選んだのは、水彩画の道具一式でした。
「これはわたしからだよ」ノエリィが24色入りの絵具箱を指差しました。
「これは、わたしが」さまざまな形状の丸筆と平筆の束を指して、ピレシュが言いました。
「わたしが選んだのは、これです」最後にミシスが示したのは、鮮やかな青い表紙で閉じられた高級水彩紙のスケッチブックでした。
「みんな、どうもありがとう。こっちへ来て」
 足の怪我で立ち上がるのが一苦労のハスキルは、椅子に座ったまま両腕をいっぱいに広げて、少女たち一人一人を抱擁しました。三人もそれぞれに腰を落として、しっかりと抱きしめ返しました。
「ほんとに、最高のプレゼントだわ」ハスキルが画材の一つ一つを手に取ってうっとりと眺めます。「まるで、あなたたちとおなじくらいの年頃に戻ったみたいな気がする」
「先生の学生時代って、どんなふうだったんですか?」ミシスが身を乗り出してたずねます。
「そうねぇ。まぁ、見た目は、言うまでもなく今のノエリィにそっくりだったわ」
 それを聴いてみんな一斉に笑いました。
「でも、もっと落ち着きはあったかしらね」
「あら、わたしってそんなに落ち着きないかしら?」娘が気取った口調で言いました。
「ふふ。絵を真剣に描いていたのも、今のあなたくらいの頃だったな。結局、教師の道を選んで夢中で生きているうちに、すっかり忘れちゃってた……」
「描きかたはまだ覚えてる?」ノエリィが訊きます。
「たぶん大丈夫。なんでもそうだけど、基本って一度身につけると、そうそう忘れないものだから」
 それを聞いてゲムじいさんとピレシュが、同時に深くうなずきました。
「今はちょうど自由に動きまわれないことですし」ピレシュが包帯で固められた足に目をやります。「ご静養なさるついでに、ゆっくりと絵を描かれてみてはどうですか」
「うんうん、それがいいですよ」ミシスも賛同します。
「そうねぇ。でも……」
「でも、は無し!」ノエリィがびしっと言い放ちました。「みんな、お母さんの力になってくれるよ。足がすっかり良くなるまでは、少し余裕をもって生活して」
「そうですよ。なんでもわたしたちに頼ってください」ミシスが力を込めて言いました。
 ピレシュも、それにゲムじいさんも、頼もしげにうなずきました。
「みんな、ありがとう。たしかにこんな状態でうろうろしてもかえって迷惑になりそうだし、お言葉に甘えようかしら」
 愛おしそうに画材一式を胸に抱えると、ハスキルはゲムじいさんの方を向いて言いました。
「ねぇ、わたしは本当に幸せ者ね」
 ゲムじいさんは静かにほほえみました。
 するとその時とつぜん、みんなの集う居間の片隅で、大きな鈴の音が鳴りだしました。
 一瞬、その場にいる全員が驚きの表情を浮かべますが、鈴がくり返し鳴るにつれて、徐々に平常の調子を取り戻していきました。ただ一人、ミシスを除いて。
 りんりんと響く不思議に澄んだ鈴の音色は、ミシスにとっていまだに聴き慣れないものでした。それは、居間の出窓に置かれた小さな木箱から発せられている音でした。ちょうど、香箱座(こうばこずわ)りをする猫のような形をした赤茶色のその箱を、ノエリィが慎重に運んできて母の膝に載せました。
 ハスキルが上蓋(うわぶた)をつかんで持ち上げると、箱の天板(てんばん)がぱかっと取り外されました。箱のなかの中心部には、野苺の実くらいの大きさの青い鉱石が埋め込まれています。外された蓋の裏側には、円形の金属板が二枚、長方形のそれぞれの短辺に接する位置に()められています。蓋の(はし)からは金属製の紐が伸びていて、筐体の内部に繋がれています。ミシスが首を伸ばして箱の中身をのぞき込むと、時計盤のように数字の描かれた円盤が、鉱石のまわりを取り囲むように据え付けてあるのが見えました。
 それは〈鉱晶伝話器(こうしょうでんわき)〉と呼ばれる、固有の周波数を刻印したアリアナイトどうしを共鳴させることで遠方にいる人との音声の授受を可能にする通信装置なのだと、以前ハスキルがミシスに説明してくれました。ハスキルは一教育機関を取り仕切る責任者として、中央政府の教育省から半年ほど前にそれを支給されたばかりでした。しかしまだ世間に多く出回っていない高価な品物なので、それを鳴らすことも鳴らされることも、滅多にはないことでした。ミシスがその音を耳にするのはまだ二、三度目くらいのことです。
 受話器である箱の蓋の内面を耳に当てて、ハスキルが応答しました。
「はい、こちらはエーレンガート女学院、ハスキル・エーレンガートです」
 彼女を取り巻く一同は、やや神妙な面持ちで事の推移を見守りました。
「…………え? 嘘でしょう……?」
 そう呆然とつぶやいた直後、ハスキルは両目をみるみる大きく開いて、空いている方の手で椅子の肘かけをわしづかみにしました。
「マノンちゃん! 本当に、あのマノンちゃんなの!?」
 ハスキルの驚きぶりは尋常ではありませんでしたが、まわりのみんなはなにがどうなっているのかさっぱりわからず、ただぽかんとするばかりです。それをよそに、ハスキルはますます息を切らせて続けます。
「ええ、ええ、元気、元気よ。あなたも、とっても元気そうで……。あぁ、信じられない。もうすっかり立派な大人なのね……」
 そんな調子のやりとりが、それからしばらく続きました。
 あまり聞き耳を立てるのも失礼だろうと、みんなそれぞれに席を立ち、手分けして宴の後片づけに取りかかりはじめました。それに気づいて、どこかの遠い場所にいる誰かと話し込みながら、ハスキルはみんなに手を挙げて詫びのしるしを送りました。みんなは笑顔で首を振り、お気遣い無用の意を返しました。
 やがて通話が終わると、再びノエリィが伝話器を元あった場所に戻しに行きました。
「ありがとう、ノエリィ。みんなも、ごめんね」ハスキルが申しわけなさそうに言いました。
「いえ、お気になさらず」ピレシュが残った料理を小皿に移し替えながらこたえます。
「……あぁ、それにしても、びっくりしちゃった」ことさら深々と、ハスキルが嘆息します。
「ずいぶん親しげだったじゃない。誰と話してたの?」ノエリィがたずねます。
「大昔の教え子よ」椅子の背もたれに頭をもたせかけて、ハスキルは遠い目をします。
「えっ」ミシスが思わず声をあげます。「教え子って、じゃあこの学院の卒業生ってことですか?」
 学院長は誇らしげにうなずきます。
「あの子が卒業したのは、もう11年、いや12年くらい前になるかしら」
「そんな昔ぃ?」皿を洗っていたノエリィが目を丸くします。
「ええ、たしかそれくらいになるわ。終戦後すぐにうちに来て、あっという間に出ていったから」
「どういうこと? 転入生だったの?」
「ちがうのよ。普通に一年生として入学して、一年生のうちに卒業したの」
「なにそれ」ノエリィが眉根を寄せます。「そんなことできるの?」
「あの子は、本当にとくべつだった。だから昨日のことのようにはっきり覚えてるわ。とても私と気の合う、素直で優しい子だった」しみじみと懐かしむようにハスキルは話します。「あの子は、王国政府が直々に特待生として選考した生徒だったの。たった一学期だけの在学中に、高等教育課程をなにからなにまで完璧に履修したのよ。そしてそのまま、王都のアカデミー付属大学に招致されたの」
「あ~……なるほど」ノエリィが事情を察します。「あれね。天才、ってやつね」
「まちがいなく」ハスキルはきっぱりとうなずきました。「あれほど桁外れに優秀な頭脳を持つ人間は、わたしはほかに聞いたこともない」
「わたしたちの先輩に、そんな人がいたんですね」テーブルを拭きながら、想像のつかないものを無理に想像しようとするように虚空へ目を漂わせて、ミシスがつぶやきました。
「時が経つのは早いわねぇ。あの小さかった女の子が、すっかり大人になってるんだもの」
「11年とか12年とか前って言ったら、今は、30近い人?」ノエリィが指折り数えてたずねます。
「ううん」ハスキルは首を振ります。「さっき、まだ22歳って言ってたわ」
「は?」ノエリィはうっかり皿を落としそうになりました。「でもさっき、十何年前に卒業したって……」
「ああ、うちを卒業した時、彼女はまだ9歳だったの」
 これには全員が驚嘆の声をあげました。いつも表情のあまり変わらないゲムじいさんでさえ、掃除の手をぴたりと止めて両目を見開きました。
「……あれ?」声になるかならないかくらいの息をもらして、ピレシュが一人静かに首をかしげました。
「そうそう、それでね。なんと来月、その子がわたしに会うために、12年ぶりにここへ帰って来るんだって!」
 足を怪我していなかったらきっと天井まで飛び上がっていただろうという勢いで、ハスキルが大々的に発表しました。
「え、ええ~っ?! そんなすごい人に、どんな顔して会えばいいのよぉ」非難がましい目を母に向けて、ノエリィが叫びました。
 ミシスは隣にいたゲムじいさんと顔を見あわせ、まるで今すぐにその天才といわれる人物と面会しなくてはいけなくなったみたいに、二人して固まってしまいました。
 ピレシュは先程なにかをぼそっとつぶやいたきり、作業の手を休めて窓の外を凝視していました。しかしやがて、その頬を徐々に青ざめさせると、ふらふらとした足取りでハスキルの前まで歩いていき、今にも血走りそうな異様な目つきで、恩師をじっと見おろしました。
「……失礼ですが、先生。そのかたって、もしかして……」
「どうしたの、ピレシュ?」ハスキルが心配そうに少女の顔を見あげます。
「そのかたの、お名前は――」いっとき意を決する間をとって、少女は重々しく口を開きました。「――もしや、マノン・ディーダラスというのではありませんか?」
「ええ、そうよ」あっさりとハスキルは肯定しました。
 その直後に発せられたピレシュの悲鳴は、その場にいた全員を――本人も含めて――とても驚かせました。なにしろピレシュがそんな大声を出すのを聴いたことは、ハスキルやノエリィでさえこれまで一度もなかったのです。ピレシュ自身だって、そんな大きな声が自分の口から出るなんて、夢にも思ったことはありませんでした。
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登場人物紹介

◆ミシス


≫『聖巨兵カセドラ』本編シリーズの主人公。推定年齢は15歳前後。大陸北西部の白砂地帯に一人倒れていたところを王国軍に保護された、記憶喪失の少女。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫旧コランダム公国の郊外の丘に、母親と二人暮らす少女。思いがけない縁の運びにより、生涯の親友となるミシスと巡り逢う。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫エーレンガート女学院の生徒代表と寮長を兼任する俊才にして、一流の剣士。ハスキル院長を敬慕している。ノエリィとは幼馴染みどうし。

◆ハスキル・エーレンガート


≫エーレンガート女学院の創立者にして学院長。ノエリィの実母。大戦前から数々の悲運を経験してきた苦労人だが、常に笑顔と優しい言葉を絶やさない名教師。

◆グリュー・ケアリ


≫ホルンフェルス王国軍所属の科学者。名門ケアリ家の長子。現在はマノン・ディーダラス博士の助手を務めている。無類の料理好き。

◆マノン・ディーダラス


≫若き天才発明家として名を馳せる科学者。ホルンフェルス王国軍所属。出身地はコランダム公国。輝かしい赤髪は持って生まれたもの。

◆レスコーリア


≫無二の相棒として長年マノンと寝食を共にしてきた、アトマ族の少女。アトマ族としてはめずらしい高度な知的能力を持つ。性格は至って自由奔放だが、実はとても義理堅い。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫コランダムの軍人。巨兵大戦前には、同国の騎士団長を務めていた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫コランダム軍に所属する武人。公国の名門キャラウェイ家の長女。常時冷静沈着だが、その身の内に秘める覇気は並々ならぬものがある。

◆レンカ・キャラウェイ


≫キャラウェイ家の次女。姉のライカと共にコランダム軍に所属している。いささか気性が荒く我儘で、興味がないことには一切関与しようとしない。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍の将軍。全騎士団及び国王親衛隊を含む総軍の長。〈戦王〉と讃えられる国王トーメをして、「魂の兄弟」と言わしめた傑物。

◆〈アルマンド〉


≫ホルンフェルス王国軍の主力量産型カセドラ。史上初めて完全な建造に成功したカセドラとして知られているが、今なお世界最優秀の量産機と評される。

◆〈ラルゲット〉


≫かつてコランダム公国が主力として運用していた量産型カセドラ。〈巨兵大戦〉終結後は、一切の製造が禁止された。

◆〈□□□□□〉


≫???

◆〈□□□□〉


≫???

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