26 まるで花びらをちぎる恋占いのように

文字数 3,555文字

 まるで花びらをちぎる恋占いのように、それから数日間の丘の天候は晴れ、雨、晴れ、雨と、交互に入れ替わりをくり返しました。
 あまり騒ぎになると客人もくつろげまいとの考えから、マノン・ディーダラス博士が学院を訪問するということは、あの誕生会に参加した者以外には知らされませんでした。なのでピレシュの同級生や寮で一緒に暮らしている生徒たちは、彼女がめずらしく浮足立った様子でいるのを、とても不思議がっていました。けれどあえてまわりの人たちも、そして本当は誰彼かまわず自分の興奮をぶちまけてやりたいという衝動と戦っていたピレシュ自身も、口を閉ざしたままでいました。
 そのため彼女はミシスやノエリィといる時には、その鬱憤を晴らすかのように猛然と、心の内の熱い想いをまくしたてました。
「もう。落ち着きなよ、ピレシュったら」
 ある雨の日の昼休み時間中、学院の階段の踊り場で、ノエリィが呆れ気味に言いました。
「これが落ち着いてなんかいられるもんですか」ピレシュは荒く嘆息します。「だって、あのマノン・ディーダラスに会えるのよ。あぁ、本当に、夢じゃないかしら」
「ピレシュがそこまで言うなんて、よっぽどすごい人なんだね」ミシスが言います。「いったい、その博士のどんなところに惹かれるの?」
「よくぞ訊いてくれたわね」火を入れられた炉のように、ピレシュの瞳が輝きます。「まずなんと言っても、マノン博士は――」
「手短に」すかさずノエリィが手を突き出して制します。「手短に、お願いします」
「え? あぁ……ええ」一度こほんと咳ばらいをして、ピレシュが姿勢を正します。「そうね、マノン博士が取り組まれている活動のなかでわたしがいちばん心惹かれるのは、やはり最新科学の平和的な利用法についての研究ね」
「それって前に話してくれた、顕動力学ってやつに関係あること?」ミシスがたずねます。
「そのとおり」満足げにピレシュはうなずきます。「博士は顕導力学研究の第一人者なの。彼女はその技術を武器や兵器の開発のためじゃなくて、世界平和への貢献や自然環境の保護・再生事業に役立てていくべきだと、以前から主張しているわ」
「再生? 自然を?」ミシスが首をかしげます。「それって、具体的に、どういうこと?」
「もしかして、砂漠の緑化とか?」ノエリィが横から入りました。
 ピレシュは再びうなずきます。「もちろんそれも、重要課題の一つね」
「砂漠……」ミシスがぼんやりとつぶやきました。
「ほら、覚えてない?」ノエリィが指先でミシスの肩を突つきます。「列車で王都を出たあと、やたら広い砂漠地帯を通ったでしょ」
「ああ、あれ」
 ミシスのなかで、その時に車窓から眺めた景色がくっきりとよみがえりました。たしかに列車はあの時、王都の郊外を離れてからしばらくのあいだ、見渡すかぎりの真っ白な砂漠を通過しました。まるで生気の感じられない漂白されたような砂が地平線の果てまで広がっている光景を、半ば空恐ろしく、半ば美しいとも感じながら、少女は長いことじっと見つめたものでした。
「知られているとおり、アリアナイトの乱獲は地中のイーノの調和を大きく崩し、土壌の致命的な疲弊を招くわ。マノン博士は、そうした生命力を失った大地に正常なイーノの活力を再生させるためのさまざまな研究にも、取り組んでおられるの」
 感心してうなずきながらも、ミシスは今初めて耳にしたアリアナイト採掘に関わる問題に密かに衝撃を受け、立ちすくんでしまいました。
「それにしても、このたちのわるい天気」ピレシュが憎々しげな視線を窓の向こうの雨雲に突き刺します。「いつまでこんなくだらない冗談を続ける気かしら。本当にこのまま晴れと雨の日が律儀に交替し続けたら、博士が来られる日は雨に当たっちゃうわ」
「まさかこんな偶然がずっと続くことはないと思うけどねぇ」ノエリィが苦笑します。「とにかく早く雨季が終わってほしいよね。雨はちょっともう、飽きてきちゃった」
「同感ね」唇をへし曲げて、ピレシュが吐き捨てました。
 けれどその時期のタヒナータ上空のお天道様は、たいへん意地のわるい冗談を好まれたようで、マノン・ディーダラス博士が学院を訪問する日は、これまでのどんな雨も敵わないほどの土砂降りになりました。
 その日、正午過ぎにエーレンガート家を訪れたピレシュは、大きな雨傘とレインコートと雨靴と、鬼のように不機嫌な形相を身に着けていました。
 タオルを借りて体を拭き、みんなになだめられながら冷たい水をグラスで一気に飲み干すと、ようやく少し表情がほぐれました。
 この日のピレシュは、レインコートの下にあえて学校の制服を着てきていました。それが彼女にとっての、偉大な先輩に面会するための最適な衣装だと思えたからです。
 まだ足の怪我の治らないハスキルは、上下ともカスタード色の半袖セーターとロングスカートという格好で、ゆったりと揺り椅子に腰かけています。ノエリィはふんわりとした濃い黄色のブラウスに焦茶色のショートパンツとタイツという格好。ミシスは純白のブラウスと濃紺のデニム、そしてとっておきの青いローブを羽織っています。全面に白い星の刺繍が施された、ノエリィが修復してくれたあの服です。
 それを初めて目にするピレシュは、しばらくじっとそのローブを凝視していました。やっぱりこの場ではちょっと派手だったかな、怒られるかな、と内心びくびくしていたミシスでしたが、ピレシュはただ一言、「変わった服ね」と言っただけでした。
「そんなにがっかりしないで、ピレシュ」椅子を揺らしながらハスキルが慰めます。「マノンちゃんなら、雨なんかちっとも気にしないと思うわ」
「でも、きっと残念にはちがいないと思います。せっかく楽しみになさっていた里帰りなのに……」
「そうねぇ。晴れたら、それに越したことはなかったわね。だけど顔を合わせて楽しくお喋りができたら、それでじゅうぶんじゃないかしら」
 ピレシュはしぶしぶうなずきました。
「ところでお母さん」ノエリィがたずねます。「そのかた、本当に一人でいらっしゃるの?」
「そうだと思うけど」
「くわしく訊かなかったの?」
「うん、ごめん。訊きそびれちゃってた。伝話の時は、お互いあんまり興奮してたもんだから……」
「ふぅん。ま、いいけどさ。いちおう念のため、あと二、三人分のカップとお菓子も用意してあるし」
「ごめんね」ハスキルが手のひらを合わせて詫びました。
 博士の事情により、約束の時間は正確に指定されてはいませんでした。ただ、必ずや午後の明るいうちには訪問できるよう調整する、という話にはなっているとのことでした。それまでまだしばらくは猶予があるようです。
 しかし玄関の呼び鈴が鳴らされることのないまま時間はゆるやかに過ぎ去り、いつしか雨脚はさらに激しさを増し、そのうえ徐々に風も出てきました。そしてそれはやがて家全体を揺り動かすほどの、猛烈で無遠慮な暴風になっていきました。
 暗くなってきたので部屋のランプをつけてまわろうかとミシスが思案しはじめた、その時でした。
 テーブルに肘をついて窓の外を不安げに眺めていたノエリィが、あっと声を上げました。
 ちょうどその窓の前に置かれたカウチに並んで座っていたミシスとピレシュは、ぐるりと身をひねってノエリィが示す方角に目を向けました。揺り椅子に座るハスキルも肘掛けを両手でつかみ、おなじように首を伸ばします。
「ねぇ、どうかしたの?」ミシスが首をかしげます。
 問われたノエリィは中腰の姿勢になり、睨むような目つきで窓の向こうを見たまま、それきり言葉を発しません。
 家の外には、たっぷりの水と雷を蓄えたおぞましい黒雲と、横殴りに大地に襲いかかる豪雨とに支配される、胸の塞がるような光景が展開しているばかりです。その下に広がる雑木林の樹々も気の毒なほど右に左に揺さぶられ、すっかりくたびれて果てているように見えます。
「今、なにか、空を……」目を凝らしながらノエリィがつぶやきます。「……あっ、ほら、見て」
 さっと人差し指を上の方へ伸ばします。
「どこ?」ピレシュが目を細めます。
「ちがうちがう、そんなところじゃなくて、もっともっと上の方……」ノエリィはもどかしげに立ち上がり、みんなの目線を誘導します。
「上、って……」ミシスもおなじく席を立って、窓におでこをくっつけます。
「え、なに? 上がどうかしたの?」ハスキルも松葉杖をついて立ち上がり、娘たちのもとへ歩み寄りました。
 そして四人は同時に

を目にしました。四人で同時に息を呑み、同時に言葉を失い、同時に全身を硬直させ、窓の向こうの空を見あげました。
 彼女たちの目の前で、船のような形をした巨大な飛行物体が、ゆっくりと雲間から姿を現しました。
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登場人物紹介

◆ミシス


≫『聖巨兵カセドラ』本編シリーズの主人公。推定年齢は15歳前後。大陸北西部の白砂地帯に一人倒れていたところを王国軍に保護された、記憶喪失の少女。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫旧コランダム公国の郊外の丘に、母親と二人暮らす少女。思いがけない縁の運びにより、生涯の親友となるミシスと巡り逢う。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫エーレンガート女学院の生徒代表と寮長を兼任する俊才にして、一流の剣士。ハスキル院長を敬慕している。ノエリィとは幼馴染みどうし。

◆ハスキル・エーレンガート


≫エーレンガート女学院の創立者にして学院長。ノエリィの実母。大戦前から数々の悲運を経験してきた苦労人だが、常に笑顔と優しい言葉を絶やさない名教師。

◆グリュー・ケアリ


≫ホルンフェルス王国軍所属の科学者。名門ケアリ家の長子。現在はマノン・ディーダラス博士の助手を務めている。無類の料理好き。

◆マノン・ディーダラス


≫若き天才発明家として名を馳せる科学者。ホルンフェルス王国軍所属。出身地はコランダム公国。輝かしい赤髪は持って生まれたもの。

◆レスコーリア


≫無二の相棒として長年マノンと寝食を共にしてきた、アトマ族の少女。アトマ族としてはめずらしい高度な知的能力を持つ。性格は至って自由奔放だが、実はとても義理堅い。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫コランダムの軍人。巨兵大戦前には、同国の騎士団長を務めていた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫コランダム軍に所属する武人。公国の名門キャラウェイ家の長女。常時冷静沈着だが、その身の内に秘める覇気は並々ならぬものがある。

◆レンカ・キャラウェイ


≫キャラウェイ家の次女。姉のライカと共にコランダム軍に所属している。いささか気性が荒く我儘で、興味がないことには一切関与しようとしない。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍の将軍。全騎士団及び国王親衛隊を含む総軍の長。〈戦王〉と讃えられる国王トーメをして、「魂の兄弟」と言わしめた傑物。

◆〈アルマンド〉


≫ホルンフェルス王国軍の主力量産型カセドラ。史上初めて完全な建造に成功したカセドラとして知られているが、今なお世界最優秀の量産機と評される。

◆〈ラルゲット〉


≫かつてコランダム公国が主力として運用していた量産型カセドラ。〈巨兵大戦〉終結後は、一切の製造が禁止された。

◆〈□□□□□〉


≫???

◆〈□□□□〉


≫???

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