第68話

文字数 1,269文字

 お元気ですか?

 私はいま、ヨーロッパ最北の町、ノルウェーのホニングスボーグに来ています。
 いまこの地では、長く厳しい冬のフィナーレを飾るように毎夜オーロラが音もなく舞っています。

 北風に煽られ優雅にたなびく雄大なカーテン、オーロラ。その気高く厳しい美しさを目の当たりにして、やはり私は旅に出てよかったと思うのです。

 何の目的のないまま、ただすべてのしがらみから、そして自分自身からをも逃れたいと思い立ち、旅立つ決心のつかぬまま半ばふらふらと東京を後にしてしまいましたが、くる日もくる日もこの荘厳なまでに気高いオーロラの光を眺めながら、私は意外なことに気付いたのでした。

 それは、自分自身がいやでいやでたまらずに過去から、自分から、逃げ出してきたというのに故郷を遠く離れれば離れるほどに私は逆に故郷に近づいてゆくのではないのかということなのです。

 気高いあのオーロラの向こうに、私はほかでもない故郷を見ていたのです。東京に残してきた私の家族。父、母、君そしてユリア。私は私の家族を自分ではそうと気付かぬまま、オーロラを透かして見つめつづけていたのでした。

 人生は旅です。そして、その長い旅路の果てに人がたどり着くのはどこなのかが、東京を遠く離れたこの見知らぬ土地にきてはじめてわかりかけてきたように思うのです。

 私のこれまでの人生は、すべてを否定することの連続でした。そして自分の存在さえも否定し去ろうとしていた私ですが、それは誤りでした。

 私の旅の目的地は故郷、ほかでもない故郷だったのです。私は、自分を求めて、家族を求めて、そして故郷を求めて旅していたのでした。

                        北緯71度 ホニングスボーグにて





 

 きれいな絵葉書、ありがとうございました。

 それにしても長いが時間(とき)が流れてしまいました。ユリアも、もうすぐ三歳の誕生日を迎えようとしています。その時間の経過と共に私の心も移りかわりました。

 あなたは、ご自分の旅の目的地がほかでもない故郷であると、私たち家族であると気づかれたようですが、それはちょっと違うのではないでしょうか。

 私の気持ちは既にきまっています。どうしたらいいのかと思い迷っていましたが、あなたのくれたあの美しいオーロラの舞う一葉の絵葉書が、決心を促してくれたのでした。

 あなたの戻ってくる場所などというものは、もうどこにも存在しないのです。あなたは故郷を離れることによってのみ、私たちを、私たちの存在を認識できるのです。たとえあなたがこちらへ戻ってきたところで、そこには故郷も、私たちも存在しないのです。
 
 そして、また同じことの繰り返しとなることでしょう。あなたは、そうやっていつまでも、オーロラの輝きを透かして私たちを想っていればいいのです。

 あなたが遠く故郷を離れている限り、私たちはあなたの心のなかに美しい幻影として、いつまでも息づいていることでしょう。

 お身体を大切に
              目黒にて


  追伸
  ユリアは、ひきとらさせていただきます。

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