第64話
文字数 1,686文字
森を抜けると、そこにはエメラルドグリーンの湖がある、その湖のほとりで運が良ければポーラに会えるだろう。
ただしポーラは気まぐれだから、たとえ第一印象が良くても、その日の気分で無視されることもある。
でもくじけないように。出逢えただけでも奇跡なんだから。ガン無視されたら歌を唄ってあげて。
ポーラは歌が大好きだし音痴でもないんだけれど自分の声が変だと思ってるんだよ。
確かに彼女の声はハスキーで個性的ではあるんだけど決してポーラが思ってるような可笑しな声なんかじゃなく、誰にでもあるようなただの思い込みに過ぎないんだけどね。
でも、本人としては高く澄んだ声がよかったのにと思ってるんだよ。
じゃ、これで。陽気なナナホシたちは一気にそうまくし立てると、忙しそうに紺碧の青空に飛び立っていった。
私は、俄然ポーラに興味を覚え、絶対に会わなければならないと思った。もしかしたらそのポーラが、マキの消息を知っているかもしれない。
私はマキが一線を退いてからずっと彼女を探し続けていた。
マキをはじめて見たのはドラマの撮影現場だった。モデル出身らしい彼女は控えめな性格そうで、第一印象はとても好ましいものだった。
仕事柄、綺麗な女優さんやアイドルを多く見てきたが、美人によくありがちな冷淡さや高慢なところが彼女にはなかった。
マキという希有な存在を知ることになったそのドラマは、生田スタジオでの収録だった。私は小道具の一員として働いていて、つまり、そのドラマが終わるまではマキと一緒にいられるはずだった。
だが職場での人間関係が我慢ならなくなって、そのドラマのクランクアップを私は待てなかった。いわゆるパワハラだった。
それからフリーになって2Hのドラマや映画の現場を転々としたが、時が経つにつれてマキの面影は薄れていく、などということはまったくなかった。むしろ、彼女のイメージはエントロピーも真っ青になるくらい鮮烈に蘇ってくるばかり。
初めて出会った時には自分が恋に落ちたとは気づかなかった。たしかに綺麗な子だなという印象はあったが、実はマキを見たその刹那に私は恋に雁字搦めにされてしまっていたらしい。
マキともう会えないと思うと、居ても立っても居られない。マキと会えない時間が続けば続くほど傍若無人な恋の底なし沼に私は嵌っていくばかりなのだった。
この流砂のような底なし地獄のことを一般的には恋と呼ぶのかもしれないのだけれど、そんな未だに夢見がちな厨二病中年男子の恋は、世間からすれば醜く鼻摘まみものかもしれない。
しかし、当の本人にとっては身を斬るような切実なものだった。だが、諦めずに探しさえしていれば必ず会えるのだと思っている今こそが、チクチクと心臓にマチ針を刺されているような、甘く切ない今こそが、いちばん幸福な時間なのかもしれなかった。
片想いこそが、恋の醍醐味なのかもしれないからだ。
まあ、ともあれ私はポーラに一縷の望みをかけて、ポーラのいるその森とやらに出かけてみることにした。
しかし、それは雲を掴むような話であり、その森とやらはどこにあるのか、どうやって行くのかすらまったくわからないのだ。
軽く途方に暮れながら、私はとぼとぼと小径を歩いた。やがて、なんかの枝にぶら下がっている蓑虫が、たまたま目に入ったので、ものは試しと訊いてみた。
すると、彼だか彼女が言うにはタンポポの綿毛に乗っていかないとその森には行けない、とのことだった。
ただ、そこは島の中にある森だということだけはわかっていた。ま、ナナホシのやつらがウソをついてなきゃの話だけれど。
しかし、たとえ確かな情報だとしても、いったいどうやってタンポポの綿毛に乗ればいいのだろうか。皆目見当もつかないのだった。
そんなバカでかいタンポポを見たことはないし、あるいは、不思議の国のアリスみたく小さくなるクスリが必要になってくるわけだから、いずれにせよ無理難題な話だった。
要は常識的にまともに考えていては解答は導き出せないということだろう。人生もまた然り。数学のように答えはひとつではない。知らんけど。
ただしポーラは気まぐれだから、たとえ第一印象が良くても、その日の気分で無視されることもある。
でもくじけないように。出逢えただけでも奇跡なんだから。ガン無視されたら歌を唄ってあげて。
ポーラは歌が大好きだし音痴でもないんだけれど自分の声が変だと思ってるんだよ。
確かに彼女の声はハスキーで個性的ではあるんだけど決してポーラが思ってるような可笑しな声なんかじゃなく、誰にでもあるようなただの思い込みに過ぎないんだけどね。
でも、本人としては高く澄んだ声がよかったのにと思ってるんだよ。
じゃ、これで。陽気なナナホシたちは一気にそうまくし立てると、忙しそうに紺碧の青空に飛び立っていった。
私は、俄然ポーラに興味を覚え、絶対に会わなければならないと思った。もしかしたらそのポーラが、マキの消息を知っているかもしれない。
私はマキが一線を退いてからずっと彼女を探し続けていた。
マキをはじめて見たのはドラマの撮影現場だった。モデル出身らしい彼女は控えめな性格そうで、第一印象はとても好ましいものだった。
仕事柄、綺麗な女優さんやアイドルを多く見てきたが、美人によくありがちな冷淡さや高慢なところが彼女にはなかった。
マキという希有な存在を知ることになったそのドラマは、生田スタジオでの収録だった。私は小道具の一員として働いていて、つまり、そのドラマが終わるまではマキと一緒にいられるはずだった。
だが職場での人間関係が我慢ならなくなって、そのドラマのクランクアップを私は待てなかった。いわゆるパワハラだった。
それからフリーになって2Hのドラマや映画の現場を転々としたが、時が経つにつれてマキの面影は薄れていく、などということはまったくなかった。むしろ、彼女のイメージはエントロピーも真っ青になるくらい鮮烈に蘇ってくるばかり。
初めて出会った時には自分が恋に落ちたとは気づかなかった。たしかに綺麗な子だなという印象はあったが、実はマキを見たその刹那に私は恋に雁字搦めにされてしまっていたらしい。
マキともう会えないと思うと、居ても立っても居られない。マキと会えない時間が続けば続くほど傍若無人な恋の底なし沼に私は嵌っていくばかりなのだった。
この流砂のような底なし地獄のことを一般的には恋と呼ぶのかもしれないのだけれど、そんな未だに夢見がちな厨二病中年男子の恋は、世間からすれば醜く鼻摘まみものかもしれない。
しかし、当の本人にとっては身を斬るような切実なものだった。だが、諦めずに探しさえしていれば必ず会えるのだと思っている今こそが、チクチクと心臓にマチ針を刺されているような、甘く切ない今こそが、いちばん幸福な時間なのかもしれなかった。
片想いこそが、恋の醍醐味なのかもしれないからだ。
まあ、ともあれ私はポーラに一縷の望みをかけて、ポーラのいるその森とやらに出かけてみることにした。
しかし、それは雲を掴むような話であり、その森とやらはどこにあるのか、どうやって行くのかすらまったくわからないのだ。
軽く途方に暮れながら、私はとぼとぼと小径を歩いた。やがて、なんかの枝にぶら下がっている蓑虫が、たまたま目に入ったので、ものは試しと訊いてみた。
すると、彼だか彼女が言うにはタンポポの綿毛に乗っていかないとその森には行けない、とのことだった。
ただ、そこは島の中にある森だということだけはわかっていた。ま、ナナホシのやつらがウソをついてなきゃの話だけれど。
しかし、たとえ確かな情報だとしても、いったいどうやってタンポポの綿毛に乗ればいいのだろうか。皆目見当もつかないのだった。
そんなバカでかいタンポポを見たことはないし、あるいは、不思議の国のアリスみたく小さくなるクスリが必要になってくるわけだから、いずれにせよ無理難題な話だった。
要は常識的にまともに考えていては解答は導き出せないということだろう。人生もまた然り。数学のように答えはひとつではない。知らんけど。