第20話 極彩色の国々2

文字数 2,789文字

 チナは、治安が悪い時期もあったそうだけど、近年は落ち着いてるよ。

 清朝の皇帝は今なお海禁政策を取ってるけど、港は少し解放してくれたんだ。カントン(広州)、マカウ(澳門)、シアメン(廈門)、ニンボ(寧波)の四つだけね。
 オランダはもちろんすべての港に商館を構えてるけど、スウェールスさんが行くのは一番規模の大きいカントンだ。

でも残念ながら、チナでは夷館区域が設けられてて、外国人はそこから出られない。僕もカントンの市街地はもちろん、清国の国内を見て回るなんてことはなかったよ。
 
 むしろ同じ区域に押し込められてるヨーロッパ人とは、しょっちゅう行き合った。何しろデンマークもスペインもスウェーデンもイギリスもここに商館を持ってるんだからな。

 もちろん、そいつらとこんな所で喧嘩はしないよ? 互いに紳士として会釈を交わすのみ。問題でも起こして、チナの役人に嫌われたら大変だからね。

 チナの商館には、最高級の磁器の壺や黒檀のキャビネットが並んで、壁には想像上の動物の絵が飾られてる。そんな中で、背中に三つ編みを長く垂らしたチナ人と面会するんだ。

 チナでは商人ギルドがすごく発達しててさ、政府に認められた特権商人だけが商品を持ってやって来るんだ。こっちにはほとんど選択肢もないし、異様に高い税金を払わなきゃなんないし、はっきり言って価格もあまり交渉の余地はない。

 でもそれを補って余りあるほど、生糸も磁器も最高品質の物が手に入るんだよね。さすがは大チナ帝国、やっぱり行く価値のある国だった。
 
 ついでにナガサキって知ってる? この海域では一番北東に位置する拠点だ。
 ヤパンっていう、チナを小さくしたような王国でね、同じように海禁政策を取ってる。チナで言うところのカントンが、ヤパンのナガサキってところだ。
 
 ここでも後頭部にだけ髪を残した珍妙な奴らがうろうろしてる。彼らが身にまとう衣類、前に見たことがあるような気がするんだけど、どこだっけなあ?
 
 ヤパンはちょっと前まで、そこそこの規模で取引してくれてたらしいけど、今はあまりふるわない。
 しかも最近、皇帝ツナヨシとホフ(宮廷、幕府)の大臣たちはさらなる制限をかけてきた。オランダとの交易の総額はヤパンの通貨で五万両までにしろ、だってさ。

 何でそんなことをするのか僕には全然わからなかったけど、どうも海禁政策のせいらしいよ。異国の文化がどんどん入ってくるとヤパンの皇帝は困るんだって。
 何だそりゃ。

 オランダにしてみればヤパンは儲からない国になっちゃって、危険を冒してまで交易する意味がないし、むしろ商館の維持の方が大変だ。一時は撤退を検討したらしいけど、やっぱり極東に出城を持ってる意味は大きいから、話は流れたんだって。

 それでいて監獄のような生活はチナと同じで、すべてがホフの監視下に置かれてる。
 商館はデジマっていう埋め立ての小さな島にあるんだけど、駐在員はそこに閉じ込められるんだ。商館長と付き添いの商館員一名だけは皇帝のいるエドの町まで旅行するけど、僕なんかどうせ短い期間しかこの国にいないから、沖に停泊した船でずっと寝起きしてるよ。
 
 だけどこの国、治安の良さはピカ一だった。
 貴族はいつも武器を携帯して威張ってるけど、あれは身分証明みたいなものだそうで、刀を抜いてこっちに向かってくることはまずない。

 トクガワ王朝は安定政権だし、平和的にポルトガルを追い出せた経緯もあって日本人はオランダ人が大好きだ。僕らの三色旗を翻した帆船が水平線上に現れるだけで、ナガサキ市民が埠頭に集まって大歓迎してくれるんだよ。
 びっくりだ。こんな国もあるんだねえ。

 でも僕がもっと驚いたのは、ヨーロッパ諸国の中で交易を許されてるのがオランダだけってことだ。
 こんな国は他にない。ほとんど無敵状態だから、当然仕事はやりやすいよ。先人たち、ここまで皇帝に気に入られるなんて、よっぽどうまくやったんだな。

 それと、ここだけの話だよ。
 日本人って、資源の枯渇には無頓着らしいぜ? 昔は銀の採掘量がすごかったらしいけど、それが減った今は銅をふんだんに提供してくれる。
 オランダ人は、異国を占領して植民地にしたって、その維持が並大抵ではないことを知っている。この国の場合、日本人と仲良くして通商を続けた方がお得だってわけさ。

 そうやって一通りインドの海域を回り終えたとき、スウェールスさんに言われたよ。
「ウイレム、もうだいたい手順は分かっただろう。同じようにやってみなさい」
 いよいよだった。この僕に、独立して私貿易をする許可が出たんだ!

 そこで僕は、コロマンデルの市場の裏に回り、目についた綿布を買いつけた。市場の中よりも場外の方が、安くて質が良くてお買い得だなって、前から思っていたんだ。
 それをバタヴィアに持ち帰ると、今度はジャワの商人に見せてみた。

 驚いた! 商談らしい商談もしてないのに、相手は三倍の値段を付けてくれたんだ。

 そして今度はまたナガサキに行けっていうから、僕は出発の直前にジャワのアガルっていう香木を大量に仕入れてみた。前回ヤパンに行ったとき、富裕層の奴らが天然の香木の匂いを好んで鑑賞しているのを見聞きしていたからね。

 で、ナガサキに着くと、さっそく顔見知りになった日本人商人に見せた。そしたら、そいつはえらく驚いた顔をしてさ、
「伽羅じゃないですか! しかもこれは質が良い」
 ここでも三倍の値段がついたってわけだ。いやはや、驚くのはこっちだよ。

 ちなみに、日本人はインド亜大陸の綿織物も高く買ってくれる。コロマンデル地方のくっきりとした縞木綿のことを、日本人は「サントメ」とか「トーザン」って呼ぶ。ベンガル地方の赤っぽくて色鮮やかなのは「ベンガラ」だってさ。

 しかも決済は棹銅(さおどう)ときてやがる!
 僕、顔のニヤニヤを止めるのが必死だったよ。何しろ銅は、インド亜大陸では貴重品。前回よりも大量の綿布が買えるじゃないか。

 もちろん僕が単独で上げた利益も、一部はスウェールスさんに吸い上げられちゃうよ。だけどそれを加味しても、収入は桁違いに増えたんだ。

 ここで僕に一つの道筋がついたのかもしれない。

 バタヴィア、スーラト、コロマンデル。
 バタヴィア、ナガサキ、カントン。

 そうやってインドの海に三角形を描いてるうちに、僕の首の、油で汚れきった襟巻は、たちまち絹のレース襟に代わったってわけさ。
 あとは上向きの口ひげを生やして、刺繍の上着と、羽つきの大きな帽子を加えればもう完璧。
 どこからどう見ても、立派なオランダ紳士でしょ?

 やっと分かった。インドのお宝とは、こうやってコツコツ稼ぐ手段のことに違いない。

 とはいえこれは、ロドルフにやっと追いついただけの話だ。
 そしてスウェールスさんは僕らの仕事に厳しいから、片時も気は抜けなかった。

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