第17話 抜擢
文字数 1,691文字
海風にシャツをはためかせながら描いてると、気分も爽快だったよ。インドの風、インドの熱気、今ここにあるすべてを記録しておきたかった。
もちろん大抵の水夫は何やってんだって感じで、興味すら持ってくれなかったけどね。
そうしてしばらく経ったある時、僕は後ろからいきなり声を掛けられた。
「ほう。なかなかの腕前じゃないか」
振り向いたら、すぐそこにバルタザール・スウェールスさんがいたんだ。
もう焦ったの、何のって! だってそのとき僕が描いてたのは、なまめかしく裸体をくねらせた女神だったんだ。バリ島で見かけたやつだけど、こんなの見せられるわけないよ。
僕はすぐに立ち上がり、画帳を背中に隠したんだけど、参ったなあ。スウェールスさんは見せてくれって、手を伸ばしてくるんだ。
こうなったら、もうしょうがないよね。僕はしぶしぶ差し出した。するとスウェールスさんは近くの樽の上に腰掛け、馬鹿にしないでじっくりと見てくれたよ。
「いい絵だ。よく観察してるじゃないか」
この人はレヘント、都市貴族だ。もちろん上級商務員で、優秀な人らしいって水夫の間でも有名だった。この暑いのに、よく刺繍付きの上着なんて着てるよな。
人の上に立つ者特有の凄み、というものが伝わってくるようだった。優しそうな目をしてるけど、実はその奥に刃物を隠し持ってるはずだ。うっかりすると斬られるんじゃないかって、僕はもう緊張で頭がおかしくなりそうだったよ。
僕の手慰みを丹念に吟味してくれるスウェールスさんは、何度か思いついたように顔を上げた。
「この説明書きは、インド人に聞いたものなのか?」
「え……ええ、まあ、そうです」
僕は緊張でガチガチのまま、裏返った声で答えた。たぶんこの後、綴りが間違ってるとか文章がおかしいとか言われちゃうんだろうなと思った。だけどそれは違った。
「素晴らしい記録だ」
スウェールスさんは、ニッコリと親しみを込めた笑顔を僕に向けてくれた。
「実は今、新しい助手を探しているんだ。私の事務所に来てみないか?」
あっと思った。
心の準備ができてなかったけど、何を言われたのかはすぐにわかったよ。
上級商務員の多くは自らの勤務の傍ら、会社の部下を個人的に使って、私貿易で莫大な利益を上げる。私貿易っていうのは社員の個人貿易のことで、要するに各地で買った品物を私物として船に持ち込み、行った先でまた売るんだ。
会社側に言わせりゃ、航海の費用は会社持ちだ、それは密貿易だってことで、昔は禁止されてたらしいよ。だけどここはオランダから遠くて、どうせ取締役「十七人会」の目も届かない。結局誰もがやるから、今では会社側も規制をあきらめ、上限を設けた上で認めてるんだ。
スウェールスさんも制限枠いっぱいにやってる一人。僕たち下っ端はそういう人に取り立てられるのがあこがれなんだよ。
もちろん噂は聞いてたよ。スウェールスさんは結構怖い人で、助手に取り立てても、使い物にならないと判断したらその場で解雇するって。
だけど僕の場合、失敗して水夫に戻ったとしても別に失うものはないんだ。やるだけやってみてもいいじゃないか。
スウェールスさんは画帳を僕に返してきたけど、これがまた惚れ惚れするような優雅な所作だった。
「私も博物学に興味があってね。帰国したら本を出そうと、いろいろ書き溜めている。君に挿絵を描いてもらえたら助かるんだがね」
もちろん、お安い御用さ! 僕はもう、その場で飛び上がったよ。
考えるまでもないよ。明日をも知れぬ奴隷労働には、いつか決着をつけなくちゃならなかった。それにどうせお仕えするなら鞭を持った無頼漢じゃなくて、スウェールスさんのような立派な紳士がいいや。
そんなわけで、僕はスウェールスさんと一緒に船を降り、ほいほい浮かれてバタヴィア市内のお屋敷にまで付いて行ったんだよね。
だけど着いた途端、そこの異様な雰囲気に圧倒された。だってお屋敷の一室に机がずらっと並んでて、僕と同じぐらいの若者がいっぱい働いてるんだ。
何だこりゃ。もはや小さな会社じゃないか。
しかも、再会しちゃったんだよね。あのロドルフと。
もちろん大抵の水夫は何やってんだって感じで、興味すら持ってくれなかったけどね。
そうしてしばらく経ったある時、僕は後ろからいきなり声を掛けられた。
「ほう。なかなかの腕前じゃないか」
振り向いたら、すぐそこにバルタザール・スウェールスさんがいたんだ。
もう焦ったの、何のって! だってそのとき僕が描いてたのは、なまめかしく裸体をくねらせた女神だったんだ。バリ島で見かけたやつだけど、こんなの見せられるわけないよ。
僕はすぐに立ち上がり、画帳を背中に隠したんだけど、参ったなあ。スウェールスさんは見せてくれって、手を伸ばしてくるんだ。
こうなったら、もうしょうがないよね。僕はしぶしぶ差し出した。するとスウェールスさんは近くの樽の上に腰掛け、馬鹿にしないでじっくりと見てくれたよ。
「いい絵だ。よく観察してるじゃないか」
この人はレヘント、都市貴族だ。もちろん上級商務員で、優秀な人らしいって水夫の間でも有名だった。この暑いのに、よく刺繍付きの上着なんて着てるよな。
人の上に立つ者特有の凄み、というものが伝わってくるようだった。優しそうな目をしてるけど、実はその奥に刃物を隠し持ってるはずだ。うっかりすると斬られるんじゃないかって、僕はもう緊張で頭がおかしくなりそうだったよ。
僕の手慰みを丹念に吟味してくれるスウェールスさんは、何度か思いついたように顔を上げた。
「この説明書きは、インド人に聞いたものなのか?」
「え……ええ、まあ、そうです」
僕は緊張でガチガチのまま、裏返った声で答えた。たぶんこの後、綴りが間違ってるとか文章がおかしいとか言われちゃうんだろうなと思った。だけどそれは違った。
「素晴らしい記録だ」
スウェールスさんは、ニッコリと親しみを込めた笑顔を僕に向けてくれた。
「実は今、新しい助手を探しているんだ。私の事務所に来てみないか?」
あっと思った。
心の準備ができてなかったけど、何を言われたのかはすぐにわかったよ。
上級商務員の多くは自らの勤務の傍ら、会社の部下を個人的に使って、私貿易で莫大な利益を上げる。私貿易っていうのは社員の個人貿易のことで、要するに各地で買った品物を私物として船に持ち込み、行った先でまた売るんだ。
会社側に言わせりゃ、航海の費用は会社持ちだ、それは密貿易だってことで、昔は禁止されてたらしいよ。だけどここはオランダから遠くて、どうせ取締役「十七人会」の目も届かない。結局誰もがやるから、今では会社側も規制をあきらめ、上限を設けた上で認めてるんだ。
スウェールスさんも制限枠いっぱいにやってる一人。僕たち下っ端はそういう人に取り立てられるのがあこがれなんだよ。
もちろん噂は聞いてたよ。スウェールスさんは結構怖い人で、助手に取り立てても、使い物にならないと判断したらその場で解雇するって。
だけど僕の場合、失敗して水夫に戻ったとしても別に失うものはないんだ。やるだけやってみてもいいじゃないか。
スウェールスさんは画帳を僕に返してきたけど、これがまた惚れ惚れするような優雅な所作だった。
「私も博物学に興味があってね。帰国したら本を出そうと、いろいろ書き溜めている。君に挿絵を描いてもらえたら助かるんだがね」
もちろん、お安い御用さ! 僕はもう、その場で飛び上がったよ。
考えるまでもないよ。明日をも知れぬ奴隷労働には、いつか決着をつけなくちゃならなかった。それにどうせお仕えするなら鞭を持った無頼漢じゃなくて、スウェールスさんのような立派な紳士がいいや。
そんなわけで、僕はスウェールスさんと一緒に船を降り、ほいほい浮かれてバタヴィア市内のお屋敷にまで付いて行ったんだよね。
だけど着いた途端、そこの異様な雰囲気に圧倒された。だってお屋敷の一室に机がずらっと並んでて、僕と同じぐらいの若者がいっぱい働いてるんだ。
何だこりゃ。もはや小さな会社じゃないか。
しかも、再会しちゃったんだよね。あのロドルフと。