第33話 同棲

文字数 1,216文字

 僕が頼んでもいないのに、ケースケはミカワの自宅まで様子を見に行き、その足でまた出島に報告に来てくれた。
 あるいは、そうせずにはいられなかったのかもしれない。
「順調ですよ。一時は気分が悪かったようですが、いくらか落ち着いてきたようです」
 
 その後ケースケはミカワの所属する丸山の妓楼にも足を運び、すっかり話をつけてきてくれた。ミカワが安定期に入ったらまたここへ連れてきて、一緒に暮らせるようにしてくれるって。その間、どのみち彼女は勤めに出られないから、揚げ代は払わずとも良いって。
 
 その言葉通り、ミカワはしばらく後、また出島にやってきたよ。少しふっくらとした体つきになってたけど、顔色は良かった。
 彼女の妊娠を知らされた時はどうなることかと思った。あの時はちょっとだけ死の匂いさえ感じていた僕だが、そうした陰のようなものは今、一気に遠ざかったような気がした。これには心底ほっとしたよ。
 
 だけど困ったことに、僕が本格的にミカワと同棲を始めたら、スウェールスさんの態度がいくぶん冷たくなってきた。

 会議中、仕事の話をしてる時に、あれこれ例を出してさ、この日本がいかに礼節の国であるか、オランダ人もいかに襟を正さねばならないか、なんて話を始めるんだ。
「……それゆえ諸君、常に紳士としての振る舞いを忘れないように」

 そんな時、みんなチラッと僕の方を見るんだよな。
 僕は不満だった。
 何だよ。言いたいことがあるんなら、はっきり言えよって言いたかった。

 これは一種の気後れなのかもしれない。みんな現地の女とはかなり割り切って付き合ってるから、僕のやり方に自分が責められたような気がするんだろう。
 それに遊女との同棲は上級商務員の特権だった。僕みたいな男には分不相応だ。

 それでも、と思う。背中の傷に泣いてくれたミカワを見捨てるなんて、できるはずがないと。この件がきっかけでロドルフと立場が入れ替わったって、もう構わないじゃないか。

 そうだ、ロドルフ。あいつ今、どうしてるんだろう? ロドルフもこんな時、平気で女を見捨てるようなことはしないんじゃないだろうか。
 ロドルフに会いたいよ。あいつなら、きっと今の僕に味方してくれるんじゃないだろうか。
 
 ミカワの腹はだんだん目立つようになっていった。
 僕は何度もそこに口を当てて、中にいる赤ん坊に語りかけた。ミカワはそのたびにくすぐったがって、きゃっきゃっと機嫌良く笑ってたよ。

 もちろんどんなに明るく笑い合っていても、僕たちの側には暗い影があった。気づかないふりをしていても、そこから逃げることはできなかった。

 ミカワが窓辺に立って外を眺めているとき、その横顔は決まって憂いを帯びてる。彼女はこの幸せがずっとは続かないことを知ってるんだ。
 僕は黙って彼女に寄り添い、彼女を抱きしめる。
 深刻な話はしたくなかった。ずるいかもしれないけど、正直この時ほど言葉が通じないことに感謝したことはなかったよ。

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