第31話 十角形の皿

文字数 2,296文字

 出島の高札場(こうさつば)の近くに、掛小屋(かけごや)と呼ばれる賑やかな場所がある。
 木造の小屋がいくつか建っているほか、その前の広場には即席の店が出されるんだ。

 昼間の掛小屋には人がいっぱいいてね、ミカワと一緒に散歩するとき、僕たちはよくそこへ足を運んだものだった。
 もちろん後からケースケも付いてくるけどね。

お土産(アーンデンケン)お土産(アーンデンケン)
 日本の商人たちが、草で編まれた敷物の上で座ったまま声を掛けてくる。並べられているのは、竹で編まれた籠とか、木彫りの飾りといった素朴な物だ。オランダ人は私貿易か個人的な土産物のためにここで買い物をする。

 ある日、僕はちょっと魔が差して、人混みの中でケースケを巻いてやろうと思った。彼の視線がよそへ向いたその隙に、ミカワの手を引いて小屋の一つにすっと飛び込んだんだ。
 
 うわっと僕はそこで目を見開いた。建物の中はずらり、磁器で埋め尽くされてた。

「ここは、伊万里専用の、見世小屋ですよ」
 逃さぬとばかり、後から入ってきたケースケが言った。

 僕らは土間に立ってるんだけど、一段高くなった所に草敷きの部屋があって、伊万里が所せましと並べてあった。壁にも皿が掛けてある。安手のもあるにはあるけど、むしろ高級品をかき集めたって感じだ。
 中でも一番隅の小じんまりとした店が格段に美しくて、僕は引き込まれるようにそこへ足を向けた。

 気づいた店主が、両手をついて日本式の挨拶をしてくる。僕はミカワを連れたまま、店の前に片膝をついた。特に心惹かれたのは、手前にあった十角形の皿だ。

 赤い色を中心として描かれたその絵は非常に緻密で、かなりの洗練を感じさせた。大胆に右側に寄せて描かれてるのは、ここらの国々でよく見かけるバンブーだろう。二羽の鳥が舞っているが、この二羽はきっとつがいだ。この画家は夫婦愛を表現したんだろうな。

 僕だって絵筆を持つ身だから、作者の意図はだいたい分かる。右側の緻密な絵は、左側の余白を生かそうと計算され尽くしてる。ずいぶん極端で思い切った構図だけど、これは成功しているように思った。耳を澄ませばこの白い肌から音楽が鳴り響いてきそうだ。

 この独自の美しさ。僕は心の高ぶりを覚えていた。
 僕にとってその皿は、もう金儲けのための商品じゃなかった。

 船乗りの夢を笑うべきじゃない。
 だって現実に存在するじゃないか。人魚はミカワ。宝物はイマリ。そうだ、これを手に入れるために男たちは過酷な海を越えるんだ。

 底光りするような感動とともに、僕は腕にしがみつくミカワにささやいた。
「この皿は君にそっくりだ、ミカワ」

 そう、この皿の肌は彼女と同じようになめらかだった。純白と言っていいこの白も、冷たい白じゃなくて、どこか体温を感じさせる。だから生身の人間のように見えるんだろう。
 
 ケースケは、僕が前に伊万里は買わないって宣言したからなのか、遠慮して数歩離れた所に突っ立ってる。だけど今日は僕の方から振り向いて話しかけた。

「この皿、余白の部分がいいな。構図がすごく利いてるよ」
「……ああ、カキエモンですね」
 ケースケは腕組みをほどいて、つかつかと歩み寄ってきた。
「銘はないんですが、これ、色合いが独特でしょう? 日本人には作者が一目瞭然で……」

 流暢に話してたのに、ケースケは皿を受け取って裏返した途端に目を見開いた。
「ん? 何だこれは。テイ……?」

 思った物とは違ったのか、しばらくの間ケースケは小首を傾けてそれを見つめ、やがて思いついたように店主にいくつか質問をした。
 店主はもちろん、ちゃんと答えているが、僕にはまったく聞き取れなかった。

 それでも疑問は解消しなかったらしい。すっきりしない表情のまま、ケースケは僕の方を振り向いた。
「ええっとですね……オランダ向けの皿は、主にアリタという産地で作らせておりますが、このように大きく余白を生かした絵は、ごく最近になって流行りだしたそうです。ただ、この皿について、どういう職人が焼いたものかは分からないそうです」

 作者不明ということだけど、僕にこだわりはない。買える値段なら、買ってもいいかなと思って再び皿を手にした。
 でもその直後だ。ケースケがとんでもないことを言い出した。
「店の主人が、この皿を十枚まとめて百ターレルでお譲りすると申しておりますが」

「何だって」
 僕はその値段に目をむいた。聞き違いかと思った。
「もう一度聞いてみてくれ。本当に百と言ったのか?」
 ケースケはすぐさまそうしてくれたが、やっぱり値段は同じだ。
 呆れた。伊万里って本当に高いんだな。作者不明という割には、ずいぶん強気じゃないか。

「……悪いな。もうちょっと出世してから買わせてもらうよ」
 僕は苦笑して、店主に皿を返した。もちろん交渉次第で多少は値下げしてもらえるかもしれないけど、どちらにしろ今の僕には無理だ。
 
 空気が変わったのは、その時だった。
 人垣の向こうから現れたのは商館長だ。スウェールスさんは僕に気付くと、片手を上げてニッコリと挨拶してくれたよ。

 イシバシっていう名の、海亀みたいな顔をした日本人が傍らに貼り付いてる。あいつは通詞の中でも身分の高い奴だ。
 ということは、と僕は思いを巡らせた。
 商館長自らがちょっと大きめの買い物に来たんだ。辛辣なことを言ってたけど、スウェールスさんもやっぱり伊万里に興味があるんだな。

 見ていたら、案の定というべきか。スウェールスさんは僕とまったく同じように、あの十角皿に目をつけた。

 その買い付けの一部始終を、僕たち三人はずっと横で眺めた。スウェールスさんは十角皿を含めた大量の伊万里を、迷うことなく自前で確保してたよ。
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