第22話 VOC字文の皿2

文字数 2,715文字

「東洋磁器にもいろいろあってね」
 スウェールスさんは語りながら、VOCの銘が入った皿の縁に指を添わせた。
「これは社内用だからさほど高級品ではないが、ヨーロッパに運ぶなら、もう少し品質にこだわって選ぶべきだろう」
 
 逆にもっと安価な物もあるぞ、とスウェールスさんは僕たちを交互に見る。
「原住民が(ドラーク)の絵柄の深鉢を使っているのを、二人とも見たことがあるだろう? インドでさばくなら、徹底的に価格にこだわれ。粗悪品でも安い方が売れる」

 粗悪品っていうけどさ。
 僕はちょっと失敬して、皿の表裏を見返してみた。それなりの技術で焼かれてる。ヨーロッパで出回ってる陶器とはぜんぜん硬さが違ってたよ。
 チナ人ってすごいなあ、と改めて思う。

  ロドルフに先を越されまいと、僕はそこで身を乗り出した。
「イマリというのは、チナの地名ですか?」

 ところが、スウェールスさんはさらりと答える。
「いや。ヤパンの言葉だ。ヤパンの磁器をイマリと呼ぶのだ。ナガサキで買えるぞ」
 逆に自分の不勉強を露呈してしまった形だ。一度は希望でふくらんだ僕の体が、音を立ててしぼんでいく。

 ロドルフが代わりに身を乗り出す。
「チナが王朝交代で混乱して、磁器を入手できなくなったとき、VOCはイマリを代替品としたと聞いております」
 僕の隙を見逃さず、確実な突きを繰り出してくる剣士のようだった。

「よく勉強しているね」
 スウェールスさんは満足げに目を細め、ロドルフに向かってうなずいた。
「もちろん当社は一定の在庫を抱えていて、しばらくはそれでしのいだものだ。だがそれが尽きたとき、やむなく東洋磁器の仕入先をチナからヤパンへと移した」

「イマリの誕生には、ツァハリアス・ヴァグナー氏の存在が大きいそうですね」
 ロドルフが付け加えたその声は、心なしかいつもより大きかった。まるでその名を知らないなんてもぐりだぜ、とでも言うように。
「いわばVOCがイマリを育て上げたと言っても良いでしょう。」

 上司を気分よくさせる言い方まで、ロドルフはしっかりと心得てる。スウェールスさんはまたも満足気にうなずいた。
「そう。ヴァグナー氏はザクセン人でありながら、VOCに大きく貢献した。覚えておくが良い。オランダの繁栄はオランダ人のみで作り上げたわけではないのだ」

 二人の会話が盛り上がるのを、僕は黙って聞いていた。 
 すごくつまらなかった。ちょっとものを知ってるからって、ロドルフの奴、偉そうに。

 二人を競争させてはいるものの、スウェールスさんは気遣いもできる人だ。黙り込んでしまった僕に助け船を出すかのように、そっと補足説明をしてくれた。
「ヴァグナー氏は大変な教養人で、画家としての素養も持っていたそうだ。日本人が粗悪な磁器を作っているのに目をつけ、助言を与えたらしい」
 
 小さくうなずきながら、僕はひたすら肩を縮めてた。上司に気を遣わせるなんて、僕はどこまで駄目な奴なんだ。
 ロドルフはスウェールスさんの注意を自分に引き戻そうと思ったんだろう。三人の会話に戻すふりをして、強引に割って入ってきた。
「ヴァグナー氏がそのとき見本として示したのはチナが多かったが、デルフトの陶器もあったそうだよ。あの柔らかい白の美しさに、日本人は驚嘆したそうだ。デルフトは君の故郷だよな、ウィレム?」
 
 何だよ、余計なことは言わなくていいのに。
 僕はむっとした。恩着せがましいロドルフの言いざま。僕を追い詰める目的で言っているんだろう。こっちは貧乏でつらいばかりだった子供時代のことなんか、思い出させないで欲しいのに。

 だけど彼を睨みつけようとしたその時、僕は気づいてしまった。
 不思議な光が差し込んできたような感覚だった。もしかしたら、懐かしいという感情を僕は初めて体験したのかもしれない。レンガ造りの建物の前を行き交う絵描きたち。静謐で、でも心を揺さぶる光を生み出す人々。
 デルフト。そうだ、僕の故郷はその町だ。

 この時、僕は一種の悟りに達した。もう現実を認めざるを得ないんじゃないかって。
 ロドルフは僕に意地悪なんかしていない。僕の方が勝手に拗ねて、卑屈になっているだけだ。
 
 自然にそうなってしまうほど、ロドルフの方が上だった。彼が有能で勉強熱心なのは言うまでもないが、それだけでなく各国の商人たちの人望を集めてて、何かと評判が良いのを僕も知っている。努めて無視しようとしてはきたけど。

 しみじみと思う。スウェールスさん、次の日本行きにはロドルフを連れていくだろう。地団駄を踏むほど悔しいが、あいつの方が出世するだろう。

 ロドルフは僕に意地悪なんかしていない。僕の方が勝手に拗ねて、卑屈になっているだけだ。

 この日の勉強が終わった後、それで良いじゃないかと僕は自分に言い聞かせた。前からこの能力差については分かっていたことだ。乗り越えようなどと思った僕が愚かだった。
 彼なら書記としてバッチリ活躍するだろう。僕は一生助手のままで十分。二人が活躍できるよう、陰ながら応援すればいいんだ。

 だけどこの後、意外な成り行きになった。
 スウェールスさんはむしろ、僕の方を可愛がるようになってきたんだ。

「悪いがウィレム、ちょっと肩を揉んでくれないか」
 僕一人を呼び出して、スウェールスさんはそんな用事を言いつける。
 僕は言われた通りにしながら、パイプを横に置いて眉間を揉むスウェールスさんを見つめてる。どうして僕なんですか、と心の中で何度も何度も問いかける。

 ロドルフに欠点なんか、ない。時おり角を隠し切れない時もあるけど、これは誰だって似たようなもんだ。奴は優等生過ぎるぐらいだよ。
 もしかしたら、とも思う。
 それが致命的な欠陥なのかもしれない。ロドルフの常に張り詰めてる雰囲気は、スウェールスさんまで疲れさせてしまうんだ。部下っていうのは、僕のようにちょっと間抜けで頼りないぐらいがちょうどいいんじゃないか?

 そして次の夏、一つの結論が出たんだ。
 スウェールスさんが、第58代の日本の商館長に就任された。

 で、その一年間、書記として付き従うよう命じられたのは、この僕だった。
 ロドルフはバタヴィアでお留守番。
 辞令を聞いたとき、僕はぎゅっと拳を握り、心の中で快哉を叫んだよ。

 ざまあ見ろ、ロドルフ、てめえは引っ込んでな!

 本当はその場でぴょんぴょん飛び回ってやりたいぐらいだった。
 ロドルフの意気消沈ぶりは傍目にも哀れだったけど、あいつもちょっとは敗北感ってやつを味わったらいいんだ。僕はもうそれを百回、二百回と噛み締めてきたんだからな。

 とにかく明日から僕は、商館長付きの書記官だ。さあ先陣切って日本へと行こうじゃないか。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み