第7話 喧嘩

文字数 1,731文字

 その騒ぎは、僕がちょっと便所に行っている間に起こった。

 通路にいた時から何か声が聞こえるとは思ったけど、中甲板に戻ってきたらもうひどい。水夫同士、兵士同士の大乱闘になってたんだ。見たところ、マールテン号の乗組員とアルベルティナ号の方とで、やり合ってる。

 ある意味、口笛を吹きたくなるほどの壮観だった。
 わあわあと罵り合いながら、誰が誰を殴っているのかもわからないような状況だ。

 やっぱり場所取りで揉めないはずはないよな、と僕は淡々と思った。
 狭い通路に、アルベルティナ号の連中の吊床を全部張れるわけがないんだ。奴らは中甲板に強引に割り込んで来ようとしたんだろう。

 何人かは止めようと頑張ってたけど、喧嘩の渦中にいる奴は誰も聞いちゃいない。僕も一応は止める側に加勢してやろうと思った。
「やめろ。喧嘩は駄目だぞ」
 とりあえず目の前にいた、知らない奴の肩をつかんでみた。だけど、もちろん効き目なんか、ありゃしない。
「うるせえ!」
 そいつに弾き飛ばされ、尻もちをついて終わり。

「死ね死ね!」
「やっちまえ!」
 大喜びではやし立てる連中の方が圧倒的に多かった。
 ま、そりゃそうだろう、と僕は思った。我慢に我慢の日々だから、たまには発散したくなって当然だ。
 
 騒ぎを聞きつけたんだろう。掌帆長とその助手、数人が怖い顔をして梯子を下りてきた。
 その途端、中甲板は嘘のように静まり返った。みんな、さーっと身を引いて「喧嘩なんか知りません」って顔してうつむいてる。

「なぜ、こんな騒ぎになった?」
 掌帆長が重々しい口調で聞いたけど、誰も答えない。

 だけど助手の一人が誰かから耳打ちをされて、すぐに原因は特定されたよ。
「ここの吊床の連中が、隣の連中にもっと向こうへ寄せろと言ったのが発端だそうです」
 と、そいつは掌帆長に報告する。

 彼が指さしたのは、何とうちの班の吊床だった。
 僕は嫌な予感がした。同じ班の仲間を僕は目で探したけど、みんな群衆にまぎれて見えやしない。

「ここの班の、班長は誰だ!」
 悪魔の掌帆長が目を剥いて叫ぶ。
 できれば黙っていたかった。だけどこういう時だけ都合よく、みんなの視線が僕に集中するんだよな。もう勘弁して欲しいよ。

 仕方ないから、僕は名乗り出た。
「……はい。班長は、僕です」

 どうしてこの僕が責任を問われるんだって言いたいところだけど、カードで負けて班長になったのが運の尽き。事情を聞かれたら、僕の知る範囲をそのまま話すしかないや。

 だけどその途端、助手の一人が僕の腕を後ろへねじりあげ、動けないようにしたんだ。
 イテテテ。やめてくれ。これじゃ話もできないじゃないか。

「会社の規定で、船上での喧嘩は厳禁だ。それを破った者がどんな刑に処せられるか、知っているだろう。さあ言ってみろ!」
 掌帆長はぐいっと僕の顎を持ち上げた。

 自分の顔が屈辱に歪むのが分かったよ。
 水夫たちの喧嘩は暴動にも発展しかねないから、会社としては捨て置けない。その辺の事情は分かるよ。でも、何でこうなるんだ? これじゃ、まるで僕が首謀者じゃないか。

 声も出せないような状況ではあるんだけど、僕は必死に弁明を試みた。
「……ぼ、僕は、喧嘩の経緯を見ておりません。事情はまったく分かりません」
「ふん。まともな話もできんのか。ろくでなしのネズミめが」
 掌帆長は顔をしかめ、手の空いた助手に革の鞭を渡した。
「五十回だ」

 ぎょっとした。鞭打ちなんて、そりゃないだろう。
「ちょっと待って下さい!」
 僕は叫び、助手の手から逃れようと必死に体を動かした。
「なぜ僕が罰を受けるんですか。相手が違うでしょう!」
 
 掌帆長は面倒臭そうに僕の方をちらっと見たけど、宣告した刑を変える気はもうないようだった。結局何も言わずにその場を去り、梯子を上っていく。背後の助手は、僕を余計に強く締め上げる。
 全員を鞭打つことはできないから、見せしめに誰かをやればいいってことか。いや、それは困る。あんまりだ。
 
 それにしても同じ班の奴ら、うつむいたままで誰も僕をかばおうとはしてくれなかった。ここで声を発したら、自分に降り掛かってくると思うからだろう。
 まったく裏切られたような気分だ。僕はまだ、起きたことが信じられないよ。

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