第40話 続きの絵

文字数 1,917文字

 すると面白いことが起こりました。
 まるでその店主に喧嘩を売るかのように、彼女はその場で巾着袋をひっくり返し、荒々しく中身をぶちまけたんです。

 ざっと音を立て、銀貨の山ができ上がりました。店主がぎょっと目を見開いたのはもちろんですが、小屋の中にいた人々はみな唖然とし、遠くにいた者までが膝立ちになって見つめています。

 店主はしばらくその場の空気に呑まれて黙っていましたが、どうにか我に返ると、やはり彼女に何か言って首を横に振りました。相手が女だから気に入らないんでしょうか。いくら金を積まれても、お前とは取引をしないという姿勢を貫く気のようでした。

 これじゃ、痛々しくて見ていられません。私はオランダ語で割って入りました。
「こんな男、相手にしなくていいじゃありませんか」
 そう言って彼女の肩に手を置きました。
「なぜそこまでして伊万里を買いたいのか知りませんが、少なくともこんな店で買うのはおやめなさい」

 不思議でした。これはせっかくウィレムが遺した金であり、それも彼女を忌まわしい商売から解き放つための金だと聞いています。
 そもそも私はそのために来ました。磁器なんか買っている場合じゃないでしょうと言いたいぐらいです。

 すると僕たちの後ろで、ナムラ氏がためらいつつ口を開いたのです。
「……あなたに伊万里を運んで欲しいんですよ」
 それは意外な申し出でした。
「ブルクハウゼン殿の弔いとして、彼女はこの皿をあなたに託したいんです。この皿を船に載せ、海の果てまで運んで欲しいと、そう言っています。売上金はすべて手数料としてあなたに差し上げますから」

「何ですって」
 私は叫びながら振り向きました。到底信じがたい話です。
「そんな理屈に合わない話がありますか。これは彼女の人生のために使うお金でしょう? 私が何のためにわざわざ届けに来たと思ってるんですか」

 思わず怒鳴ってしまいましたが、同時に私は何か腑に落ちたような気がしました。まさにそれは、からまった糸がすっとほぐれていくような感覚でした。
 本当は彼女自身が、風のように遠い所へ旅立ちたかったんでしょう。それが叶わないのであれば、せめてこの皿を自分の身代わりとして船に乗せたいと思ったんでしょう。
 
 日本人は誰も答えてくれません。私はため息まじりにその皿の前に屈みました。
 改めてその一枚を手に取ってみました。左側に大きく取られた余白が印象的で、思わず目が吸い寄せられます。右側には精緻な絵も描かれていますが、そちらは余白の引き立て役なのかもしれません。とにかく余白の存在感が圧倒的です。

 画家でもあったウィレムは、ここに惹かれたんじゃないでしょうか。この白い肌の中にあふれているのは、共に生きられなかった二人の嘆きかもしれません。

 いや、と私はすぐに首を振りました。それも違います。
 もっと強い、船乗りの意思を感じます。むしろ大波に呑まれてもしたたかに生きる、希望の光がここにあるのです。 

 わかったよ、と私は心の中で友人に語りかけます。

 僕が続きの絵を描こう。船乗りウィレムの残りの人生を、僕が生きよう。伊万里をヨーロッパの地につれて行くのは、この僕だ。

「……わかりました。私が取引しましょう」
 ぽかんと口を開けてこちらを見ている店主に、私は向き直ります。
「私が直接買い上げると言ったら、この皿を売ってくれますか」
 もちろん、彼女に買わせるんじゃありません。私が個人的に買い上げるのです。
 背後のナムラ氏に目配せして、すぐに通訳してもらいました。店主は手のひらをひっくり返したように笑顔を見せました。

「ええ、そりゃ、もちろんですとも、オランダの旦那!」
 店主は愛想を振りまいてきます。
「いやあ、このお皿を選ばれるとはお目が高い! ここはお勉強させて頂きますよ。大負けに負けて、百ターレルってとこでいかがです?」

 私はニヤリと笑います。こういう時は親密な空気を作りつつ、相手をじっと見据えて逃げ道をふさぐのです。
「ありがたいですね。しかし百はまだ高いです。六十に負けてくれませんか」

 店主はたちまち気難しい顔に戻りましたが、これは交渉の始めに過ぎません。落とし所は真ん中の八十ぐらいになるでしょうか。いや、もう少しこちらの要求に近づけてやりますよ。

 心の中で唱えます。
 見てろ、ウィレム。
 君と僕とは同じ船乗りだが、実力は僕が上だ!

 一枚の伊万里の皿をもって、海上に一本の線が引かれます。それは世界各地の港をめぐり、いつしか地球を覆うほどの大きな絵になるでしょう。
 出会うはずのない、人と人とをつなぐ絵が完成します。絵筆を手にした船乗りたちが、今日も数えきれないほど、海を渡っているのです。

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