第6話 金、金、金!
文字数 2,143文字
修理のために船団はフランス、カレーの港に向かうことになった。
霧の彼方にうっすら陸地が見えて来た時は、みんなが目をギラギラさせてたよ。ヤンはもう我慢できないって感じで、拳を握り、小声で叫び出した。
「よっしゃー、フランス女が待ってるぞ!」
その場で小さく足踏みまでして、今にも駆け出しそうだった。
みんなは苦笑して「しょうもねえ奴だな」ぐらいな顔をしてるけど、本音は同じはずだ。僕だって実はその手のことで頭がいっぱいだったよ。
ヤンの言う通りだ。港町っていうのは、船乗りが遊ぶ所が必ずあるんだって。
寄港中は水夫にも休日が与えられるから、ちゃんと上陸用のきれいな服を用意してあるんだよね。僕も出航前にいらない荷物を処分したけど、洒落た服はしっかり私物として船に持ち込んだ。先輩たちからどの店がいいのかって、よく話を聞いておかなくちゃ。
もちろん興奮してる奴がいる一方で、冷ややかにしてる奴も多かった。
「ろくに小遣いもねえくせに、お前らどうやって遊ぶ気だ?」
「世の中、金、金、金だろ。金がなきゃ、すり寄ってくる女なんていないよ」
だけどそう言ってる奴に限って、いかにも女に縁がなさそうなんだよな。悔し紛れに言ってるだけだと思う。自慢じゃないけど、この班では僕が一番モテるんじゃないかなあ?
だけどいざカレーに着いたら、そんな楽しみは一切許されなかったんだ。
港に入った途端、船大工だけじゃとても手が足りないってことで、全員が修理のために招集された。あれこれ手伝わされてさ、上陸して遊ぶ暇なんてあるわけないよ。千切れた綱を結んで長く戻したり、破れた帆の継ぎ接ぎをしたり、やることはいくらでもあった。
あ〜あ、何で僕、針なんか持ってチクチク縫ってんだろう。
だけど作業をしながらでも、大工たちが駆けずり回ってる様子は見えるし、傷んだ木材や何かが嫌でも目に入る。自分たちが乗ってるのはこんな頼りない船なのかって愕然としちゃったよ。
それに嵐を一度でも経験したら、今後の苦労も少しは見えてくる。次第に、そして確実に、僕たちは深刻な空気に包まれ始めていた。
大工たちが塞いだ割れ目を雑巾がけして回りながら、僕たちは頭を寄せ、こっそりささやき合う。
「船がここまで傷んでたら、航海そのものが中止になるんじゃないか?」
だってそうだろ? ヨーロッパにいるうちにこんなに苦労してるのに、こんなボロ船でアフリカ大陸を回るなんて正気の沙汰じゃないよ。
だがそんな甘い見通しは、すぐに否定された。
また掌帆長が出てきて言うんだよ。
「アルベルティナ号は航海を続けられる状態にないため、ロッテルダム港に引き返して修理を行う。残りの三隻は予定通り、間もなく再出発だ。よって、アルベルティナ号の積荷と乗組員の一部を当船で引き受ける」
げげっ。何だよそりゃ。
それは恐ろしい宣言だった。僕たち、今度こそ本気で青ざめたよ。
ただでさえ下っ端の乗組員に専用の部屋はないんだ。水夫も兵士もみんな中甲板に詰め込まれて、吊床 の場所取りは戦争なんだよ。今だって体がぶつかり合うほど狭いのに、これ以上増えたら船内はどうなっちゃうんだ!
「ある程度、ネズミが死ぬのを想定してやがるな」
誰かがつぶやいた。ネズミとは言うまでもない、僕たち海の奴隷のことだ。
弱い奴から死んで、数が減ったらゆっくり寝られるようになるってわけだ。何という皮肉、何という残忍な考え方だろう。
いや、お偉いさんはその辺をはっきり意識なんてしてないのかもしれない。自分に関係ないから無視してる。たぶん何となく暗いものを感じてはいるんだろうけど、結局面倒だから見ようともしないんだ。
船は会社の大切な財産だから、どんなに壊れても丁寧に補修されるのにさ、乗組員はどうでもいいんだよね。惨めさに押しつぶされそうで、僕はやけくそになってつぶやいた。
「……人命よりも船の命が大事ってわけか。ちきしょう」
こっちは臓腑が千切れる思いで言ってるのに、冷ややかな声が隣から返ってくる。
「まだ甘いな、お前」
ちらっと眼をやると、先輩の一人が前を見、手を後ろに組んだ姿勢のままつぶやいてた。
「航海の大義名分は、もっと大事なんだぞ」
何しろ航海そのものに対して、会社は多額の融資を受けている、ということをその先輩は言い出した。
「引き返すと会社の損害になる。それは船長の責任になる。だから強引に航海を続ける判断をするもんなんだよ」
重要な積荷だけでも他の船に乗せ替える。つまりこれは投資家への言い訳だ。
僕は気が遠くなって、空の彼方を見渡した。
呆れて言葉もないとはこのこと。ほんと、オランダ人は金、金、金って感じだよな。
いざ、アルベルティナ号の連中が大騒ぎしながら乗ってくると、掌帆長の助手が中甲板にやってきて、あれこれと指示を出した。
そいつらに与えられた寝場所は、何と船内の通路だった。
内心これにはほっとしたよ。もちろん通路を占拠されたら船内の移動がいちいち大変にはなるんだけど、あいつらがこっちに入り込んでくるよりはよっぽどいい。狭くて気の毒だけど、ま、他に場所がないんだからしょうがないよね。
とにかくこれから、環境はもっともっと悪くなる。僕も覚悟しなくちゃいけない。
霧の彼方にうっすら陸地が見えて来た時は、みんなが目をギラギラさせてたよ。ヤンはもう我慢できないって感じで、拳を握り、小声で叫び出した。
「よっしゃー、フランス女が待ってるぞ!」
その場で小さく足踏みまでして、今にも駆け出しそうだった。
みんなは苦笑して「しょうもねえ奴だな」ぐらいな顔をしてるけど、本音は同じはずだ。僕だって実はその手のことで頭がいっぱいだったよ。
ヤンの言う通りだ。港町っていうのは、船乗りが遊ぶ所が必ずあるんだって。
寄港中は水夫にも休日が与えられるから、ちゃんと上陸用のきれいな服を用意してあるんだよね。僕も出航前にいらない荷物を処分したけど、洒落た服はしっかり私物として船に持ち込んだ。先輩たちからどの店がいいのかって、よく話を聞いておかなくちゃ。
もちろん興奮してる奴がいる一方で、冷ややかにしてる奴も多かった。
「ろくに小遣いもねえくせに、お前らどうやって遊ぶ気だ?」
「世の中、金、金、金だろ。金がなきゃ、すり寄ってくる女なんていないよ」
だけどそう言ってる奴に限って、いかにも女に縁がなさそうなんだよな。悔し紛れに言ってるだけだと思う。自慢じゃないけど、この班では僕が一番モテるんじゃないかなあ?
だけどいざカレーに着いたら、そんな楽しみは一切許されなかったんだ。
港に入った途端、船大工だけじゃとても手が足りないってことで、全員が修理のために招集された。あれこれ手伝わされてさ、上陸して遊ぶ暇なんてあるわけないよ。千切れた綱を結んで長く戻したり、破れた帆の継ぎ接ぎをしたり、やることはいくらでもあった。
あ〜あ、何で僕、針なんか持ってチクチク縫ってんだろう。
だけど作業をしながらでも、大工たちが駆けずり回ってる様子は見えるし、傷んだ木材や何かが嫌でも目に入る。自分たちが乗ってるのはこんな頼りない船なのかって愕然としちゃったよ。
それに嵐を一度でも経験したら、今後の苦労も少しは見えてくる。次第に、そして確実に、僕たちは深刻な空気に包まれ始めていた。
大工たちが塞いだ割れ目を雑巾がけして回りながら、僕たちは頭を寄せ、こっそりささやき合う。
「船がここまで傷んでたら、航海そのものが中止になるんじゃないか?」
だってそうだろ? ヨーロッパにいるうちにこんなに苦労してるのに、こんなボロ船でアフリカ大陸を回るなんて正気の沙汰じゃないよ。
だがそんな甘い見通しは、すぐに否定された。
また掌帆長が出てきて言うんだよ。
「アルベルティナ号は航海を続けられる状態にないため、ロッテルダム港に引き返して修理を行う。残りの三隻は予定通り、間もなく再出発だ。よって、アルベルティナ号の積荷と乗組員の一部を当船で引き受ける」
げげっ。何だよそりゃ。
それは恐ろしい宣言だった。僕たち、今度こそ本気で青ざめたよ。
ただでさえ下っ端の乗組員に専用の部屋はないんだ。水夫も兵士もみんな中甲板に詰め込まれて、
「ある程度、ネズミが死ぬのを想定してやがるな」
誰かがつぶやいた。ネズミとは言うまでもない、僕たち海の奴隷のことだ。
弱い奴から死んで、数が減ったらゆっくり寝られるようになるってわけだ。何という皮肉、何という残忍な考え方だろう。
いや、お偉いさんはその辺をはっきり意識なんてしてないのかもしれない。自分に関係ないから無視してる。たぶん何となく暗いものを感じてはいるんだろうけど、結局面倒だから見ようともしないんだ。
船は会社の大切な財産だから、どんなに壊れても丁寧に補修されるのにさ、乗組員はどうでもいいんだよね。惨めさに押しつぶされそうで、僕はやけくそになってつぶやいた。
「……人命よりも船の命が大事ってわけか。ちきしょう」
こっちは臓腑が千切れる思いで言ってるのに、冷ややかな声が隣から返ってくる。
「まだ甘いな、お前」
ちらっと眼をやると、先輩の一人が前を見、手を後ろに組んだ姿勢のままつぶやいてた。
「航海の大義名分は、もっと大事なんだぞ」
何しろ航海そのものに対して、会社は多額の融資を受けている、ということをその先輩は言い出した。
「引き返すと会社の損害になる。それは船長の責任になる。だから強引に航海を続ける判断をするもんなんだよ」
重要な積荷だけでも他の船に乗せ替える。つまりこれは投資家への言い訳だ。
僕は気が遠くなって、空の彼方を見渡した。
呆れて言葉もないとはこのこと。ほんと、オランダ人は金、金、金って感じだよな。
いざ、アルベルティナ号の連中が大騒ぎしながら乗ってくると、掌帆長の助手が中甲板にやってきて、あれこれと指示を出した。
そいつらに与えられた寝場所は、何と船内の通路だった。
内心これにはほっとしたよ。もちろん通路を占拠されたら船内の移動がいちいち大変にはなるんだけど、あいつらがこっちに入り込んでくるよりはよっぽどいい。狭くて気の毒だけど、ま、他に場所がないんだからしょうがないよね。
とにかくこれから、環境はもっともっと悪くなる。僕も覚悟しなくちゃいけない。