第72悔 今日から僕は

文字数 1,914文字

 一方、右回りで通路を走るスピナッチの背後に、ものすごい勢いで迫る影があった。

 「何奴(なにやつ)?」と、その足音を聞き振り返ったスピナッチの眼前に、近衛騎士団副長の姿があった。

 「私が誰だか忘れたか? 道化師! “黒鉄の狼”だぞ!」
 イヴァノフは獲物を狙うかのような姿勢の低い走りで道化師の足元に滑り込み、転倒させることに成功した。
 これには議場の円卓にいるファニチャードも思わず立ち上がって応援した。
 「そのまま絞め殺すといいですの!」
 観客からも歓声とも悲鳴とも区別のつかない声があがる。

 それらの騒がしい声を聞いた左回り組、近衛騎士らが副長の存在に気づいた。
 「あれ? 副長? 後ろにいると思ったら、あっちに行ったのか!」と近衛騎士サントーメ。
 「さすがは副長! イサベラ様に腰を治してもらったそばから、『スピナチア』で自分に重傷を負わせた道化師に復讐だ!」とヒューゴが歓喜する。
 
 それを聞いた先行するカスティリョが(なげ)いた。
 「のんきな奴らだ! さっきまでその道化師に後ろから犯させていたのは、副長だぞ。気づかなかったのか?」

 これにはクリムも驚いた。
 「えっ?! アレはそういうことだったのか?! 何を手間取っているんだろうとは思って見ていたが……ちくしょう!」

 「貴様も存外、のんびり屋だな! そんな奴には副長は任せられん! やはり俺が頂く!」とカスティリョが走りを加速させた。

 この辺りの感情に、インペリアル・ガードになる者と近衛騎士団本隊に残る者の違いがあった。
 
 近衛騎士のヒューゴとサントーメらは、副長の女股(モノ)は“みんなのモノ”だと思いたがっていた。分け隔てなく『お女股(めこ)』をさせてくれるイヴァノフを『女股(ヴァギナ)象徴(アイドル)』として愛していた。

 一方、集団性交も(いと)わない近衛騎士団本隊に嫌気がさし、皇族の直接の警護係であるインペリアル・ガードになる者も多かった。
 クリムとカスティリョをはじめとする彼らの多くもイヴァノフを愛していたが、それは『女股の象徴(めこドル)』と言うより、一人の女性として心の底から本気で愛していた。

 兎にも角にも、イヴァノフの体を通り過ぎて一人前になった騎士は、数知れなかった。

 そんなイヴァノフは、何かに取り憑かれたような飽くなき執念で、生涯にわたって肉棒を追い求めてきた。
 後世の歴史家は、その行動が心的外傷後ストレス障害的なものから来るのだろうと推測したが、実際のところは――イヴァノフが生きていた時代には存在しなかった――精神科医の診断があった訳じゃないのでわからない。
 
 ということで、スピナッチに足を絡ませて転倒させたイヴァノフは、すぐにでも先ほどの続きをしてもらいたかったが、ここは大観衆に囲まれた観客席の通路である。何とか自重(じちょう)し、うつ伏せに倒れている道化師の背中に跨り、裸締めをするフリをしながら小声でこう言い放った。
 「やるなら最後までやれ! 今後は、中折れと中抜けは許さんぞ!」

 「うひょひょ! じゃあ、じゃあ! 中出しは?」と、スピナッチが手足を子供のようにジタバタさせて質問した。

 すると、イヴァノフは裸締めを解き、スピナッチの後頭部を軽く叩き立ち上がった。
 「望むところだ。隙あらばいつでも私を犯せ。例え私が他の誰かと性交中でもな」

 そう告げるとイヴァノフは、次なる獲物である協議場六時の方向にいる変質者に向かって再び駆け始めた。
  
 その頼もしい限りの近衛騎士団副長の背中を眺めながら、通路に這いつくばる宮廷道化師は感嘆した。 
 「何たる豪穴(ごうケツ)! あれが本物の“淫靡(いんび)牝狼(めろう)”かぁ! こいつぁ~オイラもご期待に応えて、現役時代のような夜のラフファイトを展開しないとなぁ……」

 しかし、そう(うそぶ)いてみて気づいたことが一つあった。

 さっきは冗談半分でイヴァノフを後ろから犯してしまったが、()れてみて初めてわかる自分の気持ちと言うものも確かにあるのかも知れないな……。

 スピナッチは、イヴァノフに恋をしてしまった事に今、気づいた。

 道化師の(ほお)の涙型の化粧は、恋に落ちた興奮による発汗のせいですっかり落ちていた。
 取り囲む大観衆の喧騒(けんそう)が遠のいていく気がした。
 意識の中の静寂が、スピナッチの思考をクリアーにして行く。
 
 宮廷道化師は、今日で廃業だ。元々、力のみが正義の世界に生きていた自分だ。他人に毒づいたり笑わせる機知にも富んで無いし、それが大皇や皇子相手なら尚のことだ。
 だけど……恋を知ってしまった自分にこそ出来る事がある。

 そして、スピナッチは立ち上がり挨拶を声にした。

 「はじめまして、新しい自分。今日から僕は、宮廷詩人だ」

 
 
 第72悔 『今日から僕は』 おわり。:*+゜゜+*:.。.*:+☆

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登場人物紹介

フェルディナンド・ボボン


この物語の主人公。

これといった定職には就いていないが、近所では昔から情熱的な男として知られている。

その実体は……。


ノニー・ボニー


皇立ルーム図書館で働く司書で、フェルディナンドの幼なじみ。 

他薦により『ミス・七つの海を知る女』コンテストに出場し優勝。
見聞を広めるための海外留学の旅に出る。

その実体は……。


クリストフ・コンバス

フェルディナンドの竹馬の友。
皇国を代表するファッション・リーダーとして活躍中。

その実体は……。


24歳、185cm。 

エンリケ後悔皇子


リゴッド皇国の第二皇子。

人類の行く末を案じて、後悔することを奨励する。

16歳。13センチ。

トスカネリ・ドゥカートゥス


エンリケの家庭教師であり、「盲目の賢人」、「後悔卿」の異名を持つ後悔研究所所長。

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