2-6.忍び寄る200億円

文字数 4,861文字

 オフィスで珈琲を飲みながらパソコンを叩いていると、修一郎がやってきた。

「誠さん、ちょっと、会って欲しい人が居るんだけど、いいかな? すごい良い話」

『修一郎に人脈なんてあったかな?』
 と、怪訝に思いつつ答えた。
「ん? いいよ」
「急だけど、今晩銀座のバーでどう?」
 修一郎ははニコニコと嬉しそうに言う。

「あー、いいけどどんな人?」
「それは会ってのお楽しみ!」

 うさん臭さ全開である。
 まぁ修一郎の話なんて、どうせロクなもんじゃない。適当に酒飲んで帰ってこよう。
 
 小さな会社でも、やらなきゃいけない事は山積みだ。
 税務に会計にオフィス周りに、太陽興産との契約周りやレポート周り、できるだけ専門家に依頼してはいるが、それでも把握して判断して、指示は出さないとならない。
 社長は究極の雑用である。
 
 仕事終わり、疲れた足でげんなりしながら、新橋駅から歩く。夜の銀座は華やかだ。

 俺はふと立ち止まり、ゆっくりと夜の街の空気を吸った。
 楽しそうに歩く同伴のカップル、足早に急ぐ着飾ったクラブの女性、ゆっくりと止まる黒塗りの高級車……。きっと今晩も多くのドラマがこの街では展開されるのだろう。
 さて……、俺の身にはどんなドラマが降りかかるのだろうか? 俺は少しの間、目を瞑ってこの独特の繁華街の文化の香りを嗅いでいた。


        ◇


 バーに着くと、すでに修一郎と、女の子と、スーツ姿の中年の男が待っていた。
 
「誠さーん!」
 修一郎が大声出して手を振ってる……。恥ずかしいからそういうの止めて欲しい。
 
 男は立ち上がると、会釈をし、名刺を差し出してきた。

 名刺には
 『CPコンサルティング 代表 山崎 豊』
 と、ある。

 挨拶して座ると、女の子が豊島冴子(としまさえこ)と名乗り、飲み物を聞いてくる。修一郎の友達のようだ。

「あ、じゃぁビールで」
「マスター! ビールお願いしまーす!」
 冴子が澄んだかわいらしい声をあげる。
 
 さて、こんな銀座のバーで、何のお話しでしょうか。
 
 山崎が背筋をビッと伸ばし、話し始めた。
「お忙しい所、いきなりすみません、修一郎さんの方から御社の事業の話を聞きまして、当社もお手伝いできるのではないかと思い、お時間を取っていただきました」

 怪しいコンサルに、一体何が手伝えるのか。

「営業ですか? うちは今の所なにも困ってないですよ」
 俺は無表情のまま、ぶっきらぼうにそうぶつけてみる。

「いやいや、手厳しいですね。いいでしょう、単刀直入に申します。神崎さんのお持ちの株式を、200億で買い取らせていただきたい」
 山崎はにこやかにそう言い放った。

「は?」

 俺は何を言われたのか、良く分からなかった。

「200億……ですか? 日本円で? ジンバブエドルとかでなく?」
 怪訝そうに答える俺に、山崎はにこやかにハキハキと言う。

(わたくし)、冗談は一切申しません。ご了解いただければ、今すぐにでも日本円で200億円をお振込みいたします!」

 これは一体どういう事だろうか……?

 俺は先月600万円出資して、株式会社Deep Childの株を60%持っている。それを200億円で買いたい、と言ってきているのだ。
 600万円がどうして、1か月で200億円になるのか?
 この男が何をやりたいのか、皆目見当がつかない。
 
「お待たせしました、ビールです」

 バーテンダーが持ってきたビールを、俺はゴクゴク飲んだ。
 しかし、味が良く分からない……。

「ちょっと整理させてください。私が持ってるDeep Childの株を『200億円で買いたい』とおっしゃってるんですか?」
 俺は困惑したままそう聞いた。

「その通りです」
 山崎はにっこりと笑って言う。

「先月600万で得た株を『200億で買いたい』って、随分バリュエーション上がり過ぎじゃないですか?」
 すると山崎は、身振り手振りを交えながら熱く語り始めた。
「神崎さん、私はあなたの偉業を、高く評価しているのです。太陽興産との100億の増資契約、世界トップのAIエンジニアの獲得、とても普通の人にはできない偉業です。200億円は妥当な評価ですよ」

 うん、まぁ、何しろ神様の力だからね。
 外部から見たら俺の手柄に見えるだろう。

「で、俺の株を買ったら、お宅はどうするの?」
 俺は山崎を一瞥して言った。

「別に何もしません。神崎さんは今まで通り社長を続けてください。必要であれば我々の金主のグループが、技術面、資金面でバックアップします」
 そう言って、100%完璧な営業スマイルで俺を見る。

「誠さん、いい話だろ? 今まで通りでいいのに200億円もくれるんだぜ!」
 能天気に、修一郎が割り込んでくる。

「そうですよ、神崎さん。いいことだらけじゃないですか!」
 冴子がプッシュしてくる。

 俺はビールをグッと空け、ガンと机に叩きつけて言った。

「お断りします!」

「え~、誠さん、なんでだよ!?」
 修一郎が俺の腕を引っ張って言う。

「株ももたない社長なんて飾りだ。何らかのタイミングでクビだ。俺にはDeep Childの事業を、最後まで完遂する使命がある。クビになる可能性など、受け入れられない!」

 一分のぶれもなくそう言い切った。そもそも会社はただの隠れ蓑、人類の後継者を作るのが俺達の目的であって、事業活動は二の次だ。隠れ蓑の権利を明け渡してしまったら、目的を達せられなくなる。
 
「分かりました、こうしましょう。『神崎さんを社長から降ろさない』と一筆金主に書いてもらいましょう」
「いやいや、そんな誓約書に実効力なんて期待できない。それに、俺には200億円の使い道なんて無いからな」

「え~、誠さん頼むよ~」
 修一郎は俺の腕を振り動かして言う。

「お前、もしかして、自分の株を売るつもりなのか?」
 俺は修一郎を睨んで言った。

「だって、70億円出してくれる、って言うんだもん。70億あったら一生遊んで暮らせるじゃん」

 驚いた。ここに裏切り者がいたのだ。

「もしかして美奈ちゃんもか?」
 俺は焦って聞く。

「美奈ちゃんは『誠さん次第』って言ってた」

 なんと、株式会社Deep Childは設立早々、乗っ取りの危機だ。

『お前らほんと頼むよ……』
 俺は深くため息をついて頭を抱えた。

 俺は山崎に言った。
「うちの会社の根源的な価値は、俺とクリスに紐づいている。強引に買い取っても、俺とクリスが抜けたらもぬけの殻だぞ、わかってるのか?」
「私の仕事は御社の株を買う事です。買った後どうなるかは金主さんの問題です。我々は関係ない」
 そう言って爽やかに笑う。

「何にせよ俺は売らない、修一郎の株の売買も取締役会で否決する。お宅の乗っ取りは通らない」
 俺はそう言って席を立った。

 帰ろうとすると、山崎が笑顔で言い放った。
「神崎さん、私を軽く見ない方がいい。私は今まで全ての買収案件を成立させてきた。あなたも必ず私に『買ってください』と頭下げに来る。必ずだ!」

 俺は山崎を一瞥すると、ドアを開け店を後にした――――

 買収なんてされたら、スマホのCyanがハリボテだった事もバレてしまうし、最悪詐欺で捕まってしまう。何としても阻止しないとならない。

「修一郎め! 疫病神かよ!」
 怒りが止まらなかった。
 
 夜の銀座を歩きながら、急いで美奈ちゃんに電話、
「美奈ちゃん、夜遅くごめん、今いいかな?」
「あら、誠さん……ふわぁ……どうしたの?」
 美奈ちゃんは、あくびをしながら気の抜けた声を出す。

「株の買収の話、聞いた?」
「シュウちゃんの話ね、聞いたわよ。70億円だって、思わず笑っちゃったわ」
「美奈ちゃんは……売る気なの?」
 俺は恐る恐る聞いてみる。

「正直私、株とか良く分からないのよね。70億はそりゃ欲しいけど、何があるか分からなくて怖いわ」
「そうか、とりあえず売るのは止めて欲しい。売ったりしたら、クリスとの約束も守れなくなるし、クリス怒らせるのはお互いためにならない」
「そうよね~。クリス敵に回して生きていけないわ。シュウちゃんも、相当きついお灸据えられるはずだわ」

 美奈ちゃんは、なんとか押さえられそうだ。

「ありがとう。奴らが何か言って来たら『神崎に一任してます』って答えておいて。それ以上何も言わなくていいから」
「オッケー!」
 美奈ちゃんは陽気な声で快諾してくれた。

『美奈ちゃんはいい娘だな……』

 修一郎と美奈ちゃんの株を両方取られると、40%押さえられてしまう。そうすると特別決議が通らなくなるので、経営上極めて面倒くさい事になってしまう。何とかそれは回避できそうだが……。
 

             ◇


 次はクリスと相談。

 クリスと俺は、オフィスのマンションの別の階に部屋を借り、ルームシェアしている。
 神様とルームシェアなんて、実に光栄な事である。
 とは言え、クリスの部屋には家具もなければベッドもない。夜中はどこかへ行ってしまうし、生活の拠点と言うよりは、オフィスの休憩室的な位置づけみたいだ。

 コンビニでビールとつまみを仕入れて帰宅――――

 リビングのドアを開けると、クリスはテーブルで本を読んでいた。

「…。おかえり」
 クリスはチラッとこちらを見て言った。

「ただいま……。ちょっと相談いいかな?」
 クリスはこちらを見て何かを察し、本を置いた。

「…。どうぞ」

 俺はビールとつまみを出してクリスに勧めると、買収の事を一通り説明した。

 クリスは上を向いて目を瞑り、しばらく思索にふけっていた。

 俺は、ポテチをポリポリ齧りながらビールを飲む。

「…。天安グループだな」
「天安グループ?」
「…。中国の新興のIT企業グループだ。兆円単位でお金が余っている」
 クリスは手のひらを軽く上に向けて、(わずら)わしそうに軽く首を振った。

「それでAIの会社を買いたいって事かな? うちは営利目的じゃないんで、標的にされるのは困るな」
「…。買収も純粋な経済行為だから悪い事ではない。ただ、Deep Childを買われるのは困る」

 俺は腕を組んでしばらく解決策を考えてみた。外資の規制とかを使えないかとも思ったが、中国のメガベンチャー相手に決定打にはなりそうにない。

 クリスに聞いてみる。
「何か手はあるかな?」
「…。相手のアクション待ちだな。こちらから仕掛けるには、手掛かりが無い」
 確かに、まだ打診しかされていない状況では動きようがない。

「了解、とりあえず修一郎には、くぎを刺しておくね」

 修一郎はただの小僧だから別に怖くないが、山崎の自信満々な態度は気になる。できる限り、修一郎が余計な事をしない様に、言い含めておかねばならない。

「面倒な話はここまで。ネットで評判のワインを買ったんだ、一口飲まない?」
 俺はニヤッと笑って聞いた。

「…。いただこう」
 クリスは爽やかに笑った。

 買収工作はウザいが、自社に数百億円の値が付くのは実に嬉しい話である。俺は200億円の男になったのだ。雲の上だと思っていたプロ野球選手の契約金など、比較にならないレベルの高みに達したのだ。

 俺はつい浮かれ、ブルゴーニュのワインをカパカパ飲んだ。
 頭では実効性のない200億円だと分かっているが、それでもジーンと湧き上がってくる嬉しさに逆らわず、目を瞑ってピノノワールの芳醇な香りに酔っていた。

 『深層後継者計画』は多くの人を巻き込み、多くの思惑を生みながら、まだ見ぬ人類の未来へと手を伸ばしていく。
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登場人物紹介

神崎 誠

ITエンジニア


ひょんなことからクリスと出会い、AIを開発して人類の後継者づくりを始める。

恋人募集中。


クリス

救世主

奇跡を次々と起こし、人類の後継者づくりに協力する。

特技は美味しいワインを作る事、核ミサイルの弾頭を破壊する事。


金原 美奈

応京大学2年生

株式会社DeepChild取締役


田中 修一郎

太陽興産の2代目のボンボン

応京大学2年生

株式会社DeepChild CFO




シアン

人類の後継者として創り出されたAI

身体は赤ちゃんを利用


マーカス


世界一のAIエンジニア

神に呼ばれて人類の後継者づくりに参加する

マーティン


凄腕のインフラエンジニア

マーカスの友達

宮田 由香

応京大学4年生

株式会社DeepChild インターン

美奈ちゃんの先輩

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