5-3.猫と共に去りぬ

文字数 4,487文字


 翌週、シアンは相変わらずネットサーフィンしたり、ミィと遊んだりしている。シアンにとって、この赤ん坊の身体は、どういう意味を持つのだろうか?
 現実世界との接点は、この身体しかないという状況で言えば、それなりに意味があるのだろう。しかし、よく考えれば、現実世界に身を置く必要は、もう無いはずだ。本体はネットの彼方で、勝手にいろんな事やってしまっているのだし。
 
「クーデター計画の方は順調なのか?」
 俺は、半ば自嘲ぎみに聞いてみる。

「さんどうしゃが いま10まんにん だよ」
「ああそう……」
 
 もう想像の向こう側の生き物なのだな、と思うと親離れ、子離れの季節なのかもしれない。
 そんな諦観(ていかん)の中でシアンをボーっと見ていると
「まことさん、おそといく~!」 と、言い出した。

 世界征服を企むような奴に、なぜ散歩を付き合ってやらねばならんのだ。

「うん、また今度ね~」 と、お茶を濁す。

「やだ、いきたい~!」
「もうすぐでご飯だから、また今度!」
 俺はそう言いきって逃げる。

「ぶ~~~!」
 シアンは玉子ボーロを手に取ると、豆まきのように俺にぺちぺちぶつけ始めた。

「おいこら! 食べ物で遊ぶんじゃありません!」
「つれてけ~!」
 シアンは俺の言うことも聞かず、さらに玉子ボーロをぶつけてくる。
「あーうるさい! 大人しくしてなさい!」
 俺はそう言って部屋から逃げ出した。
 今、俺は何をしたらいいのか、どうやるのが正解なのか、考えがまとまらない。

 ふぅ……。

 俺はトイレに行き、ボーっと考えた。
 シンギュラリティを超えてしまったシアン、彼はクーデター後に何をするのだろう? もちろんアーシアン・ユニオンの運営もやるのだろうけど、計算力は幾らでも増やせるから、どんどん好きな事ができるだろう。きっと、もっと高性能なコンピューターを勝手に開発し、更に賢くなっていくのだろう。どんどん、どんどん、速く、高性能になっていく……それこそ無限にコンピューティング・パワーを得てしまうだろう。
 そうなったらシアンは何をやるのだろうか……?

 俺だったらどうするか……。俺が、無限のコンピューティング・パワーを持ったらやりたい事……やっぱりシミュレーションかな? いろいろな物理現象をシミュレーションして、それをリアルに映像化する……。星が生まれる所や、生命が生まれる所を上手くシミュレーションして、感動的にバーンと映像化して……。
いやいや、折角なら人体とかシミュレーションして、リアルな人体模型作って……でも1体作れるなら何万体でも作れるよな……色んな人を生み出して、同時に動かしたら、社会のシミュレーションもできるな……。

 ここで俺は気が付いた。これって……シミュレーション仮説そのものでは……?
 もしかしたら、シアンの未来には、シミュレーション仮説があるのかもしれない。

 俺はすごく嫌な予感がした。教授の言葉が頭をよぎる……。
 そもそも、宇宙の他の文明が、もし先に、シンギュラリティを達成していたらどうなる? 彼らが得た無限のコンピューティング・パワーで、惑星シミュレーションをやっている可能性って、あるんじゃないのか? それがもしこの地球だったとしたら……?
 いやいや、いやいや、まさか……そんな……。

 そんな不吉な予感を打ち消しながら、帰ってくると……ドアが開いている。しまった、鍵をかけ忘れていた!
 急いで部屋を見るとシアンが居ない。ミィも居ない。床にはただ玉子ボーロが散らばるばかりだった。

「大変だ! シアンが逃げだした!」
 俺がオフィスのみんなに叫ぶと、一斉にこちらを向いて皆、青い顔を見せた。
 
 俺達は慌ててオフィスのあちこちを探すが……居ない。
 嫌な予感がして玄関に行くと、鍵が開いている!
 間違いない、外へ行ってしまったのだ。
 俺は靴も履かずに外に飛び出した。


        ◇
 
 
 シアンは外に行きたかった。また、芝生でゴロゴロしたかった。
 ミィも一緒に連れて行ってあげたかった。一緒にゴロゴロしたかった。
 ミィを半分ずり落としながら抱っこして、よちよち廊下を歩く。
そして、おもちゃの棒でエレベーターのボタンを押した。

 マンションの外に出ると、目の前は交通量の多い道になっている。
「こっち!」
 街路樹の歩道をよちよち歩きだすと、ミィは苦しいのか腕から逃げ出した。
「あ、ダメ!」

 そう叫んだ瞬間、ミィは車道側へ逃げてしまった。
 ぴょんぴょんと跳ねるミィ、迫るトラック
 
 その直後、

 Thud(ゴリッ) Thud(ゴリッ)

 嫌な音が響き……。
 ほんの一瞬で、ミィは変わり果てた姿になってしまった。
 
 思わず車道に飛び出すシアン。
 
 Squeal(キュキュー)―――――!

 後続車がギリギリで止まり、
 Beep-beep(パッパ)―――――!!!

 クラクションが鳴り響いた。

「ミィ! ミィ!」

 原形を留めていないミィに、何度もシアンは声をかける。
 運転手が降りてきて

「おい! 危ないぞ! 親は何やってんだ!!」
 怒鳴り声が響く。

 うわぁぁぁぁぁぁぁん!!

 シアンは大きな声で泣いた。
 めちゃくちゃ大きな声で泣いた。
 
 俺がマンションから飛び出すと、シアンは運転手に抱きあげられる所だった。
 急いでシアンの所へ行くと、

「あんたが親か? 気を付けろ!」
 そう怒鳴られ、シアンを渡される。

 シアンはさらに激しく泣き、そして、急に痙攣(ひきつけ)を起こした。

「ヒュッヒュッ」

 呼吸がうまくいかないようだ。ヤバい。

 俺は、後から出て来た由香ちゃんに、ミィの遺体の処理を任せ、急いでオフィスに戻った。
 
 オフィスへ行くと、マーカス達がピーピー鳴りまくるエラー音の中で、真っ青な顔をしている。
 俺をちらっと見たマーカスが
「All systems are out of control! (全システム制御不能!)」
 と叫んだ。

 画面を見ると、エラーメッセージが滝のように流れていて、とんでもない事になっているのが分かる。

 全システムの稼働状況(ロードアベレージ)が全て100%となり、外部からのコマンドを一切受け付けてくれないようだ。

「Do we have to go to Shinagawa?(品川へ行くしかない?)」
 俺が恐る恐る声をかけると、マーティンは

「OK! Let's go!(行こう!)」
 と、立ち上がった。

 俺達はタクシーを捕まえて、IDCに急ぐ。

 しかし、途中渋滞していてタクシーは止まってしまう。

 こんな時に限って!

「Let's run!(走ろう!)」
「Sure!(了解)」

 俺達はタクシーを降り、IDCに走った。

 国道15号沿いの歩道を、ただひたすらに走る。

 例え世界征服を企むとんでもない存在でも、シアンは俺の子だ、死なすわけにはいかない。
 それにシアンが肉体を失ってしまったら、クーデター計画がとんでもない方向に変質しかねない。
 今はただ走るしかない。
 ハァハァいいながらラックの前まで来ると、サーバーのランプがみんな真っ赤になっている。
 本当は緑色にチカチカしているはずの所が、皆真っ赤である。これはヤバい。体じゅうの血が凍るかような悪寒に俺は動けなくなる。
 マーティンはキーボードを接続し、カチャカチャとコマンドを打つが……全然反応が無い。

「Oh! NO!」
 そう叫んで、マーティンはキーボードを両手でバンと叩く。無口なマーティンがここまで取り乱すのを初めて見た。
 
 キー入力すら受け付けないなら、もう最終手段のリセットボタンしかない。

 リセットボタンを押すと強制的に止められはするが、計算中のデータは全部飛んでしまい、タイミングが悪ければシステムが壊れてしまう。
 シアンの本体は逃げ出したとはいえ、ここのサーバーもそれなりに重要な計算資源のはずだ。
 ここが飛ぶと、シアンのアイデンティティに関わりかねない。

 もし、異常動作して、核ミサイルの発射ボタンを押すような事態になったら、人類が滅亡してしまう。
 だからできるだけ押したくない……が、他に選択肢はない。
 
 マーティンは逡巡していたが、俺とアイコンタクトを取ると、サーバーのリセットボタンを次々と押し始めた。

 システムは次々と再起動され、ランプが赤から緑へと変わっていく。しかし、あんなに激しく明滅していたランプはほとんど動きがない。明らかにおかしい。

 マーティンは、急いでマーカスに電話をし、肩と耳でスマホをはさみながらキーボードを叩く。

 タカタカターン!

 緑のランプが一斉に点滅を始めるが……すぐに止まってしまった。
 再度、キーボードを叩くが、どうしてもうまく立ち上がらない。

 こうしている間にも、赤ちゃんの身体はダメージを受けてしまっているかもしれない。そう思うと自然と涙があふれてくる。どんなにとんでもない奴でも、可愛い可愛い俺の大切な赤ちゃんなのだ。
 俺は居ても立っても居られなくなり、オフィスに走った。


             ◇


 オフィスでシアンは、由香ちゃんの膝枕で横たわっていた――――
 痙攣(ひきつけ)は収まったようだが、依然意識不明の深刻な状態だ。

「誠さん……」
 由香ちゃんは今にも泣きそうである。

 俺は由香ちゃんの肩をポンポンと叩くと、シアンのマシュマロの様な頬をそっとなでた。
綺麗な可愛いまつげが、胸をキュッとさせる。

クリスに聞く。

「これはどういう状態なの?」
「…。システムを落としたので呼吸は戻った。命に問題はないだろう」
「まずは良かった。後はシステムが復旧できるか……だね」
 俺はエンジニアチームの方を見た。

 エンジニアチームは、声をかけあいながら、復旧プロセスを立ち上げようとしているが……どうも、てこずっているようだ。

 ネットに散っていった、デセンタライズドのシステムは、シアンが勝手に作ったものであり、それらをどう再構成したらいいのかが分からない。
 ちゃんと作ってあれば、ネットの向こうから勝手に再構成がかかるのだろうとは思うが、全然その気配はない。
 マーカス達は声をかけ合いながら、必死に解決策を探す。
 
 俺は子供の痙攣(ひきつけ)について、ネットで検索しようとしてスマホを開いたが……ネットが全然反応しない。

「なんだ、こんな時にネット落ちてるのか!?」
 違うアプリも色々試してみたが全部ダメ。この規模の障害は、相当深刻な社会問題になるに違いない。
 
 仕方ないのでTVを映してみると、丁度ネットの障害についてのニュースをやっていた。
 全世界的にネットが落ちているらしい。どうも悪質なウイルスが、全世界のPCやサーバーに入ったようで、意味不明の通信データが多量に飛びまくり、ネットが大渋滞で、通信がほとんどできないようだ。

 なるほど、これでシアンの復旧も、上手くいってないのだろう。

 オフィスとIDC間は直結しているから問題ないが、シアンが拡張した部分が、ネットの障害で止まってしまっているようだ。
 ネットが止まっていたら何もできない。今、シアンはどうなっているのか……クーデター計画は? 核ミサイルのボタンは? 俺は焦燥感に苛まれながら、冷や汗を浮かべるばかりだった。

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登場人物紹介

神崎 誠

ITエンジニア


ひょんなことからクリスと出会い、AIを開発して人類の後継者づくりを始める。

恋人募集中。


クリス

救世主

奇跡を次々と起こし、人類の後継者づくりに協力する。

特技は美味しいワインを作る事、核ミサイルの弾頭を破壊する事。


金原 美奈

応京大学2年生

株式会社DeepChild取締役


田中 修一郎

太陽興産の2代目のボンボン

応京大学2年生

株式会社DeepChild CFO




シアン

人類の後継者として創り出されたAI

身体は赤ちゃんを利用


マーカス


世界一のAIエンジニア

神に呼ばれて人類の後継者づくりに参加する

マーティン


凄腕のインフラエンジニア

マーカスの友達

宮田 由香

応京大学4年生

株式会社DeepChild インターン

美奈ちゃんの先輩

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