4-7.心肺停止に女の勘

文字数 2,718文字

 その日の晩、シアンに付き添っていたクリスから電話があった。

 シアンの容体が急変し、心臓が止まりかけているらしい。青くなった俺は急いでシアンの部屋へと走る。
 保育器の中のシアンはぐったりとし、測定機器がピーピーと、けたたましく警告音をたてている。
 無脳症の症状が出てきてしまったようだ。
 俺はその光景に思わず足がすくみ、心の底からドバっと冷たいものが湧き上がるのを感じた。

「こっ、これはヤバいね。何が原因だろう?」

 俺は必死に動揺を抑えて言う。

「…。見たところ、内臓周りに異常は見られない。やはり脳周りの問題だろう」
「では、手術をして原因を特定する……しかない?」
 冷や汗を流す俺を見て、ゆっくりとうなずくクリス。
 緊急手術に突入である。

 急いで簡易無菌室を展開し、マニュピレーターを起動し、メスなどの機材一式を消毒して揃えた。
 誕生したその日に、手術台に乗せることになるとは……。
 俺は自然と湧き上がってくる涙を袖で拭きながら、シアンに小さな酸素マスクを着けた。

「シアン、ごめんな、頑張れよ」
 そう言って、俺は無菌室に用意した小さなベッドに、そーっとシアンを横たえた。
 
 まずは手術の方針についてブリーフィング、切開カ所の決定と調査部位の確認を行う。 俺はペンで、シアンの顔の裏の切開位置に、丁寧に線を描き、メスを入れやすくした。

 クリスは手術服を身にまとい、ゴム手袋の手を前に掲げながら、淡々と無言で無菌室に入っていく。
 
 連絡を受けたメンバーが、次々に部屋に集まってくる。
 由香ちゃんは入ってくるなり、部屋の物々しい様子に驚いて両手で口を覆い、涙目で固まっている。

 俺は優しくハグをした。
 小刻みに震える柔らかな由香ちゃんの身体、ふんわりと立ち上る甘く優しい匂い。
 俺は自分に言い聞かせるように、小さな声で、

「大丈夫、クリスがちゃんと解決してくれるから」
 そう伝えた。
 由香ちゃんはぎこちなく、小さくうなずいた。


        ◇

 
 無脳症とは言え、脳が全く無い訳ではない。だから羊水内では、内臓の管理などは出来ていた訳だが、誕生して負荷が大きくなったことで、耐えられなくなったのかもしれない。

 内臓の管理もAI側でやらなければならないとなると、事実上難しい。例えば血糖値が上がったら、膵臓からインスリンを分泌させるとか、そういう制御を無数にやらないとならない。それにはデータもノウハウも全く足りていないので不可能だ。何とか生命維持部分が復活してくれると良いのだが……。
 
 クリスは目を瞑って、何かを感じながら慎重にシアンに麻酔薬を注入していく。

 続いて、ペンでマークした位置にメスを入れた。表皮を切開し、クリップで固定する。
 そしてマニュピレーターに付属の顕微鏡カメラで、観察しながら奥に進み、状況を丁寧に見ていく。
 俺達も、外部に繋げたモニターを使って、クリスの手術をリアルタイムで見ていく。

 クリスは、器用にマニュピレーターを操って切開していく。神経線維を傷つけないように少しずつ、組織を繋いでる膜を丁寧に、マイクロ鋏でチョンチョンと切り開くのだ。

 膜を切ると神経線維に沿って少し奥に進み、また膜を切るを繰り返し、異常の原因を探っていく。

 美奈ちゃんは椅子に座って、神妙にクリスの技を見ている。
 こんな美奈ちゃんは見たことがない。

「どうしたの?」
 俺が聞くと

「昼間バカな事で騒いじゃったからね、ちょっと反省してるの」
 そう言いながら目を瞑り、うつむいた。

 俺は美奈ちゃんの背中をポンポンと叩き、
「今は手術の成功を祈ろう」
 そう言って励ました。

「そうね」
 美奈ちゃんはぎこちなく笑った。

 静けさのなか、クリスのマニュピレーターだけが淡々と働いていた。

「あっ!」
 美奈ちゃんが突然声を上げる。

「その右上の組織、何か変よ」
「え? どれ?」

 確かに何か白っぽいが……俺は医者じゃないから、何とも分からない。

 クリスがマニュピレーターで、その組織を指して答える。

「…。これかな? 確かに何かちょっと変ですね」

 クリスはマイクロ鋏で、その組織を軽く切ってみた。

 すると白い組織がドピュっと飛び出してきた。

「うわぁ!」「うぇ!」

 ギャラリーから声が上がる。

「…。あー、これが原因かもしれませんね」
 どうもこの白い組織は腫瘍で、これが膨らんで神経線維を圧迫していたらしい。

「おぉ、美奈ちゃんお手柄じゃないか!」
「うふふ、やる時にはやるのよ!」
 そう言って本当にうれしそうに微笑んだ。

「なんで医療の知識なんかあるの?」
「そんなのないわよ! 勘よ勘! 女の勘をバカにしちゃダメよ!」
 ドヤ顔でにやりと笑う美奈ちゃん。

「美奈ちゃんすごい……。私、全然分からなかった……」
 しょげる由香ちゃん。

「先輩は、もっと場数踏んで女の勘を鍛えなきゃだわ!」
「場数……」

 後輩に指導される由香ちゃん。でも、こんなのを見つけられる方が異常だ。美奈ちゃんは、一体どんな場数を踏んできたのだろうか? 女子大生に踏める場数など、たかが知れていると思うのだが……。謎が多い娘だと改めて思う。
 
 クリスは騒ぐ外野を無視して、淡々と白い組織を切除し、吸い取っていく。
 10分くらいで腫瘍は全部吸い取り終わった。

「…。手術は完了です」

 さて、効果はあったか……。
 皆、祈る思いで、バイタルの数値の変化を見守った――――

「あ、ちょっと上がった!」
 由香ちゃんが、数字が変わったのを見て声を上げる。

「いや、まだまだ分からない」

 案の定また数値は落ちてしまった。

「あぁぁぁ……シアンちゃん! 頑張って!」
 由香ちゃんの想いは、思わず声に出てしまう。合わせた手にすごい力が入っていて、ヤバい感じである。

 由香ちゃんが見つめるメーターの数字は、上がったり下がったりを繰り返していたが、やがて徐々に改善していくようになった。

「大丈夫? もう大丈夫なの?」
 由香ちゃんが今にも泣きそうな顔で俺に聞く

 俺がにっこりガッツポーズをすると、

「良かった――――!」
 と、由香ちゃんはぐったりと脱力し、その拍子に椅子からズリ落ちた。

 ガンッ! ガラガラ

 椅子が倒れて音を立てる。

「おいおい! 由香ちゃん大丈夫!?」
 
 見ると、由香ちゃんは床で仰向けになって、幸せそうな表情を浮かべている。

「良かったぁ……」
 涙がポロリとこぼれた。

 そこまでシアンの事を思っているとは……、もう心は完全にママなのだろう。
 3か月間ずっと、血液を与え続けて来た事は、由香ちゃんにとっては単なる献血ではなく、自分の一部を赤ちゃんと共有する尊い営みだったのだ。

「ありがとう」
 俺はそう言って、優しく由香ちゃんを引き起こした。
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登場人物紹介

神崎 誠

ITエンジニア


ひょんなことからクリスと出会い、AIを開発して人類の後継者づくりを始める。

恋人募集中。


クリス

救世主

奇跡を次々と起こし、人類の後継者づくりに協力する。

特技は美味しいワインを作る事、核ミサイルの弾頭を破壊する事。


金原 美奈

応京大学2年生

株式会社DeepChild取締役


田中 修一郎

太陽興産の2代目のボンボン

応京大学2年生

株式会社DeepChild CFO




シアン

人類の後継者として創り出されたAI

身体は赤ちゃんを利用


マーカス


世界一のAIエンジニア

神に呼ばれて人類の後継者づくりに参加する

マーティン


凄腕のインフラエンジニア

マーカスの友達

宮田 由香

応京大学4年生

株式会社DeepChild インターン

美奈ちゃんの先輩

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