第36話

文字数 704文字

若生医師は木になりたい、という芽衣里の希望に、「ああ、いいねえ」、と同調してくれた。個人的に芽衣里はそれが嬉しかった。

三つの質問もクリアとなり、芽衣里は希望死外来を受診することが可能になった。

面談をしていた部屋の隣の部屋へ吉田看護師とともに入った。そこはストレッチャー式のベッドと机がひとつだけ置かれた殺風景な部屋だった。

「先に本日の外来費用をお支払いお願いします」

部屋に入るなり吉田看護師は請求書を指し出してきた。それは決して安くない費用である。自由診療であるからだ。一年前に値段は提示されていたため、用意はしてある。芽衣里は札束を数えて吉田看護師に渡した。手渡された吉田看護師も勘定を確認し、一旦会計に行くから、と部屋を出て行った。

ここで死ぬんだ。あともう少しで。

残りわずかの余生であるにもかかわらず、芽衣里はその実感がわかない。明日も昨日までと同じように朝を迎え、職場に出勤して、帰宅して母の用意した夕食を食べている気がする。

そんなはずはないのに。

「お待たせしました」

10分もしないうちに吉田看護師は戻ってきた。診療報酬明細書を芽衣里に返し、ベッドに越しかけるよう指示してきた。

「ではこれから説明を始めます。まず、この説明が終わったら、私はこの部屋から離れます。そうしたら、この薬を飲んでください」

院内処方、と書かれた紙袋から、錠剤を取りだし、吉田看護師は芽衣里に見せた。同時に紙コップをベッド脇のテーブルに置いた。

「これは睡眠薬です。まずこれを飲んでもらいます。飲むと数分で眠くなりますので、ベッドに横になって寝てください。大野さんがすることは以上です。ここからは大野さんのその後についてのお話です」
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登場人物紹介

大野芽衣里、37歳。

特技、趣味、欲なしで生きてきたフリーター。

坂月なるみ、37歳。

芽衣里の中学時代の友人。

長年不妊治療をし、やっと出産を果たす。

坂月望菜実、0歳。

なるみの娘。

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