第31話

文字数 669文字

なるみの家からの帰り道、芽衣里は無性にあの寺で見た樹齢450年の楠の木が見たいと思った。理由はわからない。

結局、時刻が遅いのと、翌日の仕事を考え、寄りはしなかった。

人間の人生は短く儚い、と芽衣里は最近思う。

生まれて自我が芽生えたと思ったら、社会で振り分けをなされるための競争と選別の波に放り込まれる。やっと戦いが終わったかと思えば、種の保存を求められる。たった30年やそこらでそれらすべてを怒涛の如くこなすよう、強いられている。しかもレールから外れれば、努力不足や無気力のレッテルを貼られ、社会から疎外を受ける。

だが、芽衣里はそんなに短いスパンでしか物事を捉えたいとは思わない。自動車が道路を走るようになったのも、航空機が空を飛ぶようになったのも、列車が街中を走るようになったのも、全部まだこの100年やそこらで当たり前になった技術だ。次の100年はどんな進歩があるのか。

できれば長い目で、社会と人がどんな選択をしていくか、眺めてみたい。

それには人間という生物は適していないように思われる。


芽衣里は身辺整理を始めた。

生来、芽衣里は片付け及び整理整頓が苦手だ。故に衣服はおろか、何十年も前の学生時代に使っていたテキスト等が自室には散乱している。

物欲はなく、趣味で集めている物などはないため、がらくたの類はない。だが、持ち物を捨てる習慣もないため、殊に身につける物の類では、引きだしが溢れ返り、入り切らない物については、床に重ねておいたままとなっている。

とりあえず床に散っている物から片すことにした。片すとはいっても、ほぼ捨てるだけなのだが。
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登場人物紹介

大野芽衣里、37歳。

特技、趣味、欲なしで生きてきたフリーター。

坂月なるみ、37歳。

芽衣里の中学時代の友人。

長年不妊治療をし、やっと出産を果たす。

坂月望菜実、0歳。

なるみの娘。

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