第25話

文字数 626文字

顔の見えないやり取りだからこそ、電話は人間の本性が見える、とは芽衣里を含むオペレーターの誰もが感じるところであろう。

仕事に生き甲斐を求めようとは芽衣里は思わない。働かねばならない年齢に達したから仕事に就いたし、社会的な義務を負わねばならぬ年齢になったから働いているにすぎない。仕事に思い入れもないから、辛い思いをしても仕事だからと割り切れる。

20年近く働いているため、薄給とはいえそれなりの蓄えはある。物欲がなく、実家暮らしのためだろう。

望めばこのままの生活が還暦まで続けられるのかもしれない。

だが、それでいいのか。

老後をどう生きていくのか。健康を損なったり、認知機能が低下したら、自分はどうなるのか。

死後処理はどうするのか。孤独死するのは目に見えている。その片付けは誰がするのか。母が言うように、行政の手を煩わせてしまうのか。

どうでもいい。自分には関係ない。面倒臭い。

そう言って避けて好きなように生きてきたことは、社会にとって害悪の他、何物でもないのか。

だからといって、生き方を変えることはできないし、するつもりもない。

自分はこれ以上、生きていていい存在ではないのかもしれない。

「これでいかがですか?」

美容師は芽衣里の背後に鏡を広げ、バックの確認をするよう促してきた。髪は希望通り首筋までばっさりと切ってあった。芽衣里は黙って頷いて、席を立った。

「またのご来店をお待ちしています」

店のドアを開け、美容師は頭を下げた。

芽衣里は特に答えず、店を後にした。
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登場人物紹介

大野芽衣里、37歳。

特技、趣味、欲なしで生きてきたフリーター。

坂月なるみ、37歳。

芽衣里の中学時代の友人。

長年不妊治療をし、やっと出産を果たす。

坂月望菜実、0歳。

なるみの娘。

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