聖徳太子非実在論への考察

文字数 689文字

やあ、作者が学生の頃は聖徳太子ゲームっていう10人ぐらいの相手から一度に話を聞いてそれらをすべてまとめるというゲームがたまに行われていた
ぶっちゃけそんなんガキ相手ならいつでも起こるわけで、手を挙げて発言するということができない小学生はいつの時代も変わることはない

作者は発言の時はちゃんと手を挙げて指名されたら発言するようにしているぞ

で、聖徳太子ってなにした人?
具体例を挙げよう、エジプトには神権政治という制度が敷かれていて、オシリスの生まれ変わり的なあれがファラオということになっていた

ファラオの日本版が聖徳太子であるとここでは仮定します

ファラオって何?
現人神
え、説明アバウトすぎ、現人神って何?
難しいんだけど、政治の世界は多くの人の意見を募らないといけないから

自分勝手に独裁だけやると国が傾きまくりますからねえ、特定個人に権力を集中させるとやばいですぜ


そこで人々はなんか理想的な統治者像というのを現実の人間にすることが難しいことに気づき始める

え、それって現実世界で実現可能なの?

現代で騒がれているVR的なあれじゃ……

結論から言うとそうなのよね、読者のみんなもお金の根拠とか法律の根拠とか命の根拠とか探しても見つからないでしょ?

でもまあ政治は実現しなくちゃいけないわけで、理想の統治者像、超絶パーフェクトな空前絶後天上天下な人物像をみんなで想定する必要があったのよ

それが神権政治のファラオであり、現人神であり、日本ではそれがたまたま聖徳太子だったというわけ

学説として新しすぎないかな、大丈夫かな?

炎上しないかな?

まあ、そういう考え方もあるよ、という程度に思ってもらえればいいです
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登場人物紹介

東雲連

セミニヒリスト

作者が遊んでいるゲーム AOE2やシビライゼーションの知識を編集するために登場させた。

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