動揺(5)

文字数 493文字

 もうあとほんの少し・・・

  莉乃と別れて一人になった後で卓哉は思った。

  ほんの少しでもシチュエーションが違うとかしたら落ちていたかもしれない。彼女を落とすのではなく自分が落ちるのだ。

  例えば陽光眩しい車両で二人並んでつり革につかまって立っている代わりに間接照明の下でグラスに揺らめくアルコールの波紋を見ていたら。

  ブルージーなサックスが、今夜、泣きたかったら泣いてもいいよ、と低く囁いてきたら。

  落ちていたかもしれない。

  落ちていたかもしれない・・・罪に。

  卓哉から安堵とも落胆ともつかない溜息が漏れた。

 ~~~

 その退屈な研修の間、莉乃はずっと卓哉のことを考えていた。卓哉のことを知りたくてたまらなかった。

  入り込む隙がなくても・・・

  一瞬でも私を見て欲しい。

  莉乃はそう思った。

  愛してくれなくても、浮気でもいいからあの人の女になりたい。特別な存在になりたい。

 もちろん愛して欲しい。でも・・・

  あの人は別の人のものだから。

  あの人と笑い、あの人に抱かれ、あの人と眠る人。

  奥さんが羨ましい。

  私も欲しい。欲しい。とても欲しくてたまらない。あの人が。











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