なくなってしまった何か(3)

文字数 624文字

 莉乃は社員通用口から出てくると雪を手のひらで受けながら子供みたいに目を輝かせていた。

 柾生はそんな無邪気そうな莉乃の笑顔を少し離れたところから見ていた。

 綺麗だった。見ているだけで心が騒いだ。

 遅番のバイトを終えた莉乃が出てくるのを柾生は待っていた。

「あれ?坂本くん?どうしたの?今日は早番じゃなかった?」

 しばらくして柾生に気づいた莉乃はそう言いながら近づいてきた。

「傘。無いかと思って。」

「わぁ。ありがとう。それで来てくれたの?わざわざ?」

「うん。」

 莉乃は手渡された傘をさそうとして止めた。

「せっかく持ってきてくれたけど。」

 莉乃は柾生の傘の中に入ってきた。

「このほうがいいな。」

 柾生はコートの袖を摘まむようにして寄り添う莉乃の肩をそっと抱き寄せた。

 歩き始めながら全身に力がみなぎってくるのを感じた。

 ~~~

 あれは何年前のことだろう。

 莉乃と見た初めての雪。今夜のように凍えそうな夜だったけれど全く寒さを感じなかった。

 むしろ武者震いのように興奮して声が震えそうになった。

 まだ恋人同士になる前のこと。

 ~~~

「坂本くん?寒いの?」

 莉乃は体をすり寄せてきた。

「いや。」

「だって震えてるみたい。」

 莉乃は柾生の腕の中にいてクスクス笑っていた。

「ウォーッ!」

 柾生はさしていた傘を下ろして腕を広げて叫んだ。

「な、何?」

 莉乃は口に手をあてて目を見開いた。

「雪だー!」

 手を広げて天を仰いで叫んだ。天から幸福が降ってきたような気分だった。
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