気付かないふり(1)

文字数 682文字

「ちょっと疲れたよ。」

 リビングのソファーにどさりと腰を下ろして和志が伸びをした。

「そりゃそうでしょう。ほとんど寝てないんでしょ?何か食べる?」

「いや、いい。風呂に入るよ。」

「もうすぐ入れると思うけど。」

 香織は買い物してきた物を冷蔵庫にしまいながら言った。

 (夕飯は何にしよう)

 冷蔵庫の中身を見ながらぼんやりと考えた。LINEの通知音がした。

 (勇人だ)

 香織は素早く和志を盗み見た。何も変わった様子はない。先ほどから同じ姿勢でソファーに座り目を閉じていた。

 香織はキッチンカウンターにもたれながらLINEを見た。

 『昨日は楽しかったよ。』

 シンプルな文。でも心がくすぐられて知らず知らず笑みが湧いてくる。

 『私も楽しかった。会ったばかりなのにもう会いたい。』

 これほどまでに勇人に執着するのは自分のものに出来なかったからなのか。香織は時々そんな風に考えることがあった。
 ふと顔を上げると和志と目があった。

「風呂、沸いたかな?入ってくる。」

 和志は香織の返事も聞かずにバスルームに向かった。

「うん。もう沸いてるわ。」

 香織は和志の消えた辺りに向かって言った。

 (勇人にLINEするの見られたかも・・・)

 一連の和志の言動から香織と勇人の関係に和志が気づいているように香織は感じた。

 (今更?今になって?)

 和志はある意味ずっと知っていた。
 香織と勇人の歴史を。
 香織と和志の歴史にはいつも勇人がいたから。

 たとえ香織と勇人の間に和志がいなかったにしても、香織と和志の間には常に勇人がいた。

 それが香織と和志の歴史であり同時に香織と和志と勇人、三人の歴史だった。
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