vintage

文字数 1,121文字

「お前はやっぱり特別だから。」

 長身の勇人は少し首を傾げるようなちょっとかがみ込むような姿勢で香織の目を見つめた。

 この眼差しにずっと昔から何度とろかされたことだろう。その魔力は今も変わらず健在だ。

 (この目に何度もとろけて何度も泣かされてきたわ…)

 今もまたそうと知りつつ溶かされていくことを意識しながら香織もうっとりと見つめ返した。

「そんな台詞、もう私には効き目ないわよ。」

 そう言ってみるものの声で嘘だとわかってしまう。

 (ズルい男…私の魂を全部持っていってしまった…)

「いろんな意味でね。格別。ビンテージ。」

 勇人はくすぐるような声でくすぐるようなことを言った。

「お古ってことかしら?」

 香織もくすぐられたような声で言い返す。

「青臭さもえぐみも抜けて完熟の極みって感じ。」

 香織の髪にそっと触れるようにして勇人が言った。

「青臭くてえぐいのも大好きなくせに。」

 勇人は1人の女で満足しているような男じゃないのは嫌というほど知っている。

 美しい妻も香織という積年の恋人もありながら、今なお咲きかけの蕾のような若い女も手に入れないと気が済まない。

 女たらし。

「ヌーボーの味見もしたいじゃない?でもやっぱり行きつくところはお前なんだよ。」

 そう言いながら勇人は香織の腰を抱いて自分に引き寄せた。

「極上のビンテージはいつだって期待を裏切らないしいくら味わっても飽きないんだよ。」

 勇人は言い終わるか香織の唇を味わった。香織も久しぶりの勇人の味を確かめる。

「やっぱりやみつきよ…勇人の味…」

 つくづくズルい男だと香織は思った。

 勇人と初めてキスをしたのは20年以上も前だった。それから何度キスを重ねたことだろう。

 そのたびに切羽詰まったように喉がカラカラになり胸がかき乱される。

 歓喜で満たされる時も、苦しくて絶望した時も。

 香織は勇人の味に陶酔しながら過ぎし日々の絶望のキスの記憶が押し寄せるのを感じた。

 20年近く経過しようというのにその痛みの記憶は鮮烈だった。今では思い出しても疼くという程度だが。

 当時まだ23歳にして人生が急に幕引きになってしまったように感じた。勇人がすべてだった。

 勇人と一緒に生きていけないなら、勇人が私の人生から去ってしまうなら生きていたくない。

 あの人の妊娠がわかって勇人から真理沙と結婚する事を告げられたあの日の絶望。

 心臓が急速に石化して固まってしまうような気がした。痛くて痛くて動けなかった。

 絶望と苦悩の日々…

 その痛みの記憶が靄がかかったようにフェードアウトしていく。

 香織の心が麻痺していく。
 勇人に抱かれ全身が沸騰するような強烈な快感を享受しながら喜びしか感じなくなった。

 恍惚しか見えなくなった。






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