第11話華蓮は、神保町で滝口春香と再会

文字数 1,298文字

森本華蓮は、どの部活にも入っていない。
そのため、放課後は、基本的に自由になる。
強いて言えば、ピアノの個人練習をしなければならないが、観月音楽会の直後でもあり、当分は気合を入れた練習の必要はない。

華蓮は、「早く学園を出ないと、オケ部のしつこい勧誘が来る」と思ったので、放課後、小走りに校門を出た。
向かう先は、子供の頃から通っている神保町の古本屋街。
もともと、音楽より、読書のほうが、好きだった。
(同じように読書好きの母の影響も強かった)
新刊本は、あまり、好きになれなかった。
馴染の古書店のオヤジさんから、嘆きを聞いて、耳に残っている。
「最近の小説は、売れ行き重視で、編集者や出版社の意向で、筋も変えられてしまうんだよ」
「真に価値があるのは、何度も版を重ねた本」
「その意味で、古本には、値段以上の価値がある」
「100円の古本でも、千円の新刊本より価値が高いものも、ザラにある」

そんなことを思い出していると、都営線は馴染み深い「神保町」のコール。
華蓮は、ホームに降りた途端、「音楽からの解放」で、肩の荷も軽くなった。
神保町駅の階段をのぼり、靖国通りに出た。

学生やサラリーマンが、それぞれに歩いている。
銀座、新宿、渋谷界隈にいるような、下品な輩(男も女も含めて)は、全く歩いていないことが、実にうれしい。
特に買う本は決めていない。
「できれば、英米文学の何かと、日本の古典文学の全訳注みたいなもの」
財布には、約九千円入っている。(父母の遺産⦅数千万円⦆、山田学園長からの小遣い⦅月3万円⦆が、普通預金に入りっぱなしで、時々キャッシュカードで出金する)
そのまま、数分歩いて、店先のワゴンに並べられた古書を見始めた。
200円ぐらいの文庫本や500円ぐらいの新書が多い。
ただ、ワゴンの中には、強いて欲しい本もなかったので、そのまま古書店に入った。

入ってすぐ右側の棚にK社の学術文庫が、数多く並べられていた。
最初に目に入ったのは、「枕草子」の全訳注。
そのまま手に取って読み始めた。
「買うべきか?」と、少し悩んだ。
おそらく学園の図書館にも、もしかすると山田屋敷の書庫にもあるかもしれない、と思ったのである。
しかし、結局、すぐに買うことを決めた。
「自分の本として、欲しい」と、考えたのである。

枕草子を買い、鞄に入れて、各古書店の店先のワゴンを見ながら、また数分歩いた。
目に入ったのは、サマーセット・モームの「人間の絆」。
「少し長いけれど、読んでおくかな」
そう思って手に取った時だった。

後ろから、声がかけられた。
「もしかして・・・華蓮君?」
(懐かしい声のような感じだった)

「え?」
華蓮は、後ろを振り返った。
同じ聖トマス学園の制服を着た女生徒が立っていた。
顏には、見覚えがあった。(すぐに幼なじみの、滝口春香とわかった)

滝口春香の瞳が、みるみる潤んだ。
「華蓮君・・・逢いたかった」
「もう・・・10年?」
「どこに住んでいるの?」

華蓮は、滝口春香の袖を持った。
「どこかに、入るよ」
「僕が決めていい?」
(滝口春香は、コクリと頷いた)

華蓮は、滝口春香の手を引き、すずらん通りに抜けた。
そのまま、老舗文房具店の三階の喫茶店に入った。
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