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文字数 1,122文字

山間(やまあい)に訪れる季節は、都会のそれらに比べややせっかちである。時折、氷の森を通り抜けて来たような冷たさと水気をもった風が木立(こだち)を擦り、恨みがましい泣き言みたいな音が鳴るものだから、こんな眩しいくらいの晴天なのに何か憂鬱(ゆううつ)な気分になる人もいるかもしれない。
…というような背景描写をサッちゃんなんかの視点で語られるのはいささか不自然である、といま気付いたがまあいい。
だってサッちゃん今全然憂鬱(ゆううつ)じゃない!それどころか今日は我が人生で最良の日になる予感で震えている!

ファミレスでナンパされてから数日後の土曜日。
県立杏仲(あんなか)高校の文化祭当日。サッちゃんは校門に大きく作られたアーチをくぐった。
すぐ脇のテントでパンフレットを受け取り順路に進んだ。
開催式は午前中の内に杏高(あんこう)の生徒と教員と僅かな関係者だけで執り行われており、一般来場者と来賓を交えての外部向けの開催式、”オープニングセレモニー”は午後一(ごごいち)に予定されている。
絶対にオープニングセレモニーまでに来てほしい、と彼、正直(まさなお)から念を押されている。
こう見えてサッちゃんは時間はきちんと守る女だ。それが人生初デートとなれば火を見るより尚更(なおさら)である。…何かおかしな日本語を使った気もするがまあいい、気持ちが伝わればそれで。
校舎入り口の大玄関を右に見ると反対側に自転車置き場があった。
そこに彼はいた。

――正直(まさなお)
サッちゃんは小さく手を振って駆け寄った。
「ごめん、遅かったかな…」
早口にならないように落ち着いて。
「いいえ、丁度いいです。」
そうだ、敬語()めさせよう。確かに礼儀も大事なんだけど、他人行儀もしっくりこない。
「こんなとこに居ていいの?もう始まるでしょ?」
オープニングセレモニーは生徒が主導となって来場者全員を巻き込んだオープニングカーニバルが目玉となっている、らしい。
「あと15分くらいですかね。」
正直(まさなお)大玄関に設置された時計を指して言った。
そしてサッちゃんに向き直り、にわかに真剣な表情になった。
九条(くじょう)さん。」
その呼び方も変えさせよう。正直(まさなお)になら"サッちゃん"と呼ばせてもいい。
「大事なお願いがあります。」

――?!え、何?

やばい、話に集中してなかった訳ではないんだけど完全に意表を突かれた。落ち着けサッちゃん!落ち着けサッちゃん!!
何て言った?大事な?お願い?何だろう?何かな…
え?敬語じゃなくてもいいですか、とか?
え?名前で呼んでいいですか、とか?
正直(まさなお)も二人の微妙な距離感と居心地の悪さを感じてたってこと?
え?手を繋いで歩きませんか、とか?
え?腕を組んで歩きませんか、とか?
いろいろすっ飛ばして急展開したいってこと?

「何?」
頭の中は(うるさ)かったが、取り敢えずそれだけは言えた。

「場所、変えてもいいですか?」

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