第30話 時の流れ
文字数 2,149文字
時が過ぎ、ネムは、少年から若者に成長していた。
そして、ネムの父、ニアは、「雪山の戦い」の最後の生き残りとなっていた。
あの雪山の戦いから帰った九人は、ニアをのぞいて、みなその命を終えた。誰もが、早すぎる死だった。それは、魔物の血気をあびたからだと言われていた。
彼らの、次の時代が始まろうとしている。
ニアは、自分の死が近いことがわかっていた。
まだ、そんな年ではないのに、ひげは白く、目はかすんでいた。起き上がることもなく、彼の姿を見るのはまれだった。何十年か前、ルーンの木のもとに住み始めた人間たちも、今では数がふえ、ここは「ルーンの国」と呼ばれるようになっていた。ニアの戦功は、半ば伝説となり、「彼は、もう死んでいるのだ」といううわささえ流れていた。そんな彼をたたえて、「将軍」と呼ぶ人もいた。ニアは、その呼ばれ方がきらいだった。
ある朝。ニアは、ふだんより気持ちよく目がさめた。彼は、成長した息子のネムを呼んだ。
ネムが部屋に入ってきた。
「パルゥ、体はいいの?」
「今日は、体の調子がいい。お前に、話すことがあるんだ」
ニアは、ネムに話を始めた。
「いいか。これは昔の話だ。おれが子どもの時、もうこの話を知ってるやつは、ほとんどいなかった。そのくらい古い、言い伝えだ。ずっと前。人間は、少ししかいなかった。何も知らず、はだかのような姿で暮らしていたそうだ。そこへ、一人の子どもがやって来た。
でも、そいつは子どもなんかじゃなかった。なぜなら、服を着て、背中にはマント、足には靴をはいていたから。おまけに、ひげをはやしていた。もっとすごいのは、人間が誰も知らないことを、たくさん知っていたことだ。
そいつは小人で、人間の味方だった。名前は、そう、レムルと言ったな。
西の方に、ハイトの植えつけがあるだろう。あの育て方を教えたのも、この小人だそうだ。今じゃ、レムルの名も忘れられているが。
このレムルは、自分のことを、ルウィンの一人だと言った。そして、文字や宇宙のこと、ほかにもたくさんのことを教え、南の方へ帰っていった。
人間は、二度と彼に会わなかったし、訪ねて行くこともしなかった。できなかったのだ。なぜか。レムルの帰ったあと、恐ろしい「氷の時代」がやって来たからだ。多くの場所が、雪と氷におおわれてしまった。しかし、レムルの伝えた知恵のおかげで、やっと乗り切ることができたというんだ」
「パルゥ。おれは……」
「そう。お前は、小さいころ、ルウィンと名乗る二人の小人に会って、話をしたと言っていたな。
問題は、そこだ。ルウィンが、もし再び人間の地に来ることがあれば、それは、また人間に危機が訪れるということかもしれない。
ちょうど、レムルの来たあと、「氷の時代」がやって来たように」
ニアは少し休んで、続けた。
「もう一つ、話すことがある。これは、おれの思い過ごしかもしれない。そうだといいんだが」
「何なの」
「「雪山の戦い」の、魔物のことだ」
「それが?」
「おれには、やつが滅んだとは思えんのだ」
「何だって、でも!」
「いや。これまで、うそを言ったんじゃない。あいつは、このおれが殺した。それは間違いない。だが——今もいる気がしてならない。ずっと感じてきた。それだけのことだ」
「みんなに、知らせた方がいいんじゃない」
「だめだ。それだけは。なあ、ネムよ。はっきりしないことで、何も知らない人たちを不安にさせるのは、いけないことだ。お前が、知っててくれればいい。おれの勘違いかもしれないし、そうあってほしい。必要なら……」
「旅だね」
「はは。よくわかったな。大陸を探索せよ。そして、危険を早く見つけることだ。選ばれたと思って、あきらめるんだな。ただ、その旅は、まったくのむだになるかもしれない。危険なんか、ないかもしれんのだ。それは覚悟してくれ」
「ルウィンは?」
「会えればいいが、無理だろうよ。彼らがまだいるなんて、信じられない」
「どうかな」
「まあ、おれの心配は、おれが生きているうちは、的中しそうもない。問題は、そのあとだ。もし安全が長く続いて、何も起こらなかったら、もう心配することはない。おれの考えすぎだったということだ。危険がやって来るとすれば、それは、お前の時代のはずだ。この秘密を、自分の胸だけにしまっておくというのは、つらいかもしれない。実際、大変なことだぞ。できるか?」
「もちろんだよ!」
「よし。それだけだ。じゃ、ムルアを呼んできてくれ。クスリをのもう」
しばらくたった秋のある日。
ネムが、おとなになった日。
このお祝いの間、母親は、家でじっとしていなければならない。
しかし、ムルアは、それを守ってはいられなかった。
「ネム、早く! ニアが。皆さんも、お願い」
ネムは、誰より早く、父のもとへかけた。
ニアは、高熱で体をやられていた。目は、もう見えない。
すぐ、治し手が呼ばれ、その夜までに、何とか熱は引いた。死の近いことを見て、彼らは特別のクスリを使ったのだ。
真夜中。見舞いの人が、たくさんやって来た。
夜明け前。
ニアは、最後に
「ルウィンと、雪山の戦いを忘れるな」
と言い、その生を終えた。その言葉の本当の意味を知るのは、ネムだけだった。
それは、一つの伝説の終わりでもあった。
そして、ネムの父、ニアは、「雪山の戦い」の最後の生き残りとなっていた。
あの雪山の戦いから帰った九人は、ニアをのぞいて、みなその命を終えた。誰もが、早すぎる死だった。それは、魔物の血気をあびたからだと言われていた。
彼らの、次の時代が始まろうとしている。
ニアは、自分の死が近いことがわかっていた。
まだ、そんな年ではないのに、ひげは白く、目はかすんでいた。起き上がることもなく、彼の姿を見るのはまれだった。何十年か前、ルーンの木のもとに住み始めた人間たちも、今では数がふえ、ここは「ルーンの国」と呼ばれるようになっていた。ニアの戦功は、半ば伝説となり、「彼は、もう死んでいるのだ」といううわささえ流れていた。そんな彼をたたえて、「将軍」と呼ぶ人もいた。ニアは、その呼ばれ方がきらいだった。
ある朝。ニアは、ふだんより気持ちよく目がさめた。彼は、成長した息子のネムを呼んだ。
ネムが部屋に入ってきた。
「パルゥ、体はいいの?」
「今日は、体の調子がいい。お前に、話すことがあるんだ」
ニアは、ネムに話を始めた。
「いいか。これは昔の話だ。おれが子どもの時、もうこの話を知ってるやつは、ほとんどいなかった。そのくらい古い、言い伝えだ。ずっと前。人間は、少ししかいなかった。何も知らず、はだかのような姿で暮らしていたそうだ。そこへ、一人の子どもがやって来た。
でも、そいつは子どもなんかじゃなかった。なぜなら、服を着て、背中にはマント、足には靴をはいていたから。おまけに、ひげをはやしていた。もっとすごいのは、人間が誰も知らないことを、たくさん知っていたことだ。
そいつは小人で、人間の味方だった。名前は、そう、レムルと言ったな。
西の方に、ハイトの植えつけがあるだろう。あの育て方を教えたのも、この小人だそうだ。今じゃ、レムルの名も忘れられているが。
このレムルは、自分のことを、ルウィンの一人だと言った。そして、文字や宇宙のこと、ほかにもたくさんのことを教え、南の方へ帰っていった。
人間は、二度と彼に会わなかったし、訪ねて行くこともしなかった。できなかったのだ。なぜか。レムルの帰ったあと、恐ろしい「氷の時代」がやって来たからだ。多くの場所が、雪と氷におおわれてしまった。しかし、レムルの伝えた知恵のおかげで、やっと乗り切ることができたというんだ」
「パルゥ。おれは……」
「そう。お前は、小さいころ、ルウィンと名乗る二人の小人に会って、話をしたと言っていたな。
問題は、そこだ。ルウィンが、もし再び人間の地に来ることがあれば、それは、また人間に危機が訪れるということかもしれない。
ちょうど、レムルの来たあと、「氷の時代」がやって来たように」
ニアは少し休んで、続けた。
「もう一つ、話すことがある。これは、おれの思い過ごしかもしれない。そうだといいんだが」
「何なの」
「「雪山の戦い」の、魔物のことだ」
「それが?」
「おれには、やつが滅んだとは思えんのだ」
「何だって、でも!」
「いや。これまで、うそを言ったんじゃない。あいつは、このおれが殺した。それは間違いない。だが——今もいる気がしてならない。ずっと感じてきた。それだけのことだ」
「みんなに、知らせた方がいいんじゃない」
「だめだ。それだけは。なあ、ネムよ。はっきりしないことで、何も知らない人たちを不安にさせるのは、いけないことだ。お前が、知っててくれればいい。おれの勘違いかもしれないし、そうあってほしい。必要なら……」
「旅だね」
「はは。よくわかったな。大陸を探索せよ。そして、危険を早く見つけることだ。選ばれたと思って、あきらめるんだな。ただ、その旅は、まったくのむだになるかもしれない。危険なんか、ないかもしれんのだ。それは覚悟してくれ」
「ルウィンは?」
「会えればいいが、無理だろうよ。彼らがまだいるなんて、信じられない」
「どうかな」
「まあ、おれの心配は、おれが生きているうちは、的中しそうもない。問題は、そのあとだ。もし安全が長く続いて、何も起こらなかったら、もう心配することはない。おれの考えすぎだったということだ。危険がやって来るとすれば、それは、お前の時代のはずだ。この秘密を、自分の胸だけにしまっておくというのは、つらいかもしれない。実際、大変なことだぞ。できるか?」
「もちろんだよ!」
「よし。それだけだ。じゃ、ムルアを呼んできてくれ。クスリをのもう」
しばらくたった秋のある日。
ネムが、おとなになった日。
このお祝いの間、母親は、家でじっとしていなければならない。
しかし、ムルアは、それを守ってはいられなかった。
「ネム、早く! ニアが。皆さんも、お願い」
ネムは、誰より早く、父のもとへかけた。
ニアは、高熱で体をやられていた。目は、もう見えない。
すぐ、治し手が呼ばれ、その夜までに、何とか熱は引いた。死の近いことを見て、彼らは特別のクスリを使ったのだ。
真夜中。見舞いの人が、たくさんやって来た。
夜明け前。
ニアは、最後に
「ルウィンと、雪山の戦いを忘れるな」
と言い、その生を終えた。その言葉の本当の意味を知るのは、ネムだけだった。
それは、一つの伝説の終わりでもあった。