第十九幕 麗武人母娘(Ⅲ) ~親不孝者

文字数 3,933文字

「さあ、どうぞ。何もない所だけど、今お茶を出すから先に居間で待っててね」

 ビルギットの案内で屋敷に通された2人。屋敷は内装も間取りも実用一点張りの質実剛健な物であった。

「でも……何だかとても落ち着きますね。それに凄く良い匂いがします」

「そうだな……。あの人は昔からその辺の趣味は良かったからな」

 居間にある応接セットの椅子に腰かけて周囲を眺めるミリアム。アーデルハイドも同意して頷く。質の良い香草が焚かれているようだ。


「やあ、お待たせ! もっと楽にしていいよ」

 しばらくすると盆を両手に持ったビルギットが入って来た。盆の上には湯気を立てる茶の入った器が三つと、焼き菓子のような物もあった。まさか屋敷の主人が手ずから茶を運んでくるとは思わず、アーデルハイド達は慌てて立ち上がろうとするが、ビルギットに笑って制された。

「あはは、いいんだよ。今日は君達はお客様なんだからもっとゆったり構えてて欲しいな」

 テーブルに茶や菓子を並べると、対面の椅子に腰かけるビルギット。そこで彼女の雰囲気が少し変わる。本題に入るという合図だ。それを受けて2人も居住まいを正す。


「……さて、こうしてミリアムの事は紹介してくれたけど、用件はそれだけじゃないよね?」

 断定するビルギットに、アーデルハイドも取り繕う事無く頷く。

「うむ……我等マリウス軍が強大な敵、即ちガレス軍との決戦を控えているのは手紙でも伝えた通りだ。だがあの恐ろしい連中と戦うには我等はまだまだ戦力不足と言わざるを得ん。兵力や国力はともかく……圧倒的に()の数や質において劣っているのが現状だ」

「…………」

「何と言っても我が軍で最強の武将でもあったマリウス殿自身が、我等の失態のせいで不倶を負ってしまった事が極めて大きな痛手となった。我等は……私はこの失態を償う為にも、奴等に勝利する為にも、何としても今の絶望的な戦力差を埋める義務がある」

「お姉様……」
 ミリアムが気遣わし気な様子になる。アーデルハイドは彼女に大丈夫だと手を上げてから話を続ける。

「今、私だけでなく他の同志達も戦力強化に向けて各々が尽力している。そして私は戦力、即ち有能な将(・・・・)が必要だと聞いて真っ先に思い浮かべたのが義母上だった」

 アーデルハイドは黙って話を聞いているビルギットの目を真正面から見つめ返す。そしてテーブルに打ち付けんばかりに勢いよく頭を下げた。

「既に隠居し戦からも遠ざかった安楽な生活を送られている義母上を再び戦に駆り立ててしまう不義理は百も承知! 我が身の不甲斐なさを恥じるばかりだ! だが恥を偲んでお頼み申す! どうか我が軍に仕官し、我等を助けては貰えぬだろうか!? 義母上の力がどうしても必要なのだ!!」

「わ、私からもお願いします!」

 ミリアムも義姉と一緒になって深々と頭を下げる。


 そう……これはアーデルハイドにとっても色々な意味で苦渋の決断であった。帝国に失望して晴耕雨読の隠居生活を送る義母を、再び戦と政治の世界に引き戻すという究極の親不孝。

 また義母の名声を借りる事を良しとせずに、『独立』の際にわざわざ旧姓に戻してこれまでやってきた努力を全て水泡に帰す行為。

 そして自らの力不足が原因で義母の力を借りねばならないという恥の意識と罪悪感。

 それらを全てひっくるめて天秤に掛け……尚、アーデルハイドはマリウス軍の戦力強化の方を選択したのだ。

 義母の反応が恐ろしかった。もしかしたら失望や怒りを露わにされるかも知れない。敬愛する義母からそのような目で見られると考えただけで、アーデルハイドの身体に震えが走る。

 だがそれでも尚引く訳には行かなかった。ここで尻込みするくらいなら初めからこのような事はしていない。



 どのくらいの時間が過ぎただろうか。実際には10秒にも満たなかったと思われる。

「……2人共、顔を上げて」

 静かで……穏やかな口調に、2人は恐る恐るといった風にゆっくり面を上げる。ビルギットの目は怒りにも失望にも歪んでおらず、それどころか限りない慈愛に満ちていた。

「は、義母上……」

「……そんな敵との戦を控えて大変だろうこの時期に、こんな所までわざわざ直接訪ねてくると聞いて、確かに用件は察しが付いていたよ」

「…………」

「だから考える時間は沢山あった。……ねえ、ニーナ。君がとても律儀で義理堅く、ちょっとこそばゆいけど私の事をとても敬ってくれているのも、誰よりも良く知ってる。そんな君が深い理由もなく私を推挙しにくるはずがないという事もね。きっと色々と葛藤させてしまったよね?」

「……!」
 アーデルハイドの肩が震える。

「だから……私の答えはもう決まっているんだ」

「……っ。そ、それは……?」

 アーデルハイドとミリアムは思わず身を乗り出すようにしてビルギットを注視する。彼女は微苦笑しながら頷いた。


「私が可愛い弟子であり娘でもある君の、たっての頼みを断るとでも思った? ましてや新しく出来たもう1人の可愛い娘にもお願いされちゃったらね。こんなとうの昔に現役から退いた隠居婆さんで良ければ、喜んで力にならせてもらうよ」


「……! は、義母上……かたじけない!」

 了承の返事を貰って緊張が解けたアーデルハイドは、安堵の余りドッと椅子に崩れ落ちた。同時に歓喜と高揚がその身を満たす。

「お、義母様、ありがとうございます!」

 その横で再度深々と頭を下げるミリアム。2人の様子をビルギットは温かい眼差しで見つめる。アーデルハイドは居住まいを正して、改めて礼を述べる。

「義母上……本当に、心の底から感謝する。このような穏やかな生活を送っていた義母上を再び戦の世界に呼び戻す事になってしまい本当に心苦しく思う。しかし我等は……」

「ああ、皆まで言わなくても解ってるよ。私なら本当に大丈夫さ。まだ武芸も軍略もそこまで錆び付いていないと思うしね。それに……私自身そう穏やかとも言っていられない状況になってきてたからね」

「え……?」

 不穏な言葉にアーデルハイドは顔を上げる。ミリアムも同様だ。ビルギットは自嘲気味に口の端を歪めた。


「実は一月くらい前から、スロベニア郡からゲオルグって名前のえらく厳つい役人がやって来ていてね。私がここに隠居してるってのを知ったらしくて、自分達の傘下に加われってしつこく迫ってきてね……」

「スロベニア郡……ゲオルグだと? ……っ! 確か以前はエストリーの太守でヴィオレッタ殿らの働きによって失脚したという……!」

 そして現在はガレス軍の一員となっているはずの男であった。ビルギットが頷く。

「多分そいつだね。勿論突っぱねてたんだけど、最後には脅迫めいた台詞を口にしていてね。軍隊を引き連れてきて、私もろともこの辺りの村々を焦土に変えてやるってね」

「な……」
 ミリアムが息を呑む。この辺りの村は一応地理的にはセルビア郡に属している。奴等からすれば狼藉を働くのに何ら躊躇う理由はないだろう。間違いなくそれは脅しではない。

「因みに私が逃げた場合も、そのまま村を襲って村人たちを皆殺しにしてやると息巻いてたね」

「……!」

 この辺りに点在する全ての村に避難を促すというのは現実的ではない。大体避難してどこへ行けばいいのかという話だ。ここはハルファル県内とはいえ、城から遠すぎる。ビルギットが城に……つまりアーデルハイド達に救援を求めなかったのもその辺りが理由だろう。いつガレス軍の本隊が城に攻めてくるかも分からない状況で、こんな僻地に長い間軍を駐屯させておく事はできない。

「勿論むざむざ奴等の思い通りになる気はない。こう見えても帝国時代には結構人望があってね。方々に助けを求めたら結構な数の私兵が集まってくれたよ。今は郡境の近くにある村に集結してもらってる。だから私も明日にはここを発たなくちゃいけないんだ。今日君達と会って話が出来て良かったよ。お陰で元気百倍さ」

 ビルギットは片目を瞑って力こぶを作るような動作をした。

「そんな訳で私はその野暮用(・・・)を片付けてからハルファルに馳せ参じるよ。2人は一足先に帰っていてくれるかな?」

 至極当然のように娘たちを促すビルギット。彼女にとってそれは自然な行動なのだ。だが……


「お、お姉様……」
「解っている、ミリアム。……義母上、その戦い我等も参加させて頂く」

 2人もまた至極当然のように申し出る。ビルギットは目を丸くする。

「ニーナ、気持ちはありがたいけど、これは私の招いた事態なんだ。それに君達だってそんなに長く城を空けてはいられない立場でしょ?」

 それも事実ではあるが、アーデルハイドはかぶりを振った。

「城ならアナベルが預かってくれている。それに相手は端くれとはいえガレス軍には違いない。ならば私達にも関わりのある事だ。それにそもそも……あなたを1人戦場へ残して自分達だけ逃げ帰るとでも思ったか?」

 一点の迷いもないアーデルハイドの様子と、その横で勢い込んで何度も頷くミリアムの姿に、呆気に取られていたビルギットはやがて小さく笑いだした。

「ふ、ふふふ……さっきとは立場が逆になっちゃったね。でも……本当にいいのかい? ニーナはともかくミリアムはまだ……」

「だ、大丈夫です! 私も戦えます! お姉様やお義母様のお役に立ってみせます!」

「……という訳だ。必ずや奴等に勝利してハルファルへと凱旋しよう。良いな、義母上?」

 意見を翻す気はなく、更に意気込む2人の義娘の姿にビルギットは、呆れながらも完全に折れた。


「……本当に頼もしい娘達だね。私は幸せ者だよ。それじゃ早速こんな形で悪いけど、母娘共同戦線と行きましょうか!」

「応っ!」「はい!」

 来たるべき戦闘に備えて、麗武人母娘は揃って気勢を上げるのであった……
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