第五幕 黎明の女傑(Ⅴ) ~賊王再び

文字数 4,380文字

「くそぉ……どうなってんだい!? こいつら、ただの賊じゃないのか!?」

 ソニアは歯噛みしながら必死で刀を振るう。

 落石の罠によって僅かな先陣の兵と共に本隊から分断されて、孤立させられてしまった。そこに今まで算を乱して逃げていたはずの山賊達が、それまでの遁走ぶりが嘘のように整然と逆襲に転じてきたのだ。

 一転して逆に多勢に無勢となってしまったソニアは、何とか血路を切り開こうと無我夢中で刀を振るい続けた。しかし無情にも彼女の周囲で戦う味方の兵士達は一人また一人と倒れていき、いつしか彼女の周りには敵兵しかいなくなっていた。

 彼女は、たった1人で幾重にも敵兵に包囲されてしまったのだ。


(く、くそ……チクショウ! こんな事になるなんて……!)

 相手は所詮賊軍だという侮りがなかったかと言われれば嘘になる。こちらの方が数が上だからという慢心が全く無かったかと言われれば嘘になる。

 ……結局彼女はガレスの放浪軍相手の時と同じ轍を踏んでしまったのだ。まさか賊軍がこんな高度な戦術を仕掛けてくるとは思わなかった。同じだ。まさか放浪軍にあんな無双の豪傑がいるとは思わなかった。同じだ。どっちもただの言い訳だ。

 結局自分はあの敗戦から何も学んでいなかったのだ。その事実が彼女を打ちのめした。


 ソニアは死を覚悟したが、彼女が1人になると何故か賊軍はそれ以上攻撃してくる事は無く包囲するだけに留まっていた。そして……取り囲んでいる山賊達の壁を割るようにして、1人の人物が進み出てきた。

「くく、他愛もない。俺に掛かればこんな物だ」
「……っ!」

 その声、その姿……。どちらもソニアにとって覚えがある物だった。彼女の目が見開かれる。


「お、お前は……ドラメレク!? な、何で……?」


 武骨な板金鎧姿に濃く長い髭。頬に走る古傷。他の全てを獲物としか見做していない肉食の爬虫類のような冷血な視線。

 それはまさしく同志アーデルハイドの仇敵、【賊王】ドラメレク本人であった!


 ソニアはようやく賊軍が異様に統制が取れていた理由を悟った。確かにドラメレクの用兵手腕ならソニアを手玉に取ることなど造作もないだろう。

 だがこの男はミハエルの誘いに乗ってガレス軍に参加したはずではなかったのか。この短期間でもう出奔して賊に戻ったのだろうか。

「くくく、ミハエルの奴からの要請でな。セルビア郡を撹乱し間接的に打撃を与える事が目的だったのだが……これは思わぬ獲物が釣れたわ」

「……ッ!」

 村々や旅人、行商人を襲う山賊の略奪はそれ自体も国に打撃を与える効果があるが、国全体の治安の悪化を招く事で長期的に敵国の国力を弱める効果もある。帝国統一以前の戦国時代には、本格的な戦争を仕掛ける前にそうして敵国の領土に略奪行為を働くのは立派な戦略の一環であり日常茶飯事であった。

 しかし現在は戦乱の世とはいえあくまで内乱扱いであり、基本的には同じオウマ帝国の領土臣民には違いないので、いかに戦略上有効とはいっても諸侯がそうした略奪行為を勢力主導で行う事はまずなかった。

 ミハエルは容易くその禁忌を侵したという事になる。君主のガレスも配下のドラメレク達もまたそうした行為を忌避しないモラルの低い人物達であり、それがこの禁断の作戦実行に繋がったのだ。

 ソニア達は図らずもガレス軍の戦略を妨害する形になった訳だが、その結果がこの惨敗では目も当てられない。


「く、くそぉ……ア、アタシは……」

 悔し気に身体を震わせ顔を歪めるソニア。ドラメレクはそんな彼女に決定的な嘲笑を投げ掛ける。

「くくく……ギュスタヴやガレスから聞いているぞ? マリウスの側に威勢ばかり良くて、てんで役に立たん馬鹿女がいるとな」

「――――!!!」

 ソニアが硬直し、その顔が見る見る内に色を失くしていく。ドラメレクは嗜虐的な表情で容赦なく追い打ちを掛ける。

「お前がマリウスの弱点(・・)だとな。俺も全くの同意見だ。お前を利用してマリウスの奴に一泡吹かせてやれそうだな」

 マリウスの『弱点』。

 それは……ソニアが必死に築き上げてきた心の防壁を容易く貫いて、その内側をぐちゃぐちゃにかき回す悪魔の呪言であった。自分を助ける為に利き腕を失ったマリウスの姿が脳裏に浮かんだ。


「う、うるさい……うるさい、うるさぁぁぁぁーーいッ!! アタシは、役立たずじゃないぃぃぃっ!!!」


 結果……ソニアは容易く激昂させられてしまった。一度は内省し、マリウスや民の為に戦うのだと自戒した記憶は忘却の彼方へと押しやられた。

「うおおぉぉぉぉぉっ!!!」

 我を忘れてドラメレクに斬りかかる。目の前のこの男を黙らせる事以外何も考えられなかった。

 咄嗟に周りの山賊達が動こうとするがドラメレクはそれを手で制した。

「ふん、馬鹿女が……」

 ドラメレクは口の端を吊り上げると自らの蛮刀を抜いた。そして……

 ――ガキィィィィンッ!!

「……っ!」
 目にも留まらない速さで振り抜かれた剛撃が正確にソニアの刀に打ち付けられて、余りの衝撃に彼女の手から刀が弾け飛んでしまう。

 丸腰になってたたらを踏む彼女の腹にドラメレクの蹴りがめり込む。

「げふぅっ!」

 身体を折り曲げてその場にガクッと膝を落としてしまうソニア。まともに戦ってさえ一対一ではほぼ勝ち目のない強敵なのだ。ましてや冷静さを欠いて激昂していてはまともな勝負にすらならなかった。


「ち、ちく、しょ……アタシは、また……」

 彼女の目から悔し涙が零れ落ちる。結局自分は変われなかった。マリウスに、ヴィオレッタ達にあれだけ啖呵を切ったにも関わらず、蓋を開けてみればこの様だ。彼女は心底自分自身に絶望し切っていた。

「くくく、人質として利用させてもらうぞ。マリウスは今度はどこを失うかな? 片目か? それとも……残った左腕を切り落として放置してやるのも面白そうだな」

 ソニアが絶望に虚脱しきったのを見て取って、ドラメレクが部下達に彼女の捕縛を命じる。山賊達が彼女を捕らえようと迫ってくる。武器を失った彼女は自害する事さえ出来ない。為す術も無く囚われの身となり、後ろ手に縄を掛けられる。

「くくく、よし。ここはもういい。こいつを捕虜として一旦スロベニアに連れ帰るぞ」

 ドラメレクの命令で容赦なく縄を引かれ、引っ立てられるソニア。このままガレス軍の懐に連れ去られるのだ。

 獲物を捕らえた賊軍が引き揚げようとしたその時……
  

 ――ヒュンッ!


 鋭い飛来音と共に、ソニアを引っ立てていた山賊の喉元に矢が突き刺さる。

「む……!」

 ドラメレクが咄嗟に視線を向けると、崖の上の木立から弓を構えた……リュドミラの姿が覗いていた。

 彼女が手を上げて合図をすると木立の中から続々と討伐軍の兵士達が飛び出して突撃してきた。その先頭には……

「ソニアッ! お待たせ! ようやく敵の囲みを突破出来たわ!」

 槍を構えて吶喊するジュナイナの姿があった。ソニアを助けなければという思いが彼女とリュドミラに常以上の力を発揮させ、奮戦の末に敵の奇襲部隊を返り討ちにする事に成功したのだ。

 その勢いを駆って落石で塞がれた道を迂回し険しい山道を通り抜けて、一気に突撃を仕掛けたのだ。

「ち……小賢しい! 迎え撃て!」

 忌々し気に舌打ちしたドラメレクが迎撃を指示する。先の奇襲とは立場を入れ替えての乱戦が再び始まった!


「ソニア! 大丈夫!?」

 乱戦を抜けたジュナイナとリュドミラの2人がソニアの元まで到達した。周囲では剣戟音と怒号、悲鳴が鳴り響いている。

 ジュナイナは素早くソニアに駆け寄ると、後ろ手に拘束している縄を切った。その間にリュドミラは落ちていたソニアの刀を見つけて回収してくる。

「あ……あぁ……ジュ、ジュナイナ……リュドミラ……」

「……! ちょっと、何て顔してるのよ!? いつもの勢いはどうしたの!?」

 別人のように自信なさげに怯えたような視線を向けてくるソニアの姿に愕然としたジュナイナが声を荒げる。だがソニアは激しくかぶりを振った。

「だ、駄目だ……駄目なんだよ! アタシはやっぱり愚図で弱くて役立たずの馬鹿女なんだ……!!」

「……っ! この……大馬鹿っ!!」

 ――バキィッ!!

 泣き言を聞いたリュドミラは反射的にソニアの頬を拳で殴りつけていた。

「痛っ! な、何するんだい!?」

 よろけたソニアは頬を押さえて、びっくりしたような目でリュドミラを見た。だがリュドミラは怒りに燃える目で彼女を睨み付けている。

「うっさい! この大馬鹿! 一体いつ誰が、あなた1人で全部やれなんて言った!?」

「……!!」
 ソニアが目を見開く。ジュナイナも口添えする。

「ソニア。何があったかおおよその状況は想像が付くわ。でも私もリュドミラも、あなたとだからこそ一緒に戦おうと思ったのよ。あなた1人で勝てない敵なら私達が力になるわ。それでは駄目なの? それはあなたの力とは言えないの?」

「……ッ!」
 ソニアの身体の震えが大きくなる。

「1人で何もかも出来る人なんていない。それはあのマリウス様ですら同様よ。彼は常にそう言ってあなた達同志に感謝し続けてきたはずよ」

「あ…………」
 ソニアの脳裏にマリウスとの今までの記憶がよぎる。ジュナイナの言う事は正しい。当時完全無欠とさえ思えたあのマリウスですら1人では何も為せなかった。ソニア達同志が協力する事で初めて旗揚げが可能となったのだ。

 そして彼は事あるごとに自分一人の力では到底ここまで来れなかったと、彼女達に感謝を忘れなかった。あれはただの謙遜という訳ではなかった。

 あのマリウスでさえそうだったのだ。ましてやソニアなどが1人で全て背負い込もうなどおこがましいにも程がある。ガレス軍との戦いにしても、別に『矛』は一つでなければならない事など何もないのだ。

 その結論に至った時、ソニアの心は嘘のように軽くなった。心が晴れるとはこういう状態を指すのだと、彼女は生まれて初めて体験していた。


「……ふ、ふふ……やっぱりアタシは大馬鹿だ。何も解っちゃいなかった。いや、解ったつもりになってた」

 自分を馬鹿だと罵りながらも、そこには先程までのような後ろ向きの感情は無い。それは表情にも現れていた。彼女は2人の親友を力強い視線で見据えた。

「ジュナイナ! リュドミラ! 説教は後でいくらでも聞くよ! でも今はこの状況を打破する為にアンタ達の力を貸して欲しい!」

 彼女の様子を見て2人の顔は喜色に輝く。

「ソニア……! ええ、勿論よ!」

「ようやく本来のあなたに戻ったわね。それじゃちゃっちゃと終わらせちゃいましょうか!」

 何故か少し頬を赤らめたリュドミラが差し出す刀を受け取って頷くソニア。

「ああ、一丁昔のように暴れてやろうかい!」

 そして3人は一丸となって邪魔する山賊を薙ぎ倒しながら、ドラメレク目掛けて突き進んだ。
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