第三十五幕 トランキア大戦(Ⅰ) ~宿将対決

文字数 3,659文字

 西軍。ヨハニス街道。ガレス軍とマリウス軍の主力同士が遂に衝突を始めていた。最初は互いに弓兵の斉射の応酬となった。弓兵はマリウス軍はヴィオレッタ、ガレス軍はミハエルと双方の軍師が直接指揮を執っており、その間に互いの主力部隊が前進していく。

 そして遂に互いの主力部隊同士が接触すると、その瞬間マリウス軍の側から血煙が舞った。ガレス軍の先陣で縦横無尽に暴れ回るのは……


「ふぁははは! 道を空けい、雑魚共が! オルタンス! いるのは解っておるぞ!? 出てこい! 今日こそ決着をつけようではないか!」


 敵軍の中央で狂的な哄笑を挙げながら嬉々としてマリウス軍の兵士を惨殺していくのは……双剣鬼ギュスタヴだ。兵士達は四方八方から襲い掛かるが、ギュスタヴはその二刀を自らの両手の延長のように自在に操り、まるで雑草を刈り取るが如き勢いで歯向かう者達を斬り殺していく。

 その人間離れした強さ、そして血しぶきに塗れながら狂笑する悪鬼の如き姿にマリウス軍の兵士達は気圧され、士気が挫かれ戦線が崩れる。そうなれば逆にガレス軍の兵士達は勢いづいて攻勢を強める。最初のぶつかり合いはギュスタヴの圧倒的武勇によってガレス軍有利に運んでいた。


「……!」
 後方でヴィオレッタと共に督戦しているオルタンスは、前線で暴れ回る父親の姿に歯噛みして、それを迎え撃つべく自らも前線に出ようとする。

「オルタンス、忘れたの? あなたが出るタイミングはこちらで指示するわ。それまではこの場で待機よ」

 だがそれをヴィオレッタは冷静な声音で制する。

「で、ですが、このままでは……! それに父を止められるのは私だけです!」

「敵がギュスタヴだけならあなたに動いてもらっても良かったけど、残念ながら今の状況で軽々しくあなたを動かす事は出来ない。だからこそ……ここは彼女(・・)の出番よ」

「……!」
 オルタンスは先の作戦会議の内容を思い出していた。あの化け物達と正面衝突するのは不利。だから自分が受け持つと断言してくれたのは……




「んん?」

 嬉々として敵を屠っていたギュスタヴは、いつしか周囲から敵がいなくなっている事に気付いた。いや、いるにはいるのだが、こちらに向かっては来ずに遠巻きに囲んでいるだけとなっている。

 ギュスタヴは鼻を鳴らした。どうやらもう彼に恐れを為したらしい。全く歯ごたえのない連中である。だがその時、敵兵の壁を割るようにして1人の女が進み出てきた。

「やあ、あなたがギュスタヴだね? 私はビルギット・アーネ・セレシエル。私より年長者(・・・)の武人に出会うのは珍しいから、敬意を込めて挨拶させてもらうよ」

 それは青みがかった長髪に、青い塗装の鎧に身を固めた女武人であった。見た目は若作りだが、なるほど実際には大分(とう)が立っているようだ。

 ギュスタヴは少し興味を引かれた。その名前は彼も聞いた事があったからだ。

「ほぉ……お前があの『青藍驍将』か。帝国軍で出世を成し遂げた数少ない女将。噂だけは聞いた事があるぞ? 帝国に失望して野に下ったと聞いていたが、本当にマリウス軍に参加しておったとはの」

「可愛い娘達に頼まれちゃったからね。だからあの子達の為にも、全力であなたを止めさせてもらうよ」

「ふぁはは! 抜かせぃ、小娘(・・)が! 一度は戦場から身を引いた半端者が、常に戦いの中に身を置いてきた儂に勝てるものか! 死ねぃ!」

 ギュスタヴは嘲笑すると、それ以上の会話は無用とばかりにビルギット目掛けて突撃してきた。

「この歳で小娘呼ばわりは新鮮な体験だね! その半端者が敢えて戦場に戻ってきた覚悟を見せてあげるよ!」

 何故か若干嬉しそうに苦笑したビルギットは、身を翻してギュスタヴから逃げ始める。奴と正面から戦う愚は犯さない。彼女は彼女なりのやり方でこの化け物と戦うのみだ。


 ビルギットが兵士達の間に後退していくと、入れ替わるように……巨大な大楯を構えた兵士達が前に進み出てきた。自分の身体がすっぽりと隠れてしまう程の面積の頑丈な大楯だ。それが何十人も並列して大楯を押し出しながら一糸乱れぬ行軍で前進してきたのだ。

「ぬぅ……!?」

 まるで長大な壁が迫ってくるような光景にギュスタヴの足が止まる。ガレスのような大剣による一撃必殺型ではなく、二刀による手数で勝負するタイプのギュスタヴとしては、あの『壁』を突破するのは容易ではない。

 だがギュスタヴは馬鹿にしたような表情で鼻を鳴らす。

「ふん、守りを固めていれば何とかなると思ったか? それでどうやって儂を攻撃するつもりじゃ? 所詮は女の浅知恵よのぉ」

 あの巨大な大楯と武器を併用して所持する事はできない。ましてや重量も相当であろう大楯は素早い挙動や取り回しを犠牲にする。つまりこの連中は文字通り、完全な見掛け倒しの案山子にすぎない。この『壁』がどこまでも続いている訳でもなし。途切れた所を狙って迂回するのは簡単だ。

 その場しのぎの時間稼ぎを嘲笑いつつギュスタヴが、壁を迂回しようと踵を返すと……

「んん?」
 そこにも『壁』が出現していた。先程までは確かに前方にしかなかったはずだ。それがいつの間にか側面にも展開していたのだ。

「ち……鬱陶しい奴等じゃ!」

 ギュスタヴは舌打ちして吐き捨てると、逆側の側面に迂回しようと踵を返すが……

「……!」

 そちら側にも『壁』が出来上がっていた。やはり忌々しい程に統一された隙間の無い強固な壁だ。前方と両側面。三方を壁に囲まれた形となった。

「あの小娘……いつの間に」

 ギュスタヴが忌々し気に顔を歪める。そうしている間にも三方の『壁』はどんどん包囲を狭めてくる。幸いというか後方はギュスタヴの部下であるガレス軍の兵士達がいるので『壁』は出来ていないが、これでは前に進む事が出来ない。

「なるほど……時間稼ぎが目的という訳か? つまらん真似を。こんな物は一時しのぎにしかならんわ」

 いくら包囲を狭めようが、大楯兵達がこちらを攻撃できない案山子である事に変わりはない。ただ縮こまって守りに徹しているだけでは、戦には決して勝てないのだ。

「ええい、馬鹿どもが! 何をしておる!? この忌々しい壁を早く打ち破らんか!」

 ギュスタヴは後ろにいる味方の兵士達に怒鳴る。彼等はギュスタヴの暴威に巻き込まれる事を怖れて、やや距離を置いて進軍してきていたのだ。老剣鬼に一喝されて兵士達は慌てて突撃を開始する。

 強固な『壁』も本当の城壁という訳ではない。単純な物量で押せば遠からず突き破れる事だろう。ギュスタヴに命令された兵士達が『壁』の前に大勢で詰めかけてその防御を打ち破ろうとした時……


 三方の『壁』の後方から何かが、『壁』の内側にいるギュスタヴ達に向かって投げ込まれた。ギュスタヴは咄嗟にそれを空中で斬り払う。それは小さな壺のような物だった。ギュスタヴの剣撃で容易く割れて、中身(・・)がまき散らされる。

「……っ! これは……()か!?」

 本能的に躱したが、僅かに外套に付着したそれ(・・)は独特の匂いを発していた為、すぐにその正体が解った。

 ギュスタヴが気付いた時には、同じような油壷が次々と『壁』の内側に向かって投げ込まれてきた。勿論兵士達はギュスタヴのように斬り払う真似は出来ずに、次々と着弾(・・)した油壷が割れて兵士達の上にぶちまけられていく。

「うわ!? なんだ、こりゃ!?」

 その度に兵士達が慌てふためく。だがギュスタヴはこの時点で敵の狙いをようやく悟った。

「ま、まさか、あの小娘……。マズいっ!」

 ギュスタヴは珍しく顔を引き攣らせて、慌てて油の付着した外套を外して放り捨てた。そしてそれとほぼ同時に、やはり『壁』の向こう側から今度は矢じりに火が付いた……火矢(・・)が大量に撃ち込まれてきた!

「――っ!!」

 如何にギュスタヴが優れた剣士であっても、この大量の矢の雨を全て斬り払う事など不可能だ。自分の所に撃ち込まれた矢は全て斬り払えても、他の油まみれの兵士達の上に降り注ぐ火矢はどうにもならない。

「うわっ! うわあぁぁ!? ひ、火だ!」
「やばい! 逃げろ! 逃げろぉ!!」
「た、助けてくれぇぇぇぇっ!!」

 たちまち大混乱に陥る兵士達。直接油に引火して燃え上がった兵士達は勿論そこら中で転げ回っていた。引火を免れた兵士達もパニックに陥っていた。地面にもまき散らされた油にも引火し、辺り一帯はすぐさま炎に包まれた。

 マリウス軍はひたすら『壁』の維持に徹していた。大楯は事前に水で湿らせてあり、この防壁は敵兵だけでなく燃え盛る炎を遮断し閉じ込める役目も担っていたのだ。


 『壁』の内側は阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。こうなってしまうと最早ギュスタヴにも収拾が付けられない。いや、それどころか彼自身も炎や煙に巻かれないように必死で逃げ回る羽目になっていた。

「うぉのれぇぇぇぇっ! あの小娘がぁぁぁっ! 儂を虚仮(こけ)にしおってぇぇっ!!」

 ビルギットにまんまと翻弄されたギュスタヴは怒り狂いつつも、パニックに陥っている邪魔な味方の兵を斬り殺しながら必死に活路を求めるのであった。
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