第十九幕 解語の妖花(Ⅳ) ~騙し騙されて

文字数 4,267文字

 城の廊下をしずしずと進む人影があった。ホールでは主賓が抜けたにも関わらず馬鹿騒ぎが続いているが、そこから離れた場所は静かなものだ。

 廊下を進む人影は女性……エロイーズであった。人目をはばかるように静かに歩を進める彼女は、やがて豪華な装飾が施された扉の前で止まった。見張りの類いはいなかった。

「…………」

 彼女は周りを窺うようにして他に人の気配がない事を確認すると、その扉をそっと開けて中へと入り込んだ。そしてすぐに扉を静かに閉める。後にはただ誰も居ない静かな廊下の景色だけが残っていた。


「ふぅ……ここまでは順調ですね」

 部屋に入って一息吐いたエロイーズは部屋を見渡す。豪華な調度品が置かれた客間であった。

「……ここがあのミハエルが泊まっている部屋ですね。街の乗っ取りを企んでいるなら、必ずその証拠となる物があるはず。彼女があの男を引き留めている間にそれを探さなければ……」

 部下を連れてきているなら指示書のような物や、計画書の類いがあるかも知れない。ミハエルの邪な目的を証明する物であれば何だって構わない。

 エロイーズは机や書棚、衣類の入っている箪笥に至るまで手当たり次第に漁って、証拠を探し求める。しかし中々それに類する物は見つからなかった。

「……ありませんね。奴が企み事をしているのは間違いないはず。ならばどこか別の場所に……?」

 苛立たし気に溜息を零すエロイーズ。そうして集中する事でいつしか周囲への警戒が極端に疎かになっていた為か、いや、警戒していようがいまいが結果は変わらなかっただろう。


「……そこで何をしている?」
「ッ!?」


 いつの間にかエロイーズのすぐ真後ろ、至近距離に1人の男が佇んでいた。これほど間近に接近されながら、エロイーズには全くその気配が解らなかった。

 赤い髪を短く刈り込んだガルマニア人の男……。ヴィオレッタから聞いていた、ロルフという用心棒に相違なかった。

 エロイーズは飛び跳ねるように距離を取ろうとするが、ロルフが彼女の肩を掴んで引き留める方が遥かに速かった。

「……痛っ!」

 物凄い力で、武芸の心得も無い女性のエロイーズが振り解けるものではなかった。たおやかな女性相手でも一切の加減が無い力の入れ具合で、エロイーズは思わず痛みに顔をしかめる。

「何をしていたのかと聞いている」
「……!」

 苦痛に歪む彼女の顔を見てもロルフの態度に一切の変化は無かった。まるで路傍の石でも見るような無情な視線であった。

 暴力に耐性が無く、また幼い頃から美少女として男性からこのような無感動な視線を向けられた経験のないエロイーズは、ロルフが得体の知れない怪物のように思えて恐怖を感じた。

「……っ」
 だが彼女は顔を青ざめさせながらも、歯を食いしばって必死にその恐怖に耐える。
 
「……まあいい、目的は解っている。ミハエル殿から隠れてこの部屋を張っておくようにと言われていたが、まさか本当に鼠が引っ掛かるとはな」

「な……」

 ロルフの言葉にエロイーズは動揺から思わず声を上げてしまう。それが本当ならこの部屋に何の証拠もないのは当然である。

「さて……見当は付いているが、裏は取らねばならん。洗いざらい吐いてもらうぞ?」

「あ……」

 ロルフの眼光に射竦められたエロイーズは、只でさえ血の気が引いていた顔を更に蒼白にさせた……


****


 ――コンッコンッ

 ヴィオレッタの執務室。ソファの上の極上に身体をまさぐろうと鼻息を荒くするミハエル。だがその時部屋の扉にノックの音が。

「……ミハエル殿、お取り込み中失礼致す。ロルフです」
「……!」

 ヴィオレッタが何か反応する前にミハエルは表情を一変させ、それまでの情欲に支配されていた様が嘘のように冷静な面持ちとなってソファから立ち上がった。

 ヴィオレッタが呆気にとられている内に、ミハエルは扉に歩み寄り勝手に開けていた。

「ロルフか。……鼠が網に掛かったか?」

 ミハエルはロルフが突然訪れた理由が解っている様子だった。ロルフが頷く。

「は。お耳を拝借……」

 ロルフは顔を近づけてミハエルに何事かを耳打ちする。するとそれを聞いたミハエルが、ニンマリと顔を喜悦に歪めた。


「く、くく……ヴィオレッタ殿。残念でしたなぁ? あなたの可愛い侍女が全て白状したようですぞ?」

「……ッ!?」
 ヴィオレッタは一転して顔を青ざめさせて、思わずといった感じでソファから立ち上がる。その様子を楽しそうに眺めながらミハエルが気障なポーズで一礼する。

「さて……今度は私があなたを、私の部屋までご招待するとしましょうか。……おっと! 下手に抵抗しない方が良いですぞ? この男は命令があれば女性でも躊躇なく斬る男ですからな」

 咄嗟に身構えたヴィオレッタを見てミハエルが警告する。凄腕の武人と思われるロルフがその気になれば、女のヴィオレッタのか弱い抵抗など物ともせずに斬り伏せる事は容易いだろう。

「く……!」

 彼女に出来た事は、ただ悔しげに歯噛みする事だけであった。


****


 強引にミハエルの泊まっている客室に連れ込まれたヴィオレッタ。部屋の前にはミハエルが連れてきた私兵達が陣取っており、誰も部屋に近付けないように睨みを利かせていた。

 部屋には既に後ろ手に縛られて床にひざまずかされているエロイーズの姿があった。

「エロイーズ……!」

「も、申し訳ありません、ヴィオレッタ様。見抜かれていたようです……」

「……!」

 悄然とうなだれるエロイーズ。ヴィオレッタは青ざめて絶句した。ロルフによってヴィオレッタも後ろ手に縛られて、エロイーズと並んでひざまずかされる。

 縛られた美女2人が並んでひざまずいている光景に、ミハエルは目を細めて顎鬚をさすった。


「くくく……所詮は女の浅知恵……。この俺を出し抜こうなど100年早いわ」

 部外者の目のない場所である為か、ミハエルの口調が慇懃な敬語では無くなっていた。恐らくこちらがこの男の本性なのだ。

 ミハエルはニヤニヤと面白そうにヴィオレッタの顔を見下ろす。

「くく、それにお前の目的も解ってるぞ? 父親の仇討ち(・・・・・)か?」
「な……!?」

 ヴィオレッタが目を剥いた。その表情が驚愕に染まる。

「き、気付いて、いたの……?」

「俺は用心深い男でね。自分が大勢の敵を作ってるって自覚はある。だからこそ腕の立つ用心棒も雇った訳だしな」

 ミハエルがロルフの方に視線を投げかけるが、ロルフは一切表情を変えない。ミハエルは苦笑して女達に視線を戻す。そしてひざまずいているヴィオレッタの顎に手を掛けて、強引に上を向かせる。

「く……!」

「成長し、名を変え、化粧をしたくらいじゃ俺の目は誤魔化せん。……お前は最初から俺の掌の上だったんだよ」


「……ッ!!!」


 ヴィオレッタの目が愕然と見開かれる。何年もかけて準備を整えてきた復讐が最初から看破されていた。その事実に打ちのめされるヴィオレッタ。ミハエルが手を離すと、ガックリと虚脱してしまう。

「そ、そんな……それじゃ私は今まで何の為に……」

 俯いてうわ言のように呟くヴィオレッタ。その姿を嫌らしく笑いながら眺めていたミハエルが追い打ちを掛ける。

「くくく……俺に騙されていたと知った奴の顔はいつ見ても滑稽だな。お前の親父の顔も笑えたな」

「ッ!! 貴様ぁぁっ!!」

 怒りから思わず立ち上がろうとしたヴィオレッタだが、即座にロルフに押さえつけられ強制的に膝を着いた姿勢に戻される。その無様な姿を見たミハエルが増々調子に乗って嗤う。その時……


「……一つだけお聞かせ頂けますか?」


 これまで黙ってひざまずいているだけだったエロイーズが、むしろ静かな口調で喋り出した。ミハエルが一瞬目を瞬かせる。

「あなたの目的は一体何なのですか? 既に有り余る程の財をお持ちのはず。大商人としての名声も。この上何を望まれるというのですか?」

「ほぅ……この状況で大した胆力だな。いいだろう。冥途の土産に教えてやる」

 ミハエルは興味深そうな目でエロイーズを一瞥すると、自らの目的を語り出した。

「俺はな…………『黒龍』になるのさ」

「黒龍? あの、伝説の商人と云われる?」

 エロイーズの問いにミハエルは頷いた。その目には異様な光が宿っている。

「そうだ。かつて帝国成立以前の戦国時代に、金の力で天下すら思いのままに操ったという伝説の大商人……。皇帝? 国王? 違うな。中原の真の支配者は市井にこそ居たんだよ。俺はただの商人や詐欺師で終わる男じゃない。金の力で天下をこの手に握ってやる。全ては俺の物になるのさ!」

「……!」
 マリウスとは全く切り口が違うが、この男もまた戦乱の世に野心を抱き、自らの力をもって成り上がろうとしているのだ。だがその為にこの男が取っている手段は……

「……その為にヴィオレッタ様の故郷や他にあなたがこれまでに潰してきた多くの街、そしてこのトレヴォリの街が……そこに住まう民がどうなっても構わないと?」

 ヴィオレッタの話では、ミハエルの踏み台となった街は彼女の故郷も含めて、その後悲惨の一途を辿ったらしい。

 当然だ。ただミハエルに裏から煽動されて反乱を起こしただけで、その後の展望など何も無いのだ。すぐに立ち行かなくなるのは自明の理だ。ミハエルはそんな彼等をもう用済みとばかりにさっさと見放して自分だけ行方を眩ました。

 そして領主に反乱を起こした民など帝国にとっても周辺諸侯にとっても害悪でしかなく、鎮圧された後には主だった者達は軒並み処刑。残った民も弾圧の対象となり過酷な運命を辿る事となった。

 今またこの男は、この街や民にも同じ運命を背負わせようとしているのだ。だがミハエルは興味なさげに鼻を鳴らしただけであった。

「ふん! こんなゴミみたいな街がいくつ潰れようが知った事か! 太守も民共も無能なクズの集まり。奴等など俺の踏み台に過ぎんわ。この街の財産も、俺が根こそぎ搾り取ってやった方が余程有意義という物だ」

「……そうですか。それがあなたの答えなのですね……」

 エロイーズは何かを噛み締めるように目を閉じた。そして目を開けると扉に向かって(・・・・・・)声を掛けた。


マリウス様(・・・・・)。もう充分です。これ以上は聞くに堪えません」

「……? 何を――」


 ――バタンッ!


 ミハエルが訝し気な様子で問いただそうとするが、それは外から扉の開かれる音で中断された。


「ふぅ……どうやら出番みたいだね。中々いいタイミングだったかな?」


 外はミハエルの私兵が固めていたはずの扉を堂々と開いて姿を現したのは……剣を佩き、完全武装したマリウスであった!
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